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北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

2017北海道ツーリング道北・道東(後編)

2017-09-19 13:04:29 | 北海道ツーリング2017道北・道東
 前編からの続きです。

 8月26日から9月1日までの北海道(道北・道東)ツーリングの記録です。その前後も含め、かなりの長文になっています。そのため、一度に掲載することができず、前編と後編とに分けて掲載しました。
 もしよろしければ、前編から読んでいただけるとうれしいです。
 後編はブログで知り合った超晴れ女うりさんとの3人でのツーリングの途中からです。快晴の知床峠を出て、羅臼からオホーツク海に沿って走りました。
 一気に読んでくれる人も、少しずつ分けて読んでくれる人も、さらっと流して読んでくれる人も、大歓迎です。


(8月30日:前編から続く)
 北海道らしいまっすぐな道をいくつか走って、開陽台に行った。うりさんがすぐに向かったのは展望台ではなく、駐車場の端の方だった。うりさんの駆けていくのに続いて、僕たちもついていった。するとうりさんは、
「国後が見える」
と、指差して言った。

 「こんなこと、めったにないですよ。」
 さすが地元の人。うりさんと合流してよかった。僕たち二人だったら絶対に見落としていただろう。
 ちょうどお昼時だったので、展望台のカフェで昼食にした。カレー大好きな僕はその土地のカレーが食べたくて知床鶏のザンギカレーを注文した。女性軍二人はハチミツカレー。何も僕に合わせてカレーにしなくてもいいのにと思ったら、ご飯ものはカレーしかなかった。いつもながらカレーライスはうまい。知床鶏の唐揚げもおいしくいただいた。




 次は摩周湖だ。長い坂道を登って第1展望台から湖を眺めた。もちろん、緑の中にたたずむ湖ははっきりくっきり。世間では霧の摩周湖と呼ばれているが、僕は4戦4勝。今回で5連勝だ。これも晴れ女うりさんのおかげだと思った。お盆の時期を外して訪れたため観光客も少なく、ゆっくりと美しい景色を眺めることができた。



 ここまで来たら、硫黄山のゆで卵は外せない。硫黄山までは目と鼻の先。駐車場に入ってすぐに売店に駆け込み、ゆで卵を買って3人でベンチに腰掛けて食べた。硫黄山のゆで卵は、他のどこにもない独特の美味しさなのだ。硫黄風味?ちょっと違う気がするが、そうも思える。そして、硫黄の湯気のたつ噴火口を間近で見たり、遠く眺めたりして自然の息吹を堪能した。そうこうしているうちにどんどん時間が過ぎ、この後藻琴山展望台から屈斜路湖を眺めようと思っていたが何度も見ているので先を急ぐことにした。小清水町にお住まいのうりさんとはここでお別れだ。楽しい時間は過ぎるのも早い。うりさんには本当に感謝です。そして、はつらつとしたとっても素敵な方でした。




 硫黄山を出て、弟子屈から阿寒湖方面へと向かった。R241阿寒横断道路は北海道にはめずらしいコーナーの連続する峠道だ。国道はぐんぐん高度を増していく。標高が増すにつれて寒さも増してくる。8月というのに手はかじかんでくるし、ジーンズの膝も冷える。ある意味贅沢な話だ。地元豊田では33℃の暑さだと言うのに「寒い」を連発しているなんて。ネットで調べると明日の阿寒湖の最低気温は5℃。とてもキャンプができる気温ではない。温暖な地域に住む僕たちは凍死するよ、きっと。
 結局、今夜も温泉旅館泊ということにした。とても軟弱な夫婦ですが、薄いテントに夏のシュラフ。冷蔵庫の温度では寒すぎる。生きて帰るために、敢えて軟弱な道を選んだが、それが何か?
 ということで、阿寒湖温泉「山水荘」に泊まることにした。安い宿だが家庭的な献立のおいしい晩御飯に源泉かけ流しの気持ちのいいお湯。極楽極楽。実は、よく雨に降られて「いざという時の山水荘」が僕たち夫婦の阿寒湖温泉での合い言葉になっていた。幸い、今回も1部屋だけ空いていた。


 軟弱ついでに、明日もいい温泉を探そっと。明日の富良野の最低気温も一桁℃みたいだから。

※本日の走行     232㎞
※本日のピースサイン  31回


<8月31日>
 「山水荘」を出て、まずはオンネトーを目指した。
 オンネトーはなんとも神秘的な湖で、ひっそりとした森にたたずむエメラルドグリーンの澄んだ水、森の向こうには険しい雄阿寒岳とまるで富士山のように美しい雌阿寒岳がそびえ、とっても素敵な湖だ。僕たち夫婦にとって、阿寒方面に来たら絶対に外せない場所になっている。


 続いて、足寄を抜けてナイタイ高原牧場へと向かった。R241は、北海道のごく普通の道だ。おそらくクルマで走ったら、退屈でつまらない道だろう。バスや乗用車の助手席にいたら寝てしまうと思うような道だ。ところが、バイクで走っていると、エゾシカが現れるかもしれない、キタキツネに会えるかもしれない、牛たちがたくさん寝そべっている、見渡し限りトウモロコシ畑だなどと、常に期待と感動を覚えながら走る。だから、クルマも鉄道も大好きな僕は北海道だけは絶対にバイクで走ることにしている。こうして北海道の普通の道を走っていると、バイクの免許を持っていない人は損してると思うことがある。
 それにしても、天気はとってもいいけれど、寒い寒い。あまりの寒さに耐えきれず、途中の道の駅「足寄湖」で、防寒の意味でカッパを着た。
 上士幌からナイタイ高原牧場に向かった。高原全体、見渡す限りの大牧場を見ながら走る道だ。その美しさとダイナミックさは北海道ならではのもの。



