8月26日から9月1日まで北海道(道北・道東)ツーリングの記録です。その前後も含め、かなりの長文になっています。そのため、一度に掲載することができず、前編と後編とに分けて掲載します。
一気に読んでくれる人も、少しずつ分けて読んでくれる人も、さらっと流して読んでくれる人も、大歓迎です。
大学勤務の僕の仕事は夏休みが遅い。お盆の時期に追試験・再試験があるため、8月下旬になってようやく休みを取ることができる。妻の勤務体系が変わったため、今年は5年ぶりに妻と2台のバイクで北海道をぶらぶらと走り回ることができることになった。これはうれしい。ここ4年間は、ソロツーリングかレンタルバイクで2泊3日の弾丸ツーリングだった。やっぱり、妻もバイクに乗る以上は2人で北海道ツーリングを楽しみたい。
そして、もう一つ。道東ではブログで知り合ったUさんが同行してくださるとのことで、地元のライダーといっしょに走ることができるのも楽しみの一つになっていた。
<8月25日>
週の最終日、荷物を満載したNinja650で出勤した。
夕方、1週間の仕事を終えて、妻と待ち合わせの東海北陸道川島パーキングに向かった。先に着いていたのは妻。ハンドルにカッパを干して待っていた。関周辺は強い雨が降ってたようで、関パーキングで休憩もとらずに走り、雨の降ってない川島でカッパを脱いだところだった。
あっつい。雨に濡れてない僕はとにかく暑くて暑くてたまらない。しかし、明日の夜には北海道だ。「寒い~」って言ってるぞ、きっと。
それからは夕方とは思えない真夏の暑さの中、一宮JCTから名神高速に入り、西へとバイクを走らせた。
交通量は多いもののペースは悪くない。伊吹PAでトイレ休憩をとり、米原JCTから北陸道に入って一気に敦賀まで走った。なんとか、日が沈む前に着くことができた。
まずは晩御飯。乗船手続きを済ませ、フェリーターミナルのカフェでかき揚げうどんと鮭イクラミニ丼のセットを食べた。味は普通だが、タコの入ったかき揚げはでらうまだった。
8時になってバイクを乗船場所に移動するようアナウンスがあった。その時、バイクはたったの3台。僕たち二人と大阪ナンバーのセローの若者が一人。フェリーの出航は0時30分なのでまだまだこれからやって来るだろうとは思ったが、8月も終わりに近いこの時期なのでせいぜい10台くらいかなあ。
そうこうしているうちにフェリーが入港してきた。バイクが出てくる出てくる、30台くらいは北海道から帰ってきた。これから北海道に向かうライダーは・・・、10時を過ぎたらだんだん増え始め、乗船時にはなんと30台を越えていた。
12時を過ぎてやっと乗船の指示があった。
部屋に荷物を置いてすぐにお風呂に入った。こうして、長い待ち時間を過ごし、ようやく落ち着いた感じになれた。
今日の午後8時半には北海道に上陸だ。天気もよさそうだし、いい旅になりそうな気がしてきた。大型船の心地よい揺れがゆりかごみたいになってきて、だんだん眠くなってきた。
※本日の走行 221㎞
<8月26日>
昨日の夜が遅かったので朝は遅めに起きた。6時30分に一度目が覚めたが、早起きする必要もないのでそのまま寝続け、起きたのは8時30分。レストランの朝食が9時までだったので、のんびりと9時過ぎに自販機のホットドッグと焼そばで朝食にした。これが結構うまい。ちなみにメーカーはニチレイ。ニチレイはいい仕事をしているなあ。
10時30分からビンゴゲームに参加した。3年前に一等賞で2000円券をゲットした思い出のビンゴゲームだ。「んなもん、うまくいくわけないじゃん」というふりをしていたが、実はかなり期待して参加した。アトラクションの津軽三味線の生演奏が終わり、ゲームが始まった。僕はなかなか運がいいらしく今回は3等賞で非売品の新日本海フェリーのクリアファイルをゲット。ちょっといい気分。
お昼になってもお腹はすかない。一応、区切りのつもりでホエー豚カツカレーを食べた。元々お腹はすいてなかったのだから、お腹は超ぽんぽんになった。人間はお腹がふくれると眠くなるものだ。部屋に戻ってちょっと横になったら本格的に寝てしまった。午後の津軽三味線のコンサートに行くつもりだったが、寝すぎてしまって観ることができなかったのが少し悔しい。
4時になってお風呂に入った。新日本海フェリーの魅力の一つが露天風呂だ。シャンプーしてすぐに露天風呂に入り、外を眺めた。すごくいい気持ちだ。右前に津軽半島、正面には霞んだ山々、左には下北半島が見える。船は津軽海峡を航行している。露天風呂に入るのは、津軽海峡を通っている3時から5時の間がいい。
