ELEVEN HOUSE

北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

2017北海道ツーリング道北・道東(後編)

2017-09-19 13:04:29 | 北海道ツーリング2017道北・道東
 前編からの続きです。

 8月26日から9月1日までの北海道(道北・道東)ツーリングの記録です。その前後も含め、かなりの長文になっています。そのため、一度に掲載することができず、前編と後編とに分けて掲載しました。
 もしよろしければ、前編から読んでいただけるとうれしいです。
 後編はブログで知り合った超晴れ女うりさんとの3人でのツーリングの途中からです。快晴の知床峠を出て、羅臼からオホーツク海に沿って走りました。
 一気に読んでくれる人も、少しずつ分けて読んでくれる人も、さらっと流して読んでくれる人も、大歓迎です。


(8月30日:前編から続く)
 北海道らしいまっすぐな道をいくつか走って、開陽台に行った。うりさんがすぐに向かったのは展望台ではなく、駐車場の端の方だった。うりさんの駆けていくのに続いて、僕たちもついていった。するとうりさんは、
「国後が見える」
と、指差して言った。

 「こんなこと、めったにないですよ。」
 さすが地元の人。うりさんと合流してよかった。僕たち二人だったら絶対に見落としていただろう。
 ちょうどお昼時だったので、展望台のカフェで昼食にした。カレー大好きな僕はその土地のカレーが食べたくて知床鶏のザンギカレーを注文した。女性軍二人はハチミツカレー。何も僕に合わせてカレーにしなくてもいいのにと思ったら、ご飯ものはカレーしかなかった。いつもながらカレーライスはうまい。知床鶏の唐揚げもおいしくいただいた。




 次は摩周湖だ。長い坂道を登って第1展望台から湖を眺めた。もちろん、緑の中にたたずむ湖ははっきりくっきり。世間では霧の摩周湖と呼ばれているが、僕は4戦4勝。今回で5連勝だ。これも晴れ女うりさんのおかげだと思った。お盆の時期を外して訪れたため観光客も少なく、ゆっくりと美しい景色を眺めることができた。



 ここまで来たら、硫黄山のゆで卵は外せない。硫黄山までは目と鼻の先。駐車場に入ってすぐに売店に駆け込み、ゆで卵を買って3人でベンチに腰掛けて食べた。硫黄山のゆで卵は、他のどこにもない独特の美味しさなのだ。硫黄風味?ちょっと違う気がするが、そうも思える。そして、硫黄の湯気のたつ噴火口を間近で見たり、遠く眺めたりして自然の息吹を堪能した。そうこうしているうちにどんどん時間が過ぎ、この後藻琴山展望台から屈斜路湖を眺めようと思っていたが何度も見ているので先を急ぐことにした。小清水町にお住まいのうりさんとはここでお別れだ。楽しい時間は過ぎるのも早い。うりさんには本当に感謝です。そして、はつらつとしたとっても素敵な方でした。




 硫黄山を出て、弟子屈から阿寒湖方面へと向かった。R241阿寒横断道路は北海道にはめずらしいコーナーの連続する峠道だ。国道はぐんぐん高度を増していく。標高が増すにつれて寒さも増してくる。8月というのに手はかじかんでくるし、ジーンズの膝も冷える。ある意味贅沢な話だ。地元豊田では33℃の暑さだと言うのに「寒い」を連発しているなんて。ネットで調べると明日の阿寒湖の最低気温は5℃。とてもキャンプができる気温ではない。温暖な地域に住む僕たちは凍死するよ、きっと。
 結局、今夜も温泉旅館泊ということにした。とても軟弱な夫婦ですが、薄いテントに夏のシュラフ。冷蔵庫の温度では寒すぎる。生きて帰るために、敢えて軟弱な道を選んだが、それが何か?
 ということで、阿寒湖温泉「山水荘」に泊まることにした。安い宿だが家庭的な献立のおいしい晩御飯に源泉かけ流しの気持ちのいいお湯。極楽極楽。実は、よく雨に降られて「いざという時の山水荘」が僕たち夫婦の阿寒湖温泉での合い言葉になっていた。幸い、今回も1部屋だけ空いていた。