 ナイタイ高原牧場に着いた頃、ちょうどお昼になったので仮設のレストハウスで十勝ハーブ牛カレーを食べた。またしてもカレー。玉ねぎが甘い。牛肉がうまい。見かけは普通のカレーだったが、味は最高だ。




 仮設のレストハウス・・・、2年前の台風でレストハウスは倒壊してしまったそうだ。
 赤いヴェルシス650の青年が、僕のバイクを見て、
「このバイク、僕のと兄弟車ですよね。」
と、声をかけてくれた。ニンジャとZとヴェルシスはフレームやエンジンなどが共通で、それが650となるととてもめずらしい。なんだかうれしくなってくる。
 しばらく見渡す限りの大平原、大牧場を丘の上から眺め、R274に戻った。
 道の駅「うりまく」でトイレ休憩をとった時、メールが届いていた。
 マイッタなあ。太平洋フェリーから、予約しておいた明日の名古屋行きの便が台風15号のため欠航との連絡だった。即座に、新日本海フェリー敦賀行きを予約して、まずは一安心だ。仕方がないわなあ、こればかりは。ここで迷っていると、おそらく太平洋便はすべて欠航だろうから、日本海コースが取れなくなってしまうと思った。
 予約したフェリーが欠航という緊急事態も、すぐに新日本海フェリーを予約して帰路を確保できたため、その後も何事もなかったかのようにツーリングを続けた。
 清水町からR38に入ると、次はお気に入りの勝狩峠だ。峠から南側を眺めると息を飲むくらいの大平原が見える。30年くらい前、初めて北海道をバイクで走ったとき、この峠でその壮大な風景に魅せられてしまった。


 峠を下ってJR幾寅駅に寄った。初めて訪れる駅だ。映画「鉄道員(ポッポ屋)」の舞台となった幌舞駅で、駅舎や駅周辺はロケのまま残されていた。JR根室本線の現役の駅(現在はバスで代行運転)だが、表示の看板のほとんどが映画の幌舞駅のままになっている。もう一度「鉄道員」を見てみたいと思った。北海道ツーリング初日の「思い出の黄色いハンカチ」といい、ここの「鉄道員」といい、高倉健のすごさも感じた。任侠モノは嫌いだったが。






 それにしてもやっぱり寒い。8月下旬の北海道の気候をナメてたことに気づいた。最低気温は平地では10数℃だが標高の高い所は一桁℃。夏のうっすいシュラフにツーリングテント、セーターもなければヒートテックのインナーも持ってきていない。僕たちはまだ死にたくないので、富良野の北ノ郷にあるスキー場の前の民宿「正直村」を予約した。
 R38富良野山辺から国道を外れ、北ノ郷の民宿に着いたのは5時半を過ぎた頃だった。部屋に入って、ますはフェリー乗船用に荷物の整理をした。明日の夜には北海道を離れると思うと、なんだかとても寂しくなってきた。日曜日に美唄でおいしいとりめしを食べて、明日はもう土曜日。1週間の短かったこと。




 晩ご飯は民宿の食堂でということだったので、民宿「正直村」オリジナルのじゃがバターラーメンとまぜごはんを食べた。初めての味だったかうまい。こうして、北海道最後の夜を過ごした。

※本日の走行     270㎞
※本日のピースサイン  31回


<9月1日>
 まるでペンションのような素敵な民宿「正直村」で、女将さんにお薦めの二つの展望台を教えていただいた。予定していて欠航になった太平洋フェリーは19:30発で夕方には苫小牧港に行きたいところだったが、変更した新日本海フェリーは23:30発。時間にはずいぶん余裕ができた。そこで、お薦めの二つの展望台に行ってみることにした。
 一つ目の展望台は「北の国から」の麓郷の先にある麓郷展望台だ。五郎の家のある麓郷の森をさらに奥に進み、ジャム工房の前を通り過ぎる。すると狭い上り坂になり、登り切った所に美しい花々に彩られた場所がパッと開ける。突然のダートに妻の「怖いよ~」の声がインカムから聞こえたが、狭い上り坂は一方通行なので行くしかない。


 砂利の駐車場にバイクを止め、ヘルメットを脱いだ妻の顔は恐怖におののいた顔かと思ったら、心はすでに花畑に向いているような表情になっていた。駐車場からは花に囲まれた素敵な展望台が見えた。
 展望台に上ると、それはそれ大絶景。美しい花畑から麓郷の丘を見下ろす素敵な景色が広がっていた。畑が生きている。生き生きとしている。麓郷はそういう所だった。


 一方通行になった出口は・・・なんと砂利ダートが400mくらい続く狭い下り坂。慎重にバイクを走らせ、後ろを走る妻をミラーで確かめながら砂利道を抜けた。抜けると同時にインカムから「ああ、よかった」とほっとする妻の声。怖い怖いと言いながらも、妻は百戦錬磨のライダー。苦行のようなコースを走れば、そこにはそれ以上の絶景が見られる。
 麓郷の集落に戻り、道道253で富良野に下りる。見渡す限りの農地の丘。絶景ルートだ。坂を下る途中にある展望台が、女将さんお薦めの二つ目の展望台だ。バイクを停めて眺めてみると、富良野の街からスキー場のある山並が一望できた。それに、展望台の雰囲気もいい。