お風呂から上がり、6時20分に海に沈む夕日を後方デッキから眺めた。
その後すぐに晩御飯を食べた。船旅最後の食事は北海道らしくホエー豚のジンギスカン鍋セットにあんかけ豆腐とフルーツ。ホエー豚は普通の豚より身がしまった感じがして、カツカレーには合わない気がしたもののジンギスカンにはバッチリで、おいしくいただいた。全部で1410円は安いと思えるほどだった。
苫小牧港到着予定が8時30分なので、7時30分くらいから下船の準備を始めた。
8時10分に車両甲板に行くようアナウンスがあり、まったく時間どおりに本当に8時30分にバイクで北海道に上陸した。
夜のR235を西に向かって走り、9時20分には予約しておいたコンフォートホテル苫小牧に着いた。国道沿いにあるコンフォートホテルは分かりやすくていい。10時前に苫小牧市街のホテルに着いたのは初めてかもしれない。とにかくここまでは順調だ。
天気予報では、明日の道央は暖かく、天気もいいようだ。
※本日の走行 27㎞
<8月27日>
苫小牧を出てR234を北に進み、最初に訪れたのが早来の郵便局だ。雪だるまのポストで人気の郵便局で、一見の価値ありと思って行ってみた。雪だるまポストもおもしろかったが、敷地内にはもっと目立つやたらでっかい赤い雪だるまも。日曜日なのに倉庫では何やら作業をしている人がいた。ちょっと覗いてみると、赤い雪だるまの話や全国からの注文に応じて出荷している話などを聞かせてもらえた。この郵便局から出荷される雪だるまが公認雪合戦のPK戦の公式の的になったということで、今のうちから出荷の準備をしているとのことだった。北海道ツーリング初日の朝からなかなかおもしろい時間を過ごすことができた。
次に向かったのが夕張。追分町インターから道東道を走り、久しぶりに黄色いハンカチ公園に行ってみた。
あったあった、あの赤いファミリアが。昔の長屋の中がリニューアルされ、きれいな資料館になっていた。黄色いハンカチ・・・なぜか幸せな気分にさせてくれる。
道道38で三笠方面へ。気持ちのいいコーナーの続く峠道だ。岩見峠を右へ左へとバイクを傾け気持ちよく走っているところで雨がポツポツと降り始めた。天気予報では全道晴天って言ってたのに。路面も濡れていたのでカッパを着たら、ほんの数100mほどで道路はドライ。晴天の下で再び右へ左へとバイクを傾けながらツーリングを楽しんだ。
三笠インターから美唄インターまでの1区間だけ道央道を走って妻の生まれた町、美唄に行った。妻の生まれ故郷は僕にとっては絶対に外せない町だ。寂れた廃炭鉱街を散策し、ノスタルジックな気分に浸ったあと、いよいよお楽しみの美唄名物とりめしでお昼御飯だ。
ツーリングマップルに載っているR12沿いの「しらかば茶屋」。これがまたバカうま。テイクアウトで今夜の晩御飯の分も買って店を出た。
比布北まで道央道を走り、比布からはR40で北上。士別のホクレンで給油し、待望の赤いホクレンの旗をゲット。ここからはホッカイダーらしくホクレンの旗をなびかせて走る。
名寄と言えばヒマワリ。ヒマワリの季節は終わっているはずだが、一応智恵文のヒマワリ畑に行ってみた。なんと、まだ少しだけ残っていた。しかも、地元の人がめずらしいヒマワリがあると教えてくれたので行ってみると、赤や白やギザギザの花びらのやら、おもしろいヒマワリをいっぱい見ることができた。これには妻も僕も大感激だ。寄ってみてよかった。
5時頃、美深のキャンプ場に着いた。ところが、なんか急に体がグタ~となってきて、
「なんかえれ~(えらい、ダルい、疲れた)よ、オレ」
となって、テントを設営する気になれなかった。涼しいのに暑く感じて脂汗が出る。手が震える。さっきまで元気だったのが、なんかおかしい。
「大丈夫?」
「すぐに横になった方がいいんじゃない?」
妻が心配そうに僕の顔をのぞき込む。
歳は取りたくないもんだ。それより、明日からのツーリングが心配になった。走れるのかなあ、オレ。
キャンプ場の敷地内にあるホテル美深温泉に飛び込んだ。晩ご飯は無理だが、泊まることはできるとのこと。部屋に入り、少しの間横になって、お昼に買った美唄のとりめしを食べてひたすら寝た。食欲は落ちてないのでたぶん大丈夫だと思った。人間は食って寝れば、たいていの疲れは治るものなのだから。