 軟弱ついでに、明日もいい温泉を探そっと。明日の富良野の最低気温も一桁℃みたいだから。

※本日の走行     232㎞
※本日のピースサイン  31回


<8月31日>
 「山水荘」を出て、まずはオンネトーを目指した。
 オンネトーはなんとも神秘的な湖で、ひっそりとした森にたたずむエメラルドグリーンの澄んだ水、森の向こうには険しい雄阿寒岳とまるで富士山のように美しい雌阿寒岳がそびえ、とっても素敵な湖だ。僕たち夫婦にとって、阿寒方面に来たら絶対に外せない場所になっている。


 続いて、足寄を抜けてナイタイ高原牧場へと向かった。R241は、北海道のごく普通の道だ。おそらくクルマで走ったら、退屈でつまらない道だろう。バスや乗用車の助手席にいたら寝てしまうと思うような道だ。ところが、バイクで走っていると、エゾシカが現れるかもしれない、キタキツネに会えるかもしれない、牛たちがたくさん寝そべっている、見渡し限りトウモロコシ畑だなどと、常に期待と感動を覚えながら走る。だから、クルマも鉄道も大好きな僕は北海道だけは絶対にバイクで走ることにしている。こうして北海道の普通の道を走っていると、バイクの免許を持っていない人は損してると思うことがある。
 それにしても、天気はとってもいいけれど、寒い寒い。あまりの寒さに耐えきれず、途中の道の駅「足寄湖」で、防寒の意味でカッパを着た。
 上士幌からナイタイ高原牧場に向かった。高原全体、見渡す限りの大牧場を見ながら走る道だ。その美しさとダイナミックさは北海道ならではのもの。



 ナイタイ高原牧場に着いた頃、ちょうどお昼になったので仮設のレストハウスで十勝ハーブ牛カレーを食べた。またしてもカレー。玉ねぎが甘い。牛肉がうまい。見かけは普通のカレーだったが、味は最高だ。




 仮設のレストハウス・・・、2年前の台風でレストハウスは倒壊してしまったそうだ。
 赤いヴェルシス650の青年が、僕のバイクを見て、
「このバイク、僕のと兄弟車ですよね。」
と、声をかけてくれた。ニンジャとZとヴェルシスはフレームやエンジンなどが共通で、それが650となるととてもめずらしい。なんだかうれしくなってくる。
 しばらく見渡す限りの大平原、大牧場を丘の上から眺め、R274に戻った。
 道の駅「うりまく」でトイレ休憩をとった時、メールが届いていた。
 マイッタなあ。太平洋フェリーから、予約しておいた明日の名古屋行きの便が台風15号のため欠航との連絡だった。即座に、新日本海フェリー敦賀行きを予約して、まずは一安心だ。仕方がないわなあ、こればかりは。ここで迷っていると、おそらく太平洋便はすべて欠航だろうから、日本海コースが取れなくなってしまうと思った。
 予約したフェリーが欠航という緊急事態も、すぐに新日本海フェリーを予約して帰路を確保できたため、その後も何事もなかったかのようにツーリングを続けた。
 清水町からR38に入ると、次はお気に入りの勝狩峠だ。峠から南側を眺めると息を飲むくらいの大平原が見える。30年くらい前、初めて北海道をバイクで走ったとき、この峠でその壮大な風景に魅せられてしまった。


 峠を下ってJR幾寅駅に寄った。初めて訪れる駅だ。映画「鉄道員(ポッポ屋)」の舞台となった幌舞駅で、駅舎や駅周辺はロケのまま残されていた。JR根室本線の現役の駅(現在はバスで代行運転)だが、表示の看板のほとんどが映画の幌舞駅のままになっている。もう一度「鉄道員」を見てみたいと思った。北海道ツーリング初日の「思い出の黄色いハンカチ」といい、ここの「鉄道員」といい、高倉健のすごさも感じた。任侠モノは嫌いだったが。