 富良野を後にし、次に向かったのが美瑛のジェットコースターの道だ。一度走ってみたいと思っていたが、いつものお盆の時期の美瑛は大混雑で、バイクで走ってもおもしろくない。ところが、時期を外すと旭川と富良野を結ぶ幹線路R237も走りやすい。
 道道298の直線路から上富良野でR237に入り、深山峠を越えて美瑛町に入ってすぐの辺りから左に入るといきなりジェットコースターの道だった。国道を左折してすぐに「おおお~、すげえや」と声を上げてしまった。インカムからは妻が大笑いして「なに~これ」。
 勢いをつけて坂を下らないと登って行けないような上り坂が真正面に見える。絶壁とは言わないものの、かなりの急坂に見える。笑えちゃうほどジェットコースターみたいな道だった。登り坂に入ってバイクを停めて後ろを振り返ると、さっきすれ違ったバイクが坂をよじ登っているように見えた。ますます笑えてきた。ジェットコースターの道は実に愉快な道だった。


 お昼も過ぎ、そろそろ苫小牧に向かわなくてはならない時間になってきた。そこで、富良野に戻り、R38で南に向かった。
 母と、妻の両親にメロンを送らなくちゃ。そう思い、メロン屋さんの立ち並ぶ山辺で3年前のソロツーリングの時に立ち寄った中西農園に入った。その時の帰り際に中西のおばあちゃんが言った「また来てね。今度来た時に店が閉まってたら、私か旦那のどっちかが死んだと思ってね」という言葉が妙におもしろくて頭に残っていたからだ。バイクを降りるとき、「おばあちゃん生きてる」と思った。


 お腹がすいていたのでとりあえずトウキビ(トウモロコシ)を200円×2で昼食にしたところ、中西のおばちゃんがやってきて「メロン食べてけ」「カボチャ食べてけ」「トウキビ、もう1本ずつ持ってけ」と大サービス。3年前のことは覚えていなかったそうだが、3年前と同じだ。「スイカも食べてけ」と言われたがすっかりお腹はいっぱいになっていた。「もう無理」と言うと、じゃあ、トウキビ1本ずつ持ってけ」と、袋に入れてくれた。本来の目的の富良野メロンとキタアカリを家に送り、「また来てね~」の声に送られ、中西農園を出た。



 あとは、ひたすら苫小牧東港を目指すだけだった。R237で占冠を抜け、特大トレーラーを何台も何台も追い越しながら太平洋側の富川を目指した。途中の日高の道の駅で少し長めの休憩をとり、北海道最後の給油をした。そして、今回のツーリング最終日の北海道を楽しみながら、そして雰囲気を噛み締めながら走った。
 フェリー埠頭に着いてバイクを止めると、乗用車やトラック、トレーラーなどがどんどん増え続け、車両置き場もターミナルの中も込み合ってきた。僕たちと同じように、台風で欠航になった太平洋便からの乗り換えの人がたくさんいたということだろう。一つ前の便の新潟行きは、荷物や車両の積み込みに時間がかかり、1時間以上も遅れて出航した。一週間前に同じフェリーで北海道入りして宗谷岬で再会したセロー氏や、ナイタイ高原牧場で出会ったスキンヘッドのヴェルシス650の若者の姿もあった。近くに停めていたハーレーに乗る名古屋のTさんは、僕たちと同じで太平洋フェリーを予約していて急遽新日本海フェリーに変更したそうだ。「台風が来なかったら出会わなかったね」などと話していたが、実は台風が来なくても同じ船に乗るはずだった。




 新日本海フェリー「すいせん」は1時間以上遅れて苫小牧東港を離れた。
 北海道から遠ざかっていく・・・、そう思うと寂しいものだ。

※本日の走行     263㎞
※本日のピースサイン  21回


<9月2日>
 昨日までの北海道を走っていた1週間が、なんだか夢の中の1週間だったような気がしていた。
 出航の遅れで寝たのが遅かったので、目が覚めたのは8時過ぎ。とにかくよく寝た。
 朝食は、山辺の中西農園のおばちゃんにいただいたトウキビと自販機のホットドッグ。甘くて柔らかかくて、とてもおいしいトウモロコシだ。


 午前中は新日本海フェリー恒例のビンゴゲームに興じた。往路の3等に続き、今回の復路でもホクレン賞の豆ご飯の具をいただいた。これはきっと来週のお弁当になりそうだ。僕はこれまで、3年前の1等賞も合わせ、4戦3勝となかなか運がいい。


 お昼はレストランでホエー豚のたれカツ丼。なんだかホエー豚が美味しく感じられるようになってきた。


 午後はフェリー乗り場で知り合ったハーレーのTさんとおしゃべりをしたり、サックスデュオの生演奏を聴いたり、露天風呂に入ったりして船旅を楽しんだ。


 夕食は、往路で食べたホエー豚のジンギスカン鍋。お気に入りになってしまったみたいだ。あれっ、妻はメニューの中で一番高価な蟹ごはんだ。これはちょっとうらやましかった。それ以上に、妻の思いっきりの良さに感服した。買えるお金があれば買えばいいし、無ければ買わなければいい。これが妻の持論らしい。だからローンは組まない。



 フェリーは出港が遅れたため、到着も1時間近く遅れ、敦賀港に上陸した時は9時半を過ぎていた。思ったよりは暑くはない。9月に入ると、日中は暑くても日が沈むと案外涼しくなる。