それにしても、体力なくなったなあ、オレ。1週間の仕事疲れがこんな形で出るなんて。きっと宗谷岬に行って、マミリン(間宮林蔵)の像を見れば、パワーも復活するだろう。それにしても、おもしろい一日だった。バテたけど。
※本日の走行 335㎞
※本日のピースサイン 54回
<8月28日>
朝起きて、なんとなく復活できたようなできてないような・・・。
とにかくよく寝た。土曜日はフェリーの中でのんびりと過ごしたはずなのに、昨日1日走っただけなのになぜかまだ疲れていて調子が出ない。一週間の仕事を終えてからの出発は、やっぱりきついのかなあ。こうなると、仕事をやめるか、それともロングツーリングをやめるか、このどちらかしかないって思ったね。もちろん、答えは迷わず・・・だよな。
で、なんだか調子出ないなあと思いながら朝風呂に入った。実は、美深温泉には毎年入っていて、すごくいい気持ちになれるお湯だ。なんとなく、ちょっとシャッキリって感じにはなった。
美深温泉を出てR40を北上。音威子府のセコマでアリナミンVで気合いを入れ、佐久から道道119でオロロンラインに向かった。道道119は森の中を走るワインディング。キタキツネに会えるかもしれないと思ったが、見たこともない小動物の死骸を1匹みただけ。妻はインカムで「今の、オコジョじゃない?」と言っていたが、確かに似てた。でも、生息してるのかなあ。
R232に出て、道の駅「てしお」でトイレ休憩をとり、いよいよ道道106だ。
すごいね、オロロンラインは。左に日本海、右にはサロベツ原野。もう最高だよ、ここは。これだから北海道ツーリングはやめられない。東のエサヌカ線に比べて、なんだか華があるね、オロロンラインは。
稚内に着いてまず行ったのがJR稚内駅。何度も何度も宗谷に来ているが、日本最北端の駅に来たのは初めてだった。線路の先っぽに大感激。なんと言っても、ここから先には日本の鉄道はないのだから。
お昼を過ぎていたので、駅に隣接の道の駅「わっかない」に行き、お昼御飯にした。
注文したのは宗谷黒牛ハンバーグのライ麦サンドと北海道スープカレー。これがまたうまいことうまいこと。北海道の食べ物はどれもうまい。
それから北防波堤、稚内漁港を見て、宗谷岬を目指した。毎年訪れる最北端の岬だが、稚内側からは久しぶりなのでいつもよりワクワク感も高まってくる。最北端というのは特別な地なのだ。
宗谷岬に到着した。
ん?・・・バイクから降りたらすぐ隣には見覚えのあるセロー。同じフェリーに乗っていて、また初日のホテルでもいっしょだった名古屋の青年のバイクだ。広~いホッカイドー、すごい偶然だが、北ツーあるあるだね、これは。
彼もよく似たコースを走ったようだが、明日の朝は雨の予報だから今日はどこかの宿を探さないといけないなあと言っていた。そう、29日と30日は道内全域雨マークになっていた。今のところ雨は落ちてこないし、空も明るい。キャンプは無理にしても、宿に着くまでは降らないでほしいものだ。
最北端の碑を見て、その後誰にも悟られないように僕たち夫婦が北海道ツーリングの神と崇めているマミリン(間宮林蔵)の像に「来年もまた来られますように」と拝み、宗谷岬を後にした。
次のお目当ては農道エサヌカ線。西のオロロンラインと対をなす大自然の中の道だ。
地平線しか見えない直線路。標識も看板もな~んにもない大草原の中の一本道。すごすぎる~。
明日の朝は雨の予報。キャンプはできない。カムイ岬公園パーキングから枝幸町のホテルを予約した。宿が決まるとほっとする。
初めてスマホをカーナビにして電話予約をした「ホテルニュー幸林」に向かった。今さらながらスマホって本当にすごいものだと思う。
今夜の晩御飯は華ちらし御膳。枝幸名産の毛ガニを焼きながら食べた。温泉のお湯もいい。明日は知床ウトロだ。
体調?・・・あれっ?いつの間にか復活している。去年他界した父がよく言ってた。「遊んでいるときはいつも元気」と。間違いなく僕は父の血を継いでいる。
※本日の走行 278㎞
※本日のピースサイン 40回
<8月29日>
2度目の緊急メール(Jアラート)で目が覚めた。「先ほどこの付近の上空をミサイルが通過しました。」だと?1回目は寝ぼけてアラームと間違えて消してしまったが、北朝鮮からミサイルが発射されたというメールだったのだろう。
窓を開け、東の空を見たらほっそい棒がケツから火を吹いて・・・違った、天気予報どおり雨が降っていた。ホテルニュー幸林さんがテントの下にバイクを置かせてくれたので、荷物のパッキングはやりやすそうだ。
