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2013.1 M市の成人式とM小6年4組だけの成人式

2013-01-15 23:19:33 | いろいろ思う部屋

 13日(日)にM市の成人式が行われ、僕も恩師として出席しました。僕がM小学校で6年担任をしていた時の子どもたちが、めでたく今日のよき日を迎えたのです。
 新成人の教え子たちは、僕にとって特別な思い入れのある子どもたちです。
 僕は、平成8年度に役職に就いたため、平成8年3月にT小学校で担任生活を終えましDscf3268 た。それ以来、担任のない先生となり、校務主任(第2教務)、教務主任を経て、今は教頭職に就いています。
 役職に就いて9年目、突然6年生を担任することになったのです。その時の子どもたちが今年の新成人なのです。
 平成16年の5月のことです。6年4組の担任のK先生が体調を崩され、そのまま療養休暇に入られました。はつらつとした素敵な先生でした。ところが、その先生にドクターストップがかかってしまったのです。そこで、僕がピンチ・ヒッターとして校務主任と兼ねて6年4組の担任をすることになったのでした。賢い子たちでした。心のどこかに、「僕たちが心配をかけたために、先生が病気になってしまったのではないか」という思いを持っていることは、子どもたちの様子からうかがい知ることができました。決して、4組の子どもたちがK先生の病気の原因ではありません。僕は、この子たちには、どのクラスの子よりもいい思いをさせて卒業させてあげなければならないと心に決めたのでした。
 8年間、担任を持たなかったとは言え、学級経営も授業の進め方も体が覚えていました。それぞれ個性の強い子どもたちも、ここぞという時にはものすごい結束力を発揮するすてきな6年生になりました。僕は、そういう子どもたちが大好きでした。
 市の成人式は、恩師席から新成人の姿を見ていました。当時の4つの学級の担任に加え、僕の前任のK先生、欠員補充で入られ、いっしょに6年4組の指導にあたったN先生も加わり、久しぶりにフル・メンバーがそろいました。3組の先生は長野県に赴任され、久々の再会でした。式そのものは、市長さんや来賓の方々からの祝辞と新成人の誓いのことばで構成され、30分ほどで終わりました。
 その後、立食パーティが行われました。次から次へと4組だった子どもたちがやってきては「先生、わたし、分かる?」「僕、だれか分かる?」と聞いてきますが、6年生の時とまったく同じ顔のまま大人になった子は分かっても、多くの子は「だれだろう」という感じでした。もちろん、名字を言ってくれれば、すぐに頭の中に6年生の時の顔が浮かびました。なんと言っても、僕の頭の中にある彼らの姿は小学生だった頃のままなのですから。ランドセルを背負った姿なのです。それが、今、目の前にいる元6年4組の子どもたたちはすっかり大人らしくなっていて、男の子は凛々しく、女の子は美しく、大きく成長した姿に変わっていました。大好きだった恋人に、久しぶりに会ったようなどきどき感まで感じていました。
 2時に市のパーティーが終わり、午後4時からから母校のM小学校に集まり、タイムカプセルを開ける6年4組だけの成人式です。カプセルには「6年生のぼく・わたし」が「自分新聞」の形で入れてあり、それを成人式の日にみんなで開けようと、8年前の卒業の日に決めていたのです。子どもたちは、ちゃんとそれを覚えていました。そして、去年の暮れに、幹事のSさんから、「成人式の日に、45分間、また先生に授業をしてほしい」との申し出があったのです。「え~、そんな」と思うと同時に、言葉で言い表せないくらいうれしく思いました。まさか、また4組の子どもたちの前で授業ができるなんて、夢のようです。授業ができることよりも、また僕の授業を受けたいという彼らの気持ちを知った僕は、本当に教師冥利に尽きるというか、とにかく幸せ者だと思いました。大人になった子どもたちに小学校の国語や算数の授業というわけにもいかないので、「大人になったきみたちへ」をテーマに話をすることにし、「自分の道とことば」を題材にA42ページの資料もわくわくしながら作りました。
 予定していた午後4時、幹事の子たちはなつかしいM小学校の体育館の入り口に受付を作り、座席表などを渡していました。三々五々集まってきた新成人の中には、卒業後に転校して他の市の成人式に出てから駆けつけた子もいました。
 卒業時の学級委員のN君がはじめのあいさつをして6年4組の成人式が始まりました。そして、いよいよ僕の授業です。大人になった教え子たちに向けて「迷ったら、やろう」「時にはDscf3270 歯をくいしばってがんばることも必要、そうでないときも夢と希望はいつも持っているように」「仕事・勉強・遊びのどれが欠けても、いい社会人にはなれない」「6年4組の級訓『天空』に込められた『もっと上を目指そう』は最高の言葉。50代の僕も、『天空』を心の支えにしている」「8年経っても、僕はみんなの担任」というような話をし、待望のタイム・カプセルを開けました。それぞれが作った「自分新聞」のほかに、給食残菜ゼロ1等賞のメダルや、図工の作品の写真などが出てきました。「自分新聞」を配ると、友達に見られないようにそっと見る子、いきなり大笑いする子、友達のを見ようとのぞきこむ子など、様々な反応で、すっかり当時の6年4組に戻っていました。
 来てくださった4月だけ担任だったK先生からは、あいさつもせずに突然いなくなってしまい心が痛んだこと、それが8年間ずっと気になっていたこと、こうして成人式の日にみんなに会って謝ることができてうれしかったこと、みんなはK先生にとって特別な教え子だということなど、話をしていただきました。そして、会も終わりに近づくと、涙をこぼす子どもたちもいました。感激で涙がこぼれそうなのは、実は僕なのです。
 6時を過ぎ、子どもたちは次の中学校時代の仲間たちとの会に向かう時間になりました。会場としてお借りした母校のM小学校の体育館をモップで掃除を始める子もいました。そんな子どもたちは、今でも僕の自慢の教え子たちです。
 みんなと別れた後、涙を拭きながら運転して帰りました。
 2日経った今、成人式の日の出来事が、なんだか夢の中の出来事だったように思えてなりません。今すぐにでも、また会いたい衝動にかられています。

コメント (12)
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