 敦賀市街に入ると、ちょうど敦賀祭の日で、人もクルマも大賑わいだった。それでも、10時少し過ぎには予約しておいたホテルアルファ1敦賀にチェックインし、夜はのんびりまったりして過ごした。夜の敦賀は涼しくてほっとしたが、明日豊田に帰る時はあっついだろうなあ~。

※本日の走行       8㎞

<9月3日>
 今日はただ豊田の自宅に帰るだけ。名古屋着の予定を敦賀着にしたため、計画より一日多く200km以上も走れるのはなぜかうれしい気がしていた。


 敦賀の朝は想像していたより暑くない。まずはホテル近くのローソンに寄ってアリナミンVでパワーアップ。ここまでは北海道を走っていた時と同じだ。入った店がセコマではないこと以外は。
 敦賀市街から交通量の多いバイパスを走って北陸道敦賀インターを目指した。そして、北陸道に入ると、琵琶湖を中心に広がる平地や伊吹山の麓の森の中を高速で走る。なんだかまだ北海道を走っているような錯覚。だけど、セコマもホクレンもない。
 北陸道を気持ちよく走って、米原で名神高速に入った。日曜日なので大型トラックも少なく、北陸道と同じように気持ちよく走ることができる。なぜかいい気持ちがする。養老SAで高速道路の高いガソリンを入れ、少し込み合ってきた一宮JCTで東海北陸道へと進路を変えた。そのまま走って豊田インターで出るのが最短コースだが、名古屋界隈の東名・名神はおもしろくない。ツーリング気分が味わえる大回りコースを選択した。
 飛弾高山方面にアクセス東海北陸道はさすがにたくさんのバイクが走っている。それだけでも楽しい。空は真っ青。絶好のツーリング日和だ。
 関JCTで東海環状道に入ると、まさに自然の中の一本道。時には、青い空と森の緑しか見えない景色になる。北海道ツーリングは終わってしまったが、家に帰る最後の最後まで、ツーリングを楽しんでいる。そんな思いでNinjaを走らせた。
 美濃加茂SAで昼食。またまた大好きなカレー。僕は飛騨牛コロッケカレー、妻は夏野菜カレー。カレー三昧だった北海道ツーリングの続きだ。




 最後のPA鞍ヶ池パーキングで、無事到着の乾杯用のコーラを買い、豊田松平インターを出た。我が家はインターのすぐ近くだ。午後1時頃に到着した。
 10日間も留守番をしてくれた高齢の母と僕たちの3人で、無事故、無違反、無転倒で無事到着を祝い、コーラで乾杯!!

※本日の走行     206㎞




 長いようで短い1週間だった。毎年北海道を訪れているが飽きることは絶対にない。それが北海道だ。心はすでに来年の北海道ツーリング・・・来年はどこを走ろう。
 北海道でピースサインを交わした200人以上のライダーのみなさん、いっしょに走ってくれたブログ仲間のうりさん、face bookに「いいね」をくれた多くの人たち、旅先で声をかけてくれた大阪のセロー氏、兄弟車に乗るヴェルシス氏、face bookで友達になったハーレーのTさん、10日間も一人で留守番をしてくれた母、そしてなによりも僕の我が儘につきあってくれた妻に心から感謝しています。
 来年も楽しい旅ができますように・・・。



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2017北海道ツーリング道北・道東(前編)

2017-09-17 14:48:18 | 北海道ツーリング2017道北・道東
 8月26日から9月1日まで北海道(道北・道東)ツーリングの記録です。その前後も含め、かなりの長文になっています。そのため、一度に掲載することができず、前編と後編とに分けて掲載します。

 一気に読んでくれる人も、少しずつ分けて読んでくれる人も、さらっと流して読んでくれる人も、大歓迎です。

 大学勤務の僕の仕事は夏休みが遅い。お盆の時期に追試験・再試験があるため、8月下旬になってようやく休みを取ることができる。妻の勤務体系が変わったため、今年は5年ぶりに妻と2台のバイクで北海道をぶらぶらと走り回ることができることになった。これはうれしい。ここ4年間は、ソロツーリングかレンタルバイクで2泊3日の弾丸ツーリングだった。やっぱり、妻もバイクに乗る以上は2人で北海道ツーリングを楽しみたい。
 そして、もう一つ。道東ではブログで知り合ったUさんが同行してくださるとのことで、地元のライダーといっしょに走ることができるのも楽しみの一つになっていた。


<8月25日>
 週の最終日、荷物を満載したNinja650で出勤した。

 夕方、1週間の仕事を終えて、妻と待ち合わせの東海北陸道川島パーキングに向かった。先に着いていたのは妻。ハンドルにカッパを干して待っていた。関周辺は強い雨が降ってたようで、関パーキングで休憩もとらずに走り、雨の降ってない川島でカッパを脱いだところだった。


 あっつい。雨に濡れてない僕はとにかく暑くて暑くてたまらない。しかし、明日の夜には北海道だ。「寒い~」って言ってるぞ、きっと。
 それからは夕方とは思えない真夏の暑さの中、一宮JCTから名神高速に入り、西へとバイクを走らせた。
 交通量は多いもののペースは悪くない。伊吹PAでトイレ休憩をとり、米原JCTから北陸道に入って一気に敦賀まで走った。なんとか、日が沈む前に着くことができた。
 まずは晩御飯。乗船手続きを済ませ、フェリーターミナルのカフェでかき揚げうどんと鮭イクラミニ丼のセットを食べた。味は普通だが、タコの入ったかき揚げはでらうまだった。


 8時になってバイクを乗船場所に移動するようアナウンスがあった。その時、バイクはたったの3台。僕たち二人と大阪ナンバーのセローの若者が一人。フェリーの出航は0時30分なのでまだまだこれからやって来るだろうとは思ったが、8月も終わりに近いこの時期なのでせいぜい10台くらいかなあ。
 そうこうしているうちにフェリーが入港してきた。バイクが出てくる出てくる、30台くらいは北海道から帰ってきた。これから北海道に向かうライダーは・・・、10時を過ぎたらだんだん増え始め、乗船時にはなんと30台を越えていた。


 12時を過ぎてやっと乗船の指示があった。
 部屋に荷物を置いてすぐにお風呂に入った。こうして、長い待ち時間を過ごし、ようやく落ち着いた感じになれた。
 今日の午後8時半には北海道に上陸だ。天気もよさそうだし、いい旅になりそうな気がしてきた。大型船の心地よい揺れがゆりかごみたいになってきて、だんだん眠くなってきた。

※本日の走行     221㎞

<8月26日>
 昨日の夜が遅かったので朝は遅めに起きた。6時30分に一度目が覚めたが、早起きする必要もないのでそのまま寝続け、起きたのは8時30分。レストランの朝食が9時までだったので、のんびりと9時過ぎに自販機のホットドッグと焼そばで朝食にした。これが結構うまい。ちなみにメーカーはニチレイ。ニチレイはいい仕事をしているなあ。

 10時30分からビンゴゲームに参加した。3年前に一等賞で2000円券をゲットした思い出のビンゴゲームだ。「んなもん、うまくいくわけないじゃん」というふりをしていたが、実はかなり期待して参加した。アトラクションの津軽三味線の生演奏が終わり、ゲームが始まった。僕はなかなか運がいいらしく今回は3等賞で非売品の新日本海フェリーのクリアファイルをゲット。ちょっといい気分。


 お昼になってもお腹はすかない。一応、区切りのつもりでホエー豚カツカレーを食べた。元々お腹はすいてなかったのだから、お腹は超ぽんぽんになった。人間はお腹がふくれると眠くなるものだ。部屋に戻ってちょっと横になったら本格的に寝てしまった。午後の津軽三味線のコンサートに行くつもりだったが、寝すぎてしまって観ることができなかったのが少し悔しい。


 4時になってお風呂に入った。新日本海フェリーの魅力の一つが露天風呂だ。シャンプーしてすぐに露天風呂に入り、外を眺めた。すごくいい気持ちだ。右前に津軽半島、正面には霞んだ山々、左には下北半島が見える。船は津軽海峡を航行している。露天風呂に入るのは、津軽海峡を通っている3時から5時の間がいい。
 お風呂から上がり、6時20分に海に沈む夕日を後方デッキから眺めた。
 その後すぐに晩御飯を食べた。船旅最後の食事は北海道らしくホエー豚のジンギスカン鍋セットにあんかけ豆腐とフルーツ。ホエー豚は普通の豚より身がしまった感じがして、カツカレーには合わない気がしたもののジンギスカンにはバッチリで、おいしくいただいた。全部で1410円は安いと思えるほどだった。

 苫小牧港到着予定が8時30分なので、7時30分くらいから下船の準備を始めた。
 8時10分に車両甲板に行くようアナウンスがあり、まったく時間どおりに本当に8時30分にバイクで北海道に上陸した。

 夜のR235を西に向かって走り、9時20分には予約しておいたコンフォートホテル苫小牧に着いた。国道沿いにあるコンフォートホテルは分かりやすくていい。10時前に苫小牧市街のホテルに着いたのは初めてかもしれない。とにかくここまでは順調だ。
 天気予報では、明日の道央は暖かく、天気もいいようだ。

※本日の走行      27㎞

<8月27日>
 苫小牧を出てR234を北に進み、最初に訪れたのが早来の郵便局だ。雪だるまのポストで人気の郵便局で、一見の価値ありと思って行ってみた。雪だるまポストもおもしろかったが、敷地内にはもっと目立つやたらでっかい赤い雪だるまも。日曜日なのに倉庫では何やら作業をしている人がいた。ちょっと覗いてみると、赤い雪だるまの話や全国からの注文に応じて出荷している話などを聞かせてもらえた。この郵便局から出荷される雪だるまが公認雪合戦のPK戦の公式の的になったということで、今のうちから出荷の準備をしているとのことだった。北海道ツーリング初日の朝からなかなかおもしろい時間を過ごすことができた。


 次に向かったのが夕張。追分町インターから道東道を走り、久しぶりに黄色いハンカチ公園に行ってみた。
 あったあった、あの赤いファミリアが。昔の長屋の中がリニューアルされ、きれいな資料館になっていた。黄色いハンカチ・・・なぜか幸せな気分にさせてくれる。


 道道38で三笠方面へ。気持ちのいいコーナーの続く峠道だ。岩見峠を右へ左へとバイクを傾け気持ちよく走っているところで雨がポツポツと降り始めた。天気予報では全道晴天って言ってたのに。路面も濡れていたのでカッパを着たら、ほんの数100mほどで道路はドライ。晴天の下で再び右へ左へとバイクを傾けながらツーリングを楽しんだ。
 三笠インターから美唄インターまでの1区間だけ道央道を走って妻の生まれた町、美唄に行った。妻の生まれ故郷は僕にとっては絶対に外せない町だ。寂れた廃炭鉱街を散策し、ノスタルジックな気分に浸ったあと、いよいよお楽しみの美唄名物とりめしでお昼御飯だ。