友達からメールが来た。開いてみると「見た?」とだけ書いてあった。「ほっそい棒がケツから火を吹いて飛んでった。うそピョンヤン」と返事メールを送信した。
おいしい朝食を食べ、8時半頃にカッパを用意して外に出ると、なんと雨は上がっていた。なんと、薄日もさしてきた。日頃の行い良さの表れ?かなあ。
まずは、最初のセコマでアリナミンVでパワーを充填。そして、ひたすらR238をオホーツク海に沿って網走方面へとバイクを走らせた。
紋別で巨大なカニのハサミのオブジェを見てサロマ湖へ。いったい何のために作ったんだろう。
曇り空ながら幸い雨は降ってこない。白いオホーツクの海といかにも北海道という草原と畑と森の風景を楽しみながら南に向かって走り続けた。いい感じだ。
お昼は、サロマ湖手前の道の駅「愛ランド湧別」でホタテフライカレーを食べた。また今回もカレーだ。味は・・・特別なものはなかった。まあ普通のカレーかなあ。
サロマ湖がきれいに見える場所がよく分からない。そこでキムアネップ岬に行ってみることにした。行ってみたが、岬がどこだか分からなかった。パーキングの近くにはサンゴ草群生地があり、その周辺も自然の花畑になっていた。少しだけ散策して、サロマ湖を後にした。
走りにくい網走の市街地を抜け、小清水原生花園に寄ってみた。僕は花の季節が終わった原生花園よりも、西側に広がる涛沸湖を眺めたかった。何年か前に、湖面全体から湯気が上がる幻想的な風景を見て、なんて素敵な風景だろうと思ったからだ。
今日は湯気は上がっていなかったが、それでも、やっぱりいい感じだ。
今日の宿泊は30年来の超リピーターになっている知床ウトロの民宿旅館「酋長の家」と決めてある。斜里からR334でウトロに向かった。その途中にあるのがツーリングマップルに紹介されている「天まで続く道」だ。一昨年、ソロで走った時、絶対に妻に見せてあげたいと思った風景だ。
天まで続く道のある風景は、僕は二度目だが、妻は初めて見る景色。「すっごーい」を連発している。二度目の僕でさえ感動モノなのだから、本当にすごい風景だと思う。確かに目の前の道が天まで続いているように見える。
5時半頃、女将さんの大歓迎を受けて「酋長の家」に着いた。女将さんはアイヌの方だ。アイヌ民族の話を聞きながらアイヌの料理をいただき、知床の夜を過ごした。
>※本日の走行 298㎞
※本日のピースサイン 30回
<8月30日>
ウトロの朝はどんより雲っていて「また今回も知床峠は真っ白な世界なんだろうなあ」と二人でため息をついていた。とにかく、僕たちは知床峠に嫌われている。僕か妻のどちらかが雨男、雨女なのか、ウトロで晴れていたのに知床峠は嵐だったという年もあったほどだ。
「酋長の家」には酪農大学の学生の実習で若者たちでいっぱいだった。今どきの若者は本当にいい子だと思う。みんな行儀よく食事をし、夜も僕たち一般客に迷惑にならないような行動を心がけていたように感じた。昔の若者はひどかった。夜は大騒ぎしてたものだ。
学生たちが出て行った後、宿の女将さんに丁寧に丁寧に見送っていただき「酋長の家」を出た。
今日は、ブログで知り合ったうりさんとウトロの道の駅で合流し、3人で走ることになっている。こういう経験は初めてで、どんな人か分からずちょっと不安だった。
うりさんがハーレーのナナハンに乗ってやってきた。丈夫そうな女性だ。僕たちが雲のかかった峠の方を見上げると「大丈夫。わたし、晴れ女だから。」とうりさん。とっても気さくな方でほっとした。
不思議なことに、知床横断道路を登っていくにつれてどんどん青空が広がってくる。その逆はあっても、こんなことは初めてだ。峠は雲一つない澄んだ青空。
「地元のわたしでも、こんなにきれいに見えたの初めて。」
と、うりさんが声を上げるほどすばらしい景色が広がっている。30kmも離れた国後島がはっきりと見える。しかも、海にだけうっすらと雲がかかっていて雲海の上に国後が浮かび上がったように見えた。目の前の羅臼岳もくっきりと見えていた。これまで知床峠では1勝7敗。うりさんのおかげですばらしい2勝目を上げることができた。
知床横断道路で羅臼に出て、ひたすらオホーツク海沿いの国道を走った。雨の予報だったのが曇りの予報になっただけでもありがたかったのに、実際の天気は晴れ。うりさんの晴れ女ぶりはすごすぎだ。
(後編に続く)
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一気に読んでくれる人も、少しずつ分けて読んでくれる人も、さらっと流して読んでくれる人も、大歓迎です。
大学勤務の僕の仕事は夏休みが遅い。お盆の時期に追試験・再試験があるため、8月下旬になってようやく休みを取ることができる。妻の勤務体系が変わったため、今年は5年ぶりに妻と2台のバイクで北海道をぶらぶらと走り回ることができることになった。これはうれしい。ここ4年間は、ソロツーリングかレンタルバイクで2泊3日の弾丸ツーリングだった。やっぱり、妻もバイクに乗る以上は2人で北海道ツーリングを楽しみたい。
そして、もう一つ。道東ではブログで知り合ったUさんが同行してくださるとのことで、地元のライダーといっしょに走ることができるのも楽しみの一つになっていた。
<8月25日>
週の最終日、荷物を満載したNinja650で出勤した。
夕方、1週間の仕事を終えて、妻と待ち合わせの東海北陸道川島パーキングに向かった。先に着いていたのは妻。ハンドルにカッパを干して待っていた。関周辺は強い雨が降ってたようで、関パーキングで休憩もとらずに走り、雨の降ってない川島でカッパを脱いだところだった。
あっつい。雨に濡れてない僕はとにかく暑くて暑くてたまらない。しかし、明日の夜には北海道だ。「寒い~」って言ってるぞ、きっと。
それからは夕方とは思えない真夏の暑さの中、一宮JCTから名神高速に入り、西へとバイクを走らせた。
交通量は多いもののペースは悪くない。伊吹PAでトイレ休憩をとり、米原JCTから北陸道に入って一気に敦賀まで走った。なんとか、日が沈む前に着くことができた。
まずは晩御飯。乗船手続きを済ませ、フェリーターミナルのカフェでかき揚げうどんと鮭イクラミニ丼のセットを食べた。味は普通だが、タコの入ったかき揚げはでらうまだった。
8時になってバイクを乗船場所に移動するようアナウンスがあった。その時、バイクはたったの3台。僕たち二人と大阪ナンバーのセローの若者が一人。フェリーの出航は0時30分なのでまだまだこれからやって来るだろうとは思ったが、8月も終わりに近いこの時期なのでせいぜい10台くらいかなあ。
そうこうしているうちにフェリーが入港してきた。バイクが出てくる出てくる、30台くらいは北海道から帰ってきた。これから北海道に向かうライダーは・・・、10時を過ぎたらだんだん増え始め、乗船時にはなんと30台を越えていた。
12時を過ぎてやっと乗船の指示があった。
部屋に荷物を置いてすぐにお風呂に入った。こうして、長い待ち時間を過ごし、ようやく落ち着いた感じになれた。
今日の午後8時半には北海道に上陸だ。天気もよさそうだし、いい旅になりそうな気がしてきた。大型船の心地よい揺れがゆりかごみたいになってきて、だんだん眠くなってきた。
※本日の走行 221㎞
<8月26日>
昨日の夜が遅かったので朝は遅めに起きた。6時30分に一度目が覚めたが、早起きする必要もないのでそのまま寝続け、起きたのは8時30分。レストランの朝食が9時までだったので、のんびりと9時過ぎに自販機のホットドッグと焼そばで朝食にした。これが結構うまい。ちなみにメーカーはニチレイ。ニチレイはいい仕事をしているなあ。
10時30分からビンゴゲームに参加した。3年前に一等賞で2000円券をゲットした思い出のビンゴゲームだ。「んなもん、うまくいくわけないじゃん」というふりをしていたが、実はかなり期待して参加した。アトラクションの津軽三味線の生演奏が終わり、ゲームが始まった。僕はなかなか運がいいらしく今回は3等賞で非売品の新日本海フェリーのクリアファイルをゲット。ちょっといい気分。
お昼になってもお腹はすかない。一応、区切りのつもりでホエー豚カツカレーを食べた。元々お腹はすいてなかったのだから、お腹は超ぽんぽんになった。人間はお腹がふくれると眠くなるものだ。部屋に戻ってちょっと横になったら本格的に寝てしまった。午後の津軽三味線のコンサートに行くつもりだったが、寝すぎてしまって観ることができなかったのが少し悔しい。
4時になってお風呂に入った。新日本海フェリーの魅力の一つが露天風呂だ。シャンプーしてすぐに露天風呂に入り、外を眺めた。すごくいい気持ちだ。右前に津軽半島、正面には霞んだ山々、左には下北半島が見える。船は津軽海峡を航行している。露天風呂に入るのは、津軽海峡を通っている3時から5時の間がいい。