 それにしてもやっぱり寒い。8月下旬の北海道の気候をナメてたことに気づいた。最低気温は平地では10数℃だが標高の高い所は一桁℃。夏のうっすいシュラフにツーリングテント、セーターもなければヒートテックのインナーも持ってきていない。僕たちはまだ死にたくないので、富良野の北ノ郷にあるスキー場の前の民宿「正直村」を予約した。
 R38富良野山辺から国道を外れ、北ノ郷の民宿に着いたのは5時半を過ぎた頃だった。部屋に入って、ますはフェリー乗船用に荷物の整理をした。明日の夜には北海道を離れると思うと、なんだかとても寂しくなってきた。日曜日に美唄でおいしいとりめしを食べて、明日はもう土曜日。1週間の短かったこと。




 晩ご飯は民宿の食堂でということだったので、民宿「正直村」オリジナルのじゃがバターラーメンとまぜごはんを食べた。初めての味だったかうまい。こうして、北海道最後の夜を過ごした。

※本日の走行     270㎞
※本日のピースサイン  31回


<9月1日>
 まるでペンションのような素敵な民宿「正直村」で、女将さんにお薦めの二つの展望台を教えていただいた。予定していて欠航になった太平洋フェリーは19:30発で夕方には苫小牧港に行きたいところだったが、変更した新日本海フェリーは23:30発。時間にはずいぶん余裕ができた。そこで、お薦めの二つの展望台に行ってみることにした。
 一つ目の展望台は「北の国から」の麓郷の先にある麓郷展望台だ。五郎の家のある麓郷の森をさらに奥に進み、ジャム工房の前を通り過ぎる。すると狭い上り坂になり、登り切った所に美しい花々に彩られた場所がパッと開ける。突然のダートに妻の「怖いよ~」の声がインカムから聞こえたが、狭い上り坂は一方通行なので行くしかない。


 砂利の駐車場にバイクを止め、ヘルメットを脱いだ妻の顔は恐怖におののいた顔かと思ったら、心はすでに花畑に向いているような表情になっていた。駐車場からは花に囲まれた素敵な展望台が見えた。
 展望台に上ると、それはそれ大絶景。美しい花畑から麓郷の丘を見下ろす素敵な景色が広がっていた。畑が生きている。生き生きとしている。麓郷はそういう所だった。


 一方通行になった出口は・・・なんと砂利ダートが400mくらい続く狭い下り坂。慎重にバイクを走らせ、後ろを走る妻をミラーで確かめながら砂利道を抜けた。抜けると同時にインカムから「ああ、よかった」とほっとする妻の声。怖い怖いと言いながらも、妻は百戦錬磨のライダー。苦行のようなコースを走れば、そこにはそれ以上の絶景が見られる。
 麓郷の集落に戻り、道道253で富良野に下りる。見渡す限りの農地の丘。絶景ルートだ。坂を下る途中にある展望台が、女将さんお薦めの二つ目の展望台だ。バイクを停めて眺めてみると、富良野の街からスキー場のある山並が一望できた。それに、展望台の雰囲気もいい。


 富良野を後にし、次に向かったのが美瑛のジェットコースターの道だ。一度走ってみたいと思っていたが、いつものお盆の時期の美瑛は大混雑で、バイクで走ってもおもしろくない。ところが、時期を外すと旭川と富良野を結ぶ幹線路R237も走りやすい。
 道道298の直線路から上富良野でR237に入り、深山峠を越えて美瑛町に入ってすぐの辺りから左に入るといきなりジェットコースターの道だった。国道を左折してすぐに「おおお~、すげえや」と声を上げてしまった。インカムからは妻が大笑いして「なに~これ」。
 勢いをつけて坂を下らないと登って行けないような上り坂が真正面に見える。絶壁とは言わないものの、かなりの急坂に見える。笑えちゃうほどジェットコースターみたいな道だった。登り坂に入ってバイクを停めて後ろを振り返ると、さっきすれ違ったバイクが坂をよじ登っているように見えた。ますます笑えてきた。ジェットコースターの道は実に愉快な道だった。