 ツーリングマップルに載っているR12沿いの「しらかば茶屋」。これがまたバカうま。テイクアウトで今夜の晩御飯の分も買って店を出た。

 比布北まで道央道を走り、比布からはR40で北上。士別のホクレンで給油し、待望の赤いホクレンの旗をゲット。ここからはホッカイダーらしくホクレンの旗をなびかせて走る。

 名寄と言えばヒマワリ。ヒマワリの季節は終わっているはずだが、一応智恵文のヒマワリ畑に行ってみた。なんと、まだ少しだけ残っていた。しかも、地元の人がめずらしいヒマワリがあると教えてくれたので行ってみると、赤や白やギザギザの花びらのやら、おもしろいヒマワリをいっぱい見ることができた。これには妻も僕も大感激だ。寄ってみてよかった。



 5時頃、美深のキャンプ場に着いた。ところが、なんか急に体がグタ~となってきて、
「なんかえれ~(えらい、ダルい、疲れた)よ、オレ」
となって、テントを設営する気になれなかった。涼しいのに暑く感じて脂汗が出る。手が震える。さっきまで元気だったのが、なんかおかしい。
「大丈夫?」
「すぐに横になった方がいいんじゃない?」
妻が心配そうに僕の顔をのぞき込む。
 歳は取りたくないもんだ。それより、明日からのツーリングが心配になった。走れるのかなあ、オレ。
 キャンプ場の敷地内にあるホテル美深温泉に飛び込んだ。晩ご飯は無理だが、泊まることはできるとのこと。部屋に入り、少しの間横になって、お昼に買った美唄のとりめしを食べてひたすら寝た。食欲は落ちてないのでたぶん大丈夫だと思った。人間は食って寝れば、たいていの疲れは治るものなのだから。

 それにしても、体力なくなったなあ、オレ。1週間の仕事疲れがこんな形で出るなんて。きっと宗谷岬に行って、マミリン(間宮林蔵)の像を見れば、パワーも復活するだろう。それにしても、おもしろい一日だった。バテたけど。
※本日の走行     335㎞
※本日のピースサイン  54回

<8月28日>
 朝起きて、なんとなく復活できたようなできてないような・・・。
 とにかくよく寝た。土曜日はフェリーの中でのんびりと過ごしたはずなのに、昨日1日走っただけなのになぜかまだ疲れていて調子が出ない。一週間の仕事を終えてからの出発は、やっぱりきついのかなあ。こうなると、仕事をやめるか、それともロングツーリングをやめるか、このどちらかしかないって思ったね。もちろん、答えは迷わず・・・だよな。
 で、なんだか調子出ないなあと思いながら朝風呂に入った。実は、美深温泉には毎年入っていて、すごくいい気持ちになれるお湯だ。なんとなく、ちょっとシャッキリって感じにはなった。

 美深温泉を出てR40を北上。音威子府のセコマでアリナミンVで気合いを入れ、佐久から道道119でオロロンラインに向かった。道道119は森の中を走るワインディング。キタキツネに会えるかもしれないと思ったが、見たこともない小動物の死骸を1匹みただけ。妻はインカムで「今の、オコジョじゃない?」と言っていたが、確かに似てた。でも、生息してるのかなあ。
 R232に出て、道の駅「てしお」でトイレ休憩をとり、いよいよ道道106だ。
 すごいね、オロロンラインは。左に日本海、右にはサロベツ原野。もう最高だよ、ここは。これだから北海道ツーリングはやめられない。東のエサヌカ線に比べて、なんだか華があるね、オロロンラインは。

 稚内に着いてまず行ったのがJR稚内駅。何度も何度も宗谷に来ているが、日本最北端の駅に来たのは初めてだった。線路の先っぽに大感激。なんと言っても、ここから先には日本の鉄道はないのだから。

 お昼を過ぎていたので、駅に隣接の道の駅「わっかない」に行き、お昼御飯にした。

 注文したのは宗谷黒牛ハンバーグのライ麦サンドと北海道スープカレー。これがまたうまいことうまいこと。北海道の食べ物はどれもうまい。

 それから北防波堤、稚内漁港を見て、宗谷岬を目指した。毎年訪れる最北端の岬だが、稚内側からは久しぶりなのでいつもよりワクワク感も高まってくる。最北端というのは特別な地なのだ。
 宗谷岬に到着した。
 ん?・・・バイクから降りたらすぐ隣には見覚えのあるセロー。同じフェリーに乗っていて、また初日のホテルでもいっしょだった名古屋の青年のバイクだ。広~いホッカイドー、すごい偶然だが、北ツーあるあるだね、これは。

 彼もよく似たコースを走ったようだが、明日の朝は雨の予報だから今日はどこかの宿を探さないといけないなあと言っていた。そう、29日と30日は道内全域雨マークになっていた。今のところ雨は落ちてこないし、空も明るい。キャンプは無理にしても、宿に着くまでは降らないでほしいものだ。
 最北端の碑を見て、その後誰にも悟られないように僕たち夫婦が北海道ツーリングの神と崇めているマミリン(間宮林蔵)の像に「来年もまた来られますように」と拝み、宗谷岬を後にした。


 次のお目当ては農道エサヌカ線。西のオロロンラインと対をなす大自然の中の道だ。
 地平線しか見えない直線路。標識も看板もな~んにもない大草原の中の一本道。すごすぎる~。