お風呂から上がり、6時20分に海に沈む夕日を後方デッキから眺めた。
その後すぐに晩御飯を食べた。船旅最後の食事は北海道らしくホエー豚のジンギスカン鍋セットにあんかけ豆腐とフルーツ。ホエー豚は普通の豚より身がしまった感じがして、カツカレーには合わない気がしたもののジンギスカンにはバッチリで、おいしくいただいた。全部で1410円は安いと思えるほどだった。
苫小牧港到着予定が8時30分なので、7時30分くらいから下船の準備を始めた。
8時10分に車両甲板に行くようアナウンスがあり、まったく時間どおりに本当に8時30分にバイクで北海道に上陸した。
夜のR235を西に向かって走り、9時20分には予約しておいたコンフォートホテル苫小牧に着いた。国道沿いにあるコンフォートホテルは分かりやすくていい。10時前に苫小牧市街のホテルに着いたのは初めてかもしれない。とにかくここまでは順調だ。
天気予報では、明日の道央は暖かく、天気もいいようだ。
※本日の走行 27㎞
<8月27日>
苫小牧を出てR234を北に進み、最初に訪れたのが早来の郵便局だ。雪だるまのポストで人気の郵便局で、一見の価値ありと思って行ってみた。雪だるまポストもおもしろかったが、敷地内にはもっと目立つやたらでっかい赤い雪だるまも。日曜日なのに倉庫では何やら作業をしている人がいた。ちょっと覗いてみると、赤い雪だるまの話や全国からの注文に応じて出荷している話などを聞かせてもらえた。この郵便局から出荷される雪だるまが公認雪合戦のPK戦の公式の的になったということで、今のうちから出荷の準備をしているとのことだった。北海道ツーリング初日の朝からなかなかおもしろい時間を過ごすことができた。
次に向かったのが夕張。追分町インターから道東道を走り、久しぶりに黄色いハンカチ公園に行ってみた。
あったあった、あの赤いファミリアが。昔の長屋の中がリニューアルされ、きれいな資料館になっていた。黄色いハンカチ・・・なぜか幸せな気分にさせてくれる。
道道38で三笠方面へ。気持ちのいいコーナーの続く峠道だ。岩見峠を右へ左へとバイクを傾け気持ちよく走っているところで雨がポツポツと降り始めた。天気予報では全道晴天って言ってたのに。路面も濡れていたのでカッパを着たら、ほんの数100mほどで道路はドライ。晴天の下で再び右へ左へとバイクを傾けながらツーリングを楽しんだ。
三笠インターから美唄インターまでの1区間だけ道央道を走って妻の生まれた町、美唄に行った。妻の生まれ故郷は僕にとっては絶対に外せない町だ。寂れた廃炭鉱街を散策し、ノスタルジックな気分に浸ったあと、いよいよお楽しみの美唄名物とりめしでお昼御飯だ。
ツーリングマップルに載っているR12沿いの「しらかば茶屋」。これがまたバカうま。テイクアウトで今夜の晩御飯の分も買って店を出た。
比布北まで道央道を走り、比布からはR40で北上。士別のホクレンで給油し、待望の赤いホクレンの旗をゲット。ここからはホッカイダーらしくホクレンの旗をなびかせて走る。
名寄と言えばヒマワリ。ヒマワリの季節は終わっているはずだが、一応智恵文のヒマワリ畑に行ってみた。なんと、まだ少しだけ残っていた。しかも、地元の人がめずらしいヒマワリがあると教えてくれたので行ってみると、赤や白やギザギザの花びらのやら、おもしろいヒマワリをいっぱい見ることができた。これには妻も僕も大感激だ。寄ってみてよかった。
5時頃、美深のキャンプ場に着いた。ところが、なんか急に体がグタ~となってきて、
「なんかえれ~(えらい、ダルい、疲れた)よ、オレ」
となって、テントを設営する気になれなかった。涼しいのに暑く感じて脂汗が出る。手が震える。さっきまで元気だったのが、なんかおかしい。
「大丈夫?」
「すぐに横になった方がいいんじゃない?」
妻が心配そうに僕の顔をのぞき込む。
歳は取りたくないもんだ。それより、明日からのツーリングが心配になった。走れるのかなあ、オレ。
キャンプ場の敷地内にあるホテル美深温泉に飛び込んだ。晩ご飯は無理だが、泊まることはできるとのこと。部屋に入り、少しの間横になって、お昼に買った美唄のとりめしを食べてひたすら寝た。食欲は落ちてないのでたぶん大丈夫だと思った。人間は食って寝れば、たいていの疲れは治るものなのだから。