 お昼も過ぎ、そろそろ苫小牧に向かわなくてはならない時間になってきた。そこで、富良野に戻り、R38で南に向かった。
 母と、妻の両親にメロンを送らなくちゃ。そう思い、メロン屋さんの立ち並ぶ山辺で3年前のソロツーリングの時に立ち寄った中西農園に入った。その時の帰り際に中西のおばあちゃんが言った「また来てね。今度来た時に店が閉まってたら、私か旦那のどっちかが死んだと思ってね」という言葉が妙におもしろくて頭に残っていたからだ。バイクを降りるとき、「おばあちゃん生きてる」と思った。


 お腹がすいていたのでとりあえずトウキビ(トウモロコシ)を200円×2で昼食にしたところ、中西のおばちゃんがやってきて「メロン食べてけ」「カボチャ食べてけ」「トウキビ、もう1本ずつ持ってけ」と大サービス。3年前のことは覚えていなかったそうだが、3年前と同じだ。「スイカも食べてけ」と言われたがすっかりお腹はいっぱいになっていた。「もう無理」と言うと、じゃあ、トウキビ1本ずつ持ってけ」と、袋に入れてくれた。本来の目的の富良野メロンとキタアカリを家に送り、「また来てね~」の声に送られ、中西農園を出た。



 あとは、ひたすら苫小牧東港を目指すだけだった。R237で占冠を抜け、特大トレーラーを何台も何台も追い越しながら太平洋側の富川を目指した。途中の日高の道の駅で少し長めの休憩をとり、北海道最後の給油をした。そして、今回のツーリング最終日の北海道を楽しみながら、そして雰囲気を噛み締めながら走った。
 フェリー埠頭に着いてバイクを止めると、乗用車やトラック、トレーラーなどがどんどん増え続け、車両置き場もターミナルの中も込み合ってきた。僕たちと同じように、台風で欠航になった太平洋便からの乗り換えの人がたくさんいたということだろう。一つ前の便の新潟行きは、荷物や車両の積み込みに時間がかかり、1時間以上も遅れて出航した。一週間前に同じフェリーで北海道入りして宗谷岬で再会したセロー氏や、ナイタイ高原牧場で出会ったスキンヘッドのヴェルシス650の若者の姿もあった。近くに停めていたハーレーに乗る名古屋のTさんは、僕たちと同じで太平洋フェリーを予約していて急遽新日本海フェリーに変更したそうだ。「台風が来なかったら出会わなかったね」などと話していたが、実は台風が来なくても同じ船に乗るはずだった。




 新日本海フェリー「すいせん」は1時間以上遅れて苫小牧東港を離れた。
 北海道から遠ざかっていく・・・、そう思うと寂しいものだ。

※本日の走行     263㎞
※本日のピースサイン  21回


<9月2日>
 昨日までの北海道を走っていた1週間が、なんだか夢の中の1週間だったような気がしていた。
 出航の遅れで寝たのが遅かったので、目が覚めたのは8時過ぎ。とにかくよく寝た。
 朝食は、山辺の中西農園のおばちゃんにいただいたトウキビと自販機のホットドッグ。甘くて柔らかかくて、とてもおいしいトウモロコシだ。


 午前中は新日本海フェリー恒例のビンゴゲームに興じた。往路の3等に続き、今回の復路でもホクレン賞の豆ご飯の具をいただいた。これはきっと来週のお弁当になりそうだ。僕はこれまで、3年前の1等賞も合わせ、4戦3勝となかなか運がいい。


