先週のことです。
母が免許更新を期に運転免許証を返納しました。このところ高齢者の運転による重大事故が続いていて社会問題になっています。母はその事をあまり理解できていないようで、家の中で話題にすることはありません。ただ単純に、更新通知ハガキを見て決めたようです。
母は来月90歳の卒寿を迎えます。クルマも、ここ3年ほどはずっと走らせていません。
3年前の4月に父が他界しました。それまでの数年間、病院への送り迎えや、入院中は着替えなどを持って行ったりと、父の当時の愛車VWポロで毎日家と病院を往復していました。
最愛の夫を失った後は、まるで心が病んでいるかのようになってしまいました。父の死後も買い物などでポロを走らせてはいましたが、ポロに見覚えのない傷がついていたり、ガレージのシャッターにぶつかった跡があったり、ガレージから出ていくときのぎこちないクルマの動きなど、心配でたまりませんでした。
その頃から、僕たち夫婦は母に何度も運転をやめるように説得しました。「分かった」と言うこともありましたが、仕事から帰るとポロを走らせた形跡がありました。買い物に使ったようです。
3か月くらいして、クルマを売ってしまうことにしました。母も了解したものの、やっぱり僕たちが仕事に出ている間に買い物に使っているようでした。まるで「もう危ないから運転をやめる」と自分で言ったことを忘れてしまっているように。
買い物をするスーパーも、年金を受け取る金融機関も、行きつけの美容院も、クリニックも、どこも家から1~2kmの距離です。足腰の丈夫な母でも歩けば片道30分かそれ以上かかります。徘徊・・・という言葉が頭をよりぎりました。暑い夏には熱中症も心配です。それに年齢からくる体力の衰えも。そう思うと運転をやめさせることが辛くて辛くて仕方がありませんでした。父の形見のポロを売る時は涙が出そうになったことも覚えています。
今は、「ちょっと運動してくるわ」「歩かんと体が弱っちゃうから」と言って、母は歩いて出かけています。市役所など、少し遠い所へ行く時や雨降りの日などは僕や妻が母の足になっています。
警察署へは一緒に行きました。返納の手続きはすぐに済みましたが、運転経歴証明書の交付に1時間半ほどかかりました。
母の運転経歴証明書、なんだか僕には誇らしげに見えます。
なぜか、ありがとう・・・という気持ちでいっぱいです。なんでたろう。
危険回避と言えば、遅ればせながら寝室の家具をL字金具等で固定しました。
大きな地震なんて100年、1000年、1万年周期で起こるもの・・・なんてタカをくくっている場合じゃないような気がしてきたからです。この辺りは昭和19年の三河地震、東南海地震以来大規模地震は起こっていません。この2つの大地震は、戦争末期の苦しい時代に起こったため、国は国民の士気が落ちることを心配して報道しなかったそうです。なぜか急に、まだ7~80年しか経ってないじゃん!なんて言ってられないような気がしてきたのです。
僕自身、震度4までしか経験していません。大地震の本当の怖さを知らないのです。備えあれば憂いなし・・・なんとなくそろそろこの辺りでも・・・なんて悪い予感がしちゃったりして。南海トラフ云々の声も大きくなってきたような気もするし。そんなことを考えると、怖くて眠れんくなる。
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母が免許更新を期に運転免許証を返納しました。このところ高齢者の運転による重大事故が続いていて社会問題になっています。母はその事をあまり理解できていないようで、家の中で話題にすることはありません。ただ単純に、更新通知ハガキを見て決めたようです。
母は来月90歳の卒寿を迎えます。クルマも、ここ3年ほどはずっと走らせていません。
3年前の4月に父が他界しました。それまでの数年間、病院への送り迎えや、入院中は着替えなどを持って行ったりと、父の当時の愛車VWポロで毎日家と病院を往復していました。
最愛の夫を失った後は、まるで心が病んでいるかのようになってしまいました。父の死後も買い物などでポロを走らせてはいましたが、ポロに見覚えのない傷がついていたり、ガレージのシャッターにぶつかった跡があったり、ガレージから出ていくときのぎこちないクルマの動きなど、心配でたまりませんでした。
その頃から、僕たち夫婦は母に何度も運転をやめるように説得しました。「分かった」と言うこともありましたが、仕事から帰るとポロを走らせた形跡がありました。買い物に使ったようです。
3か月くらいして、クルマを売ってしまうことにしました。母も了解したものの、やっぱり僕たちが仕事に出ている間に買い物に使っているようでした。まるで「もう危ないから運転をやめる」と自分で言ったことを忘れてしまっているように。
買い物をするスーパーも、年金を受け取る金融機関も、行きつけの美容院も、クリニックも、どこも家から1~2kmの距離です。足腰の丈夫な母でも歩けば片道30分かそれ以上かかります。徘徊・・・という言葉が頭をよりぎりました。暑い夏には熱中症も心配です。それに年齢からくる体力の衰えも。そう思うと運転をやめさせることが辛くて辛くて仕方がありませんでした。父の形見のポロを売る時は涙が出そうになったことも覚えています。
今は、「ちょっと運動してくるわ」「歩かんと体が弱っちゃうから」と言って、母は歩いて出かけています。市役所など、少し遠い所へ行く時や雨降りの日などは僕や妻が母の足になっています。
警察署へは一緒に行きました。返納の手続きはすぐに済みましたが、運転経歴証明書の交付に1時間半ほどかかりました。
母の運転経歴証明書、なんだか僕には誇らしげに見えます。
なぜか、ありがとう・・・という気持ちでいっぱいです。なんでたろう。
危険回避と言えば、遅ればせながら寝室の家具をL字金具等で固定しました。
大きな地震なんて100年、1000年、1万年周期で起こるもの・・・なんてタカをくくっている場合じゃないような気がしてきたからです。この辺りは昭和19年の三河地震、東南海地震以来大規模地震は起こっていません。この2つの大地震は、戦争末期の苦しい時代に起こったため、国は国民の士気が落ちることを心配して報道しなかったそうです。なぜか急に、まだ7~80年しか経ってないじゃん!なんて言ってられないような気がしてきたのです。
僕自身、震度4までしか経験していません。大地震の本当の怖さを知らないのです。備えあれば憂いなし・・・なんとなくそろそろこの辺りでも・・・なんて悪い予感がしちゃったりして。南海トラフ云々の声も大きくなってきたような気もするし。そんなことを考えると、怖くて眠れんくなる。
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