それにしても、体力なくなったなあ、オレ。1週間の仕事疲れがこんな形で出るなんて。きっと宗谷岬に行って、マミリン(間宮林蔵)の像を見れば、パワーも復活するだろう。それにしても、おもしろい一日だった。バテたけど。
※本日の走行 335㎞
※本日のピースサイン 54回
<8月28日>
朝起きて、なんとなく復活できたようなできてないような・・・。
とにかくよく寝た。土曜日はフェリーの中でのんびりと過ごしたはずなのに、昨日1日走っただけなのになぜかまだ疲れていて調子が出ない。一週間の仕事を終えてからの出発は、やっぱりきついのかなあ。こうなると、仕事をやめるか、それともロングツーリングをやめるか、このどちらかしかないって思ったね。もちろん、答えは迷わず・・・だよな。
で、なんだか調子出ないなあと思いながら朝風呂に入った。実は、美深温泉には毎年入っていて、すごくいい気持ちになれるお湯だ。なんとなく、ちょっとシャッキリって感じにはなった。
美深温泉を出てR40を北上。音威子府のセコマでアリナミンVで気合いを入れ、佐久から道道119でオロロンラインに向かった。道道119は森の中を走るワインディング。キタキツネに会えるかもしれないと思ったが、見たこともない小動物の死骸を1匹みただけ。妻はインカムで「今の、オコジョじゃない?」と言っていたが、確かに似てた。でも、生息してるのかなあ。
R232に出て、道の駅「てしお」でトイレ休憩をとり、いよいよ道道106だ。
すごいね、オロロンラインは。左に日本海、右にはサロベツ原野。もう最高だよ、ここは。これだから北海道ツーリングはやめられない。東のエサヌカ線に比べて、なんだか華があるね、オロロンラインは。
稚内に着いてまず行ったのがJR稚内駅。何度も何度も宗谷に来ているが、日本最北端の駅に来たのは初めてだった。線路の先っぽに大感激。なんと言っても、ここから先には日本の鉄道はないのだから。
お昼を過ぎていたので、駅に隣接の道の駅「わっかない」に行き、お昼御飯にした。
注文したのは宗谷黒牛ハンバーグのライ麦サンドと北海道スープカレー。これがまたうまいことうまいこと。北海道の食べ物はどれもうまい。
それから北防波堤、稚内漁港を見て、宗谷岬を目指した。毎年訪れる最北端の岬だが、稚内側からは久しぶりなのでいつもよりワクワク感も高まってくる。最北端というのは特別な地なのだ。
宗谷岬に到着した。
ん?・・・バイクから降りたらすぐ隣には見覚えのあるセロー。同じフェリーに乗っていて、また初日のホテルでもいっしょだった名古屋の青年のバイクだ。広~いホッカイドー、すごい偶然だが、北ツーあるあるだね、これは。
彼もよく似たコースを走ったようだが、明日の朝は雨の予報だから今日はどこかの宿を探さないといけないなあと言っていた。そう、29日と30日は道内全域雨マークになっていた。今のところ雨は落ちてこないし、空も明るい。キャンプは無理にしても、宿に着くまでは降らないでほしいものだ。
最北端の碑を見て、その後誰にも悟られないように僕たち夫婦が北海道ツーリングの神と崇めているマミリン(間宮林蔵)の像に「来年もまた来られますように」と拝み、宗谷岬を後にした。
次のお目当ては農道エサヌカ線。西のオロロンラインと対をなす大自然の中の道だ。
地平線しか見えない直線路。標識も看板もな~んにもない大草原の中の一本道。すごすぎる~。
明日の朝は雨の予報。キャンプはできない。カムイ岬公園パーキングから枝幸町のホテルを予約した。宿が決まるとほっとする。
初めてスマホをカーナビにして電話予約をした「ホテルニュー幸林」に向かった。今さらながらスマホって本当にすごいものだと思う。
今夜の晩御飯は華ちらし御膳。枝幸名産の毛ガニを焼きながら食べた。温泉のお湯もいい。明日は知床ウトロだ。
体調?・・・あれっ?いつの間にか復活している。去年他界した父がよく言ってた。「遊んでいるときはいつも元気」と。間違いなく僕は父の血を継いでいる。
※本日の走行 278㎞
※本日のピースサイン 40回
<8月29日>
2度目の緊急メール(Jアラート)で目が覚めた。「先ほどこの付近の上空をミサイルが通過しました。」だと?1回目は寝ぼけてアラームと間違えて消してしまったが、北朝鮮からミサイルが発射されたというメールだったのだろう。
窓を開け、東の空を見たらほっそい棒がケツから火を吹いて・・・違った、天気予報どおり雨が降っていた。ホテルニュー幸林さんがテントの下にバイクを置かせてくれたので、荷物のパッキングはやりやすそうだ。