 お昼はレストランでホエー豚のたれカツ丼。なんだかホエー豚が美味しく感じられるようになってきた。


 午後はフェリー乗り場で知り合ったハーレーのTさんとおしゃべりをしたり、サックスデュオの生演奏を聴いたり、露天風呂に入ったりして船旅を楽しんだ。


 夕食は、往路で食べたホエー豚のジンギスカン鍋。お気に入りになってしまったみたいだ。あれっ、妻はメニューの中で一番高価な蟹ごはんだ。これはちょっとうらやましかった。それ以上に、妻の思いっきりの良さに感服した。買えるお金があれば買えばいいし、無ければ買わなければいい。これが妻の持論らしい。だからローンは組まない。



 フェリーは出港が遅れたため、到着も1時間近く遅れ、敦賀港に上陸した時は9時半を過ぎていた。思ったよりは暑くはない。9月に入ると、日中は暑くても日が沈むと案外涼しくなる。


 敦賀市街に入ると、ちょうど敦賀祭の日で、人もクルマも大賑わいだった。それでも、10時少し過ぎには予約しておいたホテルアルファ1敦賀にチェックインし、夜はのんびりまったりして過ごした。夜の敦賀は涼しくてほっとしたが、明日豊田に帰る時はあっついだろうなあ~。

※本日の走行       8㎞

<9月3日>
 今日はただ豊田の自宅に帰るだけ。名古屋着の予定を敦賀着にしたため、計画より一日多く200km以上も走れるのはなぜかうれしい気がしていた。


 敦賀の朝は想像していたより暑くない。まずはホテル近くのローソンに寄ってアリナミンVでパワーアップ。ここまでは北海道を走っていた時と同じだ。入った店がセコマではないこと以外は。
 敦賀市街から交通量の多いバイパスを走って北陸道敦賀インターを目指した。そして、北陸道に入ると、琵琶湖を中心に広がる平地や伊吹山の麓の森の中を高速で走る。なんだかまだ北海道を走っているような錯覚。だけど、セコマもホクレンもない。
 北陸道を気持ちよく走って、米原で名神高速に入った。日曜日なので大型トラックも少なく、北陸道と同じように気持ちよく走ることができる。なぜかいい気持ちがする。養老SAで高速道路の高いガソリンを入れ、少し込み合ってきた一宮JCTで東海北陸道へと進路を変えた。そのまま走って豊田インターで出るのが最短コースだが、名古屋界隈の東名・名神はおもしろくない。ツーリング気分が味わえる大回りコースを選択した。
 飛弾高山方面にアクセス東海北陸道はさすがにたくさんのバイクが走っている。それだけでも楽しい。空は真っ青。絶好のツーリング日和だ。
 関JCTで東海環状道に入ると、まさに自然の中の一本道。時には、青い空と森の緑しか見えない景色になる。北海道ツーリングは終わってしまったが、家に帰る最後の最後まで、ツーリングを楽しんでいる。そんな思いでNinjaを走らせた。
 美濃加茂SAで昼食。またまた大好きなカレー。僕は飛騨牛コロッケカレー、妻は夏野菜カレー。カレー三昧だった北海道ツーリングの続きだ。




 最後のPA鞍ヶ池パーキングで、無事到着の乾杯用のコーラを買い、豊田松平インターを出た。我が家はインターのすぐ近くだ。午後1時頃に到着した。
 10日間も留守番をしてくれた高齢の母と僕たちの3人で、無事故、無違反、無転倒で無事到着を祝い、コーラで乾杯!!

※本日の走行     206㎞




 長いようで短い1週間だった。毎年北海道を訪れているが飽きることは絶対にない。それが北海道だ。心はすでに来年の北海道ツーリング・・・来年はどこを走ろう。
 北海道でピースサインを交わした200人以上のライダーのみなさん、いっしょに走ってくれたブログ仲間のうりさん、face bookに「いいね」をくれた多くの人たち、旅先で声をかけてくれた大阪のセロー氏、兄弟車に乗るヴェルシス氏、face bookで友達になったハーレーのTさん、10日間も一人で留守番をしてくれた母、そしてなによりも僕の我が儘につきあってくれた妻に心から感謝しています。
 来年も楽しい旅ができますように・・・。



にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする