相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

中華街の唯一の教会「横浜華僑基督教会」

2019-04-21 09:01:36 | 教会
横浜市中区山下町に年末の買い物客や観光客でにぎわう横浜中華街北東エリア端の東門近くに「横浜華僑基督教会」はある。同教会は1950年代、アメリカ人のハンネスター宣教師によって開拓され、以降は中国人牧師や日本人牧師が牧会と伝道を担っている。白色の建物ではあるがアーチ系の入口、そしてその横に架けられている赤い十字架、漢字の教会名、建物上部の尖塔がなければ教会とは分らず通り過ぎてしまうほどである。直線的でシンプルなデザイン、一見マンション風でもありやや無機質な飾り気のないのでおおよそ教会らしくない外観である。一昨年創立60周年を迎えた。当教会には現在、礼拝に集う信徒数は華僑、中華街で働く約400人、日曜礼拝は午前中に中国語、午後は中国語と日本語のバイリンガル礼拝、夕方からは日本語のみの礼拝が3回に分かれ行われている。礼拝を先導するのは2013年に来日した王壽誠牧師と妻の藩文后牧師。仏教以外にも中国華僑の人々には欠かせない存在となっている。(1904)







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優美なゴシック様式の「横浜海岸教会」

2018-04-13 19:42:02 | 教会
横浜市中区日本大通り「開港資料館」を東側より出た、開港広場の一角に1872年(明治5年)に設立された日本で最初の「プロテスタント教会」、正統的な「キリスト教信仰」にもとづく教会「横浜海岸教会」はある。明治8年(1875)に献堂された最初の建物は関東大震災で倒壊・焼失したため、1924年に木造の仮会堂を献堂、昭和8年(1933)献堂されたものである。白壁に上部にローソクの炎を模る縦長の窓が整然と並びゴシック様式の尖った三角屋根の鐘塔が印象的である。2014年12月まで大改修工事を実施後、再びゴシック・モダンが蘇った。綺麗で優美な外観をした教会である。(1804)








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白亜の聖堂が美しい「小田原ハリストス正教会・聖神降臨聖堂」

2017-11-03 08:06:57 | 教会
小田原市栄町にひと際白亜の木造の聖堂が美しい「小田原ハリストス正教会・聖神降臨聖堂」はある。ハリストス正教会は東方正教会とも呼ばれキリスト教が生まれた中近東を中心に、ギリシャ、東欧から、ロシアへ広がった。日本へは江戸時代末期、函館のロシア領事館付きの司祭として来日した「ニコライ」によって伝道された。小田原教会は1877年に聖ニコライ大主教が神父であった時に洗礼を受けた「イオナ友田清兄」と「イオシフ峰義準兄」によって始められた教会である。二年後には信徒たちの聖堂を建てたいという思いから始めた募金活動によって1887年には白亜の木造の聖堂が建立された。最初の聖堂は関東大震災のときに焼失後、塔ノ沢にあった小聖堂が1937年購入した土地(栄町)に小田原教会は移築された。1969年には現在の「聖堂」が建てられ1983年には「信徒会館」と「司祭館」が新築され、現在の美しい白亜の聖堂となった。(1710)






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ゴシック・モダンが蘇った「横浜海岸教会」

2017-05-04 22:18:20 | 教会
横浜市中区日本大通り「開港資料館」を東側より出た、開港広場の一角に1872年(明治5年)に設立された日本で最初のプロテスタント教会、正統的なキリスト教信仰にもとづく教会「横浜海岸教会」はある。現在の会堂は1933年(昭和8年)献堂されたもので、1875年(明治8年)に献堂された最初の建物は関東大震災で倒壊・焼失したため、1924年に木造の仮会堂を献堂、そして現在の会堂が献堂されるまで使われていた。白壁に上部にローソクの炎を模る縦長の窓が整然と並び、ゴシック様式の尖った三角屋根の鐘塔が印象的である。2014年12月まで大改修工事を実施しゴシック・モダンが蘇った。綺麗で美しい外観をした教会である。(1705)






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カトリック平戸教区の主管教会「平戸ザビエル記念教会」

2016-11-15 16:37:45 | 教会
平戸瀬戸を見下ろす高台に「空に向かう宇宙船」とも表現され尖鋭屋根と十字架が特徴の教会「平戸ザビエル記念教会」はある。カトリック平戸教区の主管教会である。ザビエルと名がつくように宣教師フランシスコ・ザビエルが天文19年(1550)ここ平戸で布教を始めて以来、入信、迫害、潜伏、復活という希有のキリスト教史を代表する教会で昭和6年(1931)に建設された。鉄筋コンクリート造りのゴシック様式で全長32.7m、全幅10.9m、塔高は36.3mである。聖堂の正面中央に大塔、左にだけ小塔を配したアシンメトリーな外観・壁面は柔らかな印象漂うモスグリーンの美しい教会である。教会敷地内には献堂40周年を記念して白亜の「聖フランシスコ・ザビエル像」が建てられている。堂内は淡いクリーム色に統一され、高度建築技術を窺わせる柱頭のマーブル模様、15mの天井、ステンドグラスや内部の家具や調度品は思いのほか質素な印象である。「瑞雲禅寺」、「光明寺」、「正宗寺の」3つの寺院の瓦屋根と「平戸ザビエル記念教会」の屋根(十字架)が一緒に見える「寺院と教会が見える風景」のシンボリックな存在の一つとなっている聖堂である。(1611)
















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