 明日の朝は雨の予報。キャンプはできない。カムイ岬公園パーキングから枝幸町のホテルを予約した。宿が決まるとほっとする。
 初めてスマホをカーナビにして電話予約をした「ホテルニュー幸林」に向かった。今さらながらスマホって本当にすごいものだと思う。
 今夜の晩御飯は華ちらし御膳。枝幸名産の毛ガニを焼きながら食べた。温泉のお湯もいい。明日は知床ウトロだ。

 体調?・・・あれっ?いつの間にか復活している。去年他界した父がよく言ってた。「遊んでいるときはいつも元気」と。間違いなく僕は父の血を継いでいる。
※本日の走行     278㎞
※本日のピースサイン  40回

<8月29日>
 2度目の緊急メール(Jアラート)で目が覚めた。「先ほどこの付近の上空をミサイルが通過しました。」だと?1回目は寝ぼけてアラームと間違えて消してしまったが、北朝鮮からミサイルが発射されたというメールだったのだろう。
 窓を開け、東の空を見たらほっそい棒がケツから火を吹いて・・・違った、天気予報どおり雨が降っていた。ホテルニュー幸林さんがテントの下にバイクを置かせてくれたので、荷物のパッキングはやりやすそうだ。
 友達からメールが来た。開いてみると「見た?」とだけ書いてあった。「ほっそい棒がケツから火を吹いて飛んでった。うそピョンヤン」と返事メールを送信した。
 おいしい朝食を食べ、8時半頃にカッパを用意して外に出ると、なんと雨は上がっていた。なんと、薄日もさしてきた。日頃の行い良さの表れ?かなあ。

 まずは、最初のセコマでアリナミンVでパワーを充填。そして、ひたすらR238をオホーツク海に沿って網走方面へとバイクを走らせた。
 紋別で巨大なカニのハサミのオブジェを見てサロマ湖へ。いったい何のために作ったんだろう。

 曇り空ながら幸い雨は降ってこない。白いオホーツクの海といかにも北海道という草原と畑と森の風景を楽しみながら南に向かって走り続けた。いい感じだ。
 お昼は、サロマ湖手前の道の駅「愛ランド湧別」でホタテフライカレーを食べた。また今回もカレーだ。味は・・・特別なものはなかった。まあ普通のカレーかなあ。

 サロマ湖がきれいに見える場所がよく分からない。そこでキムアネップ岬に行ってみることにした。行ってみたが、岬がどこだか分からなかった。パーキングの近くにはサンゴ草群生地があり、その周辺も自然の花畑になっていた。少しだけ散策して、サロマ湖を後にした。

 走りにくい網走の市街地を抜け、小清水原生花園に寄ってみた。僕は花の季節が終わった原生花園よりも、西側に広がる涛沸湖を眺めたかった。何年か前に、湖面全体から湯気が上がる幻想的な風景を見て、なんて素敵な風景だろうと思ったからだ。
 今日は湯気は上がっていなかったが、それでも、やっぱりいい感じだ。

 今日の宿泊は30年来の超リピーターになっている知床ウトロの民宿旅館「酋長の家」と決めてある。斜里からR334でウトロに向かった。その途中にあるのがツーリングマップルに紹介されている「天まで続く道」だ。一昨年、ソロで走った時、絶対に妻に見せてあげたいと思った風景だ。
 天まで続く道のある風景は、僕は二度目だが、妻は初めて見る景色。「すっごーい」を連発している。二度目の僕でさえ感動モノなのだから、本当にすごい風景だと思う。確かに目の前の道が天まで続いているように見える。

 5時半頃、女将さんの大歓迎を受けて「酋長の家」に着いた。女将さんはアイヌの方だ。アイヌ民族の話を聞きながらアイヌの料理をいただき、知床の夜を過ごした。

>※本日の走行     298㎞
※本日のピースサイン  30回

<8月30日>
 ウトロの朝はどんより雲っていて「また今回も知床峠は真っ白な世界なんだろうなあ」と二人でため息をついていた。とにかく、僕たちは知床峠に嫌われている。僕か妻のどちらかが雨男、雨女なのか、ウトロで晴れていたのに知床峠は嵐だったという年もあったほどだ。
 「酋長の家」には酪農大学の学生の実習で若者たちでいっぱいだった。今どきの若者は本当にいい子だと思う。みんな行儀よく食事をし、夜も僕たち一般客に迷惑にならないような行動を心がけていたように感じた。昔の若者はひどかった。夜は大騒ぎしてたものだ。
 学生たちが出て行った後、宿の女将さんに丁寧に丁寧に見送っていただき「酋長の家」を出た。

 今日は、ブログで知り合ったうりさんとウトロの道の駅で合流し、3人で走ることになっている。こういう経験は初めてで、どんな人か分からずちょっと不安だった。
 うりさんがハーレーのナナハンに乗ってやってきた。丈夫そうな女性だ。僕たちが雲のかかった峠の方を見上げると「大丈夫。わたし、晴れ女だから。」とうりさん。とっても気さくな方でほっとした。
 不思議なことに、知床横断道路を登っていくにつれてどんどん青空が広がってくる。その逆はあっても、こんなことは初めてだ。峠は雲一つない澄んだ青空。

 「地元のわたしでも、こんなにきれいに見えたの初めて。」
と、うりさんが声を上げるほどすばらしい景色が広がっている。30kmも離れた国後島がはっきりと見える。しかも、海にだけうっすらと雲がかかっていて雲海の上に国後が浮かび上がったように見えた。目の前の羅臼岳もくっきりと見えていた。これまで知床峠では1勝7敗。うりさんのおかげですばらしい2勝目を上げることができた。