友達からメールが来た。開いてみると「見た?」とだけ書いてあった。「ほっそい棒がケツから火を吹いて飛んでった。うそピョンヤン」と返事メールを送信した。
おいしい朝食を食べ、8時半頃にカッパを用意して外に出ると、なんと雨は上がっていた。なんと、薄日もさしてきた。日頃の行い良さの表れ?かなあ。
まずは、最初のセコマでアリナミンVでパワーを充填。そして、ひたすらR238をオホーツク海に沿って網走方面へとバイクを走らせた。
紋別で巨大なカニのハサミのオブジェを見てサロマ湖へ。いったい何のために作ったんだろう。
曇り空ながら幸い雨は降ってこない。白いオホーツクの海といかにも北海道という草原と畑と森の風景を楽しみながら南に向かって走り続けた。いい感じだ。
お昼は、サロマ湖手前の道の駅「愛ランド湧別」でホタテフライカレーを食べた。また今回もカレーだ。味は・・・特別なものはなかった。まあ普通のカレーかなあ。
サロマ湖がきれいに見える場所がよく分からない。そこでキムアネップ岬に行ってみることにした。行ってみたが、岬がどこだか分からなかった。パーキングの近くにはサンゴ草群生地があり、その周辺も自然の花畑になっていた。少しだけ散策して、サロマ湖を後にした。
走りにくい網走の市街地を抜け、小清水原生花園に寄ってみた。僕は花の季節が終わった原生花園よりも、西側に広がる涛沸湖を眺めたかった。何年か前に、湖面全体から湯気が上がる幻想的な風景を見て、なんて素敵な風景だろうと思ったからだ。
今日は湯気は上がっていなかったが、それでも、やっぱりいい感じだ。
今日の宿泊は30年来の超リピーターになっている知床ウトロの民宿旅館「酋長の家」と決めてある。斜里からR334でウトロに向かった。その途中にあるのがツーリングマップルに紹介されている「天まで続く道」だ。一昨年、ソロで走った時、絶対に妻に見せてあげたいと思った風景だ。
天まで続く道のある風景は、僕は二度目だが、妻は初めて見る景色。「すっごーい」を連発している。二度目の僕でさえ感動モノなのだから、本当にすごい風景だと思う。確かに目の前の道が天まで続いているように見える。
5時半頃、女将さんの大歓迎を受けて「酋長の家」に着いた。女将さんはアイヌの方だ。アイヌ民族の話を聞きながらアイヌの料理をいただき、知床の夜を過ごした。
>※本日の走行 298㎞
※本日のピースサイン 30回
<8月30日>
ウトロの朝はどんより雲っていて「また今回も知床峠は真っ白な世界なんだろうなあ」と二人でため息をついていた。とにかく、僕たちは知床峠に嫌われている。僕か妻のどちらかが雨男、雨女なのか、ウトロで晴れていたのに知床峠は嵐だったという年もあったほどだ。
「酋長の家」には酪農大学の学生の実習で若者たちでいっぱいだった。今どきの若者は本当にいい子だと思う。みんな行儀よく食事をし、夜も僕たち一般客に迷惑にならないような行動を心がけていたように感じた。昔の若者はひどかった。夜は大騒ぎしてたものだ。
学生たちが出て行った後、宿の女将さんに丁寧に丁寧に見送っていただき「酋長の家」を出た。
今日は、ブログで知り合ったうりさんとウトロの道の駅で合流し、3人で走ることになっている。こういう経験は初めてで、どんな人か分からずちょっと不安だった。
うりさんがハーレーのナナハンに乗ってやってきた。丈夫そうな女性だ。僕たちが雲のかかった峠の方を見上げると「大丈夫。わたし、晴れ女だから。」とうりさん。とっても気さくな方でほっとした。
不思議なことに、知床横断道路を登っていくにつれてどんどん青空が広がってくる。その逆はあっても、こんなことは初めてだ。峠は雲一つない澄んだ青空。
「地元のわたしでも、こんなにきれいに見えたの初めて。」
と、うりさんが声を上げるほどすばらしい景色が広がっている。30kmも離れた国後島がはっきりと見える。しかも、海にだけうっすらと雲がかかっていて雲海の上に国後が浮かび上がったように見えた。目の前の羅臼岳もくっきりと見えていた。これまで知床峠では1勝7敗。うりさんのおかげですばらしい2勝目を上げることができた。
知床横断道路で羅臼に出て、ひたすらオホーツク海沿いの国道を走った。雨の予報だったのが曇りの予報になっただけでもありがたかったのに、実際の天気は晴れ。うりさんの晴れ女ぶりはすごすぎだ。
(後編に続く)
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