 知床横断道路で羅臼に出て、ひたすらオホーツク海沿いの国道を走った。雨の予報だったのが曇りの予報になっただけでもありがたかったのに、実際の天気は晴れ。うりさんの晴れ女ぶりはすごすぎだ。

(後編に続く)


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2017.9 天竜峡ツーリング

2017-09-12 12:31:05 | ニンジャ650の部屋
 先週の土曜日、1週間前に北海道ツーリングから帰ったばかりなのに、またまたバイクで走りたくなりました。北海道ツーリングがただ今ツーレポ作成中。毎日寝る前にこつこつと書き進めています。感動が多すぎて、超大作になりそうです。そうして迎えた休日。いい天気です。いい季節です。走るしかないですよ~。



 と言うことで、この日の目的地は長野県と静岡県の県境に近い長野県伊那(南信)の天竜峡。きっと、秋の気配が感じられることでしょう。
 南側から伊那路に向かうには、豊田、足助からのR153、もう一つが豊橋、新城からのR151。豊田に住む僕たちはいつもR153ルートです。R153は走っていてとても気持ちのいい道なのです。飽きるくらい走っています。
 そこで今日は、一度も走ったことのないR151を走ってみようと思いました。
 豊田松平インターから新城までは東海環状道と新東名でと思い、インターに向かうと国道の表示に「新東名岡崎火災通行止」となっていました。瞬時に、足助からいつものR153で行って、帰りにR151を走ろうと決め、インカムで後ろを走る妻に伝えました。楽しみは後にとっておくというコースです。
 松平から足助に出ると、追分の交差点でちょっとした渋滞。絶好の行楽日和ですから仕方がありません。その後も稲武の街に出るまでペースが落ちたり止まったり、なかなか気持ちよく走れず、イマイチ調子が出ませんでした。のんびりツーリング派の僕は速く走りたいわけではないのですが、R153の素敵なワインディングを時速40kmから50kmでは・・・。結局1時間以上もかかってやっと豊田市を抜け、気合いが入らないまま長野県に入りました。


 長野県に入っての最初の村根羽村の森の駅ネバーランドで休憩して再び走り始めると、クルマの流れも良くなり、標高が上がるにつれて涼しくなり、ツーリング気分もアップ。R153後半は、やっぱりバイクっていいなあと思えてきました。
 阿智村から飯田に入り、飯田山本インターから三遠南信道路(無料区間)で天竜峡へと向かいました。
 JR飯田線天竜峡駅近くにある川下りの舟乗り場の足湯に行ってみました。バイクを置いて、まずはすぐ前の昔ながらの食堂でお昼ごはんです。信州と言えば蕎麦でしょうということで、僕も妻も天ぷらそばを注文しました。




 おいしい天ぷらを食べて、美しい天竜峡の渓谷を眺め、仕上げは足湯です。「りんご足湯」と名付けられた舟の形をした足湯に入ると、ややぬるめのお湯がやんわりと足の疲れを癒してくれます。足湯から眺める風景は美しい南信州の山々に包まれています。そに景色の中に飯田線のローカル列車が走る様は、鉄道写真の好きな人にはたまらない風景かもしれません。ちょっと長めに入っていました。











 帰りはもちろんR151です。バイクで走るのは初めての道です。
 初めて・・・というのは本当におもしろい。



 飯田からしばらくの間は典型的なローカル国道で、日帰りツーリングなのに旅気分が満たされます。阿南町辺りまでののどかな国道は愛知県との県境の信野峠で気持ちのいいワインディングロードになり、バイクを右へ左へと傾けながら走る道になりました。その後、愛知県に入って豊根村から東栄町までは集落と集落を結ぶS字コーナーが連続する山坂道。天気はいいし、秋の気配が感じられる山々もいい。空気はうまいし、気温もちょうどいい。「サーキット禁止」の古い看板が笑える。かつてはいたんだな、膝すりすり走りが大好きな若者たちが。
 トイレ休憩のつもりで立ち寄った豊根村の道の駅でソーセージを1本。手作りっぽくてうまい。



 再びR151を新城目指して走る。R151はR153より道幅は狭いが素朴な雰囲気がいい感じで、すごく気に入ってしまいました。
 新城市に入って、鳳来峡インターから三遠南信道路(無料区間)で新東名へ。新城パーキングで休憩をとり、あとは一気に豊田松平インターを目指しました。



 天竜峡の渓谷美も、足湯も、そしてR151のローカル色豊かなワインディングも、どれも気に入ってしまいました。約260kmほどのショートツーリングでしたが、やっぱツーリングは楽しい。
 翌日曜日は心と体の休息日。週1日はだらだら過ごさないと体がもちません。そんな歳になってしまいました。
 午前中は北海道ツーリングで汚れたNinjaをきれいに洗いました。妻もいっしょにVTRの洗車です。最後に拭き上げた時の満足感。Ninja650・・・なんてカッコいいバイクだろうと、一人ニヤニヤ。



 夕方になって、妻の実家に行き、妻のご両親と4人で豊田藤岡の川口やなへ鮎を食べに行きました。やっぱりうまい。川からの風も心地よい。魚は骨を取るのがめんどくさくてちょっと苦手だけど、鮎は別。この日のコースは、塩焼き、鮎田楽、フライに甘露煮、そして鮎御飯。





 ゆっくり休んで昨日からまた仕事、仕事・・・やること山積。
 今週末はどこ行こう。



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