相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

相模原市と座間市が開催の「大凧まつり」が一週間後に!!

2023-04-28 18:26:28 | 祭り・イベント
相模原市と座間市の両市の5月の一大イベント「大凧まつり」が一週間後に迫って来た。開催日は5月4、5日である。この「大凧まつり」は江戸時代から続く伝統行事で最後に揚げられる「大凧」(相模原が8間/座間が7間半)は圧巻である。皐月の青空に舞う「大凧」に書かれる題字が先月初旬に相模原市は「勝風」(しょうふう)、座間市は「華風」(はなかぜ)と既に決定している。本日、相模川の芝桜は如何かと訪れると2年前まで1.6キロの芝桜ラインの面影はなく今までの「芝桜まつり」の残りの白の苗が少しだけ開花していた。新磯の大凧会場では「8間凧」の骨組みが完成しており、あとは題字の紙が貼られるだけとなって横たわっている。凧揚げで大切なのは天候と風である。残念ながら開催日の5/4と5の天候が予報を見るかぎり曇り(か雨)とあまり良くない。相模原市は4年振りの開催であることからもなんとか回復してほしいものである。(2304)
 
 
 
 

2019年相模原市の大凧「令和」の画像
 


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かつてフランス領事館で浦島寺と呼ばれている「吉祥山慶運寺」

2023-04-28 11:41:12 | 寺院
神奈川区神奈川本町に江戸後期の横浜開港の際、「フランス領事館」として使用されていた浄土宗寺院「吉祥山慶運寺」は鎮座する。創建永享年間(1390-1440)から文安年間(1441-1447)。慶長4年(1599)に徳川家康より寺領7石を拝領、多くの末寺を擁する中本寺格の寺院であった。本尊は阿弥陀。明治期に入り浦島太郎の伝説が伝えられていた「観福寺」(浦島寺)を合寺したことから、当寺に浦島太郎の伝説が残されている。第一京浜と第二京浜を結ぶJR東海道線と京浜急行線に挟まれ滝野川沿いにあり「山門」脇には「フランス領事館の石柱」、亀の台座の上に立つ「浦島寺碑、浦島親子塔の石碑」が残されている。「山門」を抜けると右側にやはり浦島伝説の亀を施した「手水舎」、その奥に入り母屋造り風の「本堂」、右に「庫裏」、本堂の前に「浦島観世音堂」、勅願所の石柱がある。当寺は旧小机領三十三所子歳観音霊場9番である。(2304)
 
 
 
 
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天慶年間に創祀、附近一帯の産土神「笠䅣稲荷神社」

2023-04-28 07:37:37 | 寺院
横浜市神奈川区東神奈川、天慶年間に創祀で附近一帯の産土神として崇められている「笠䅣稲荷神社」は鎮座する。社歴は古く天慶年間(938-947)に淳和天皇勅願所「浦島院観福寺」の僧侶が稲荷山の中腹に社殿を建立し「伏見稲荷大社」の御分霊を勧請した創祀した。元寇に当たっては北條時宗より神宝=菊一の銘刀と神鈴を奉納された古社である。元禄2年(1689)山麓に遷座、社前を通行する者の笠が自然に脱げ落ちるということから「笠脱稲荷大明神」と呼ばれ後に別当能満寺の阿闍梨が笠脱の一字を訂正し禾に皇を添えて「笠䅣稲荷大明神」と改称した。社地が鉄道敷設用地となり明治2年に当地へ遷座、明治17年村社に列格している。「良泉寺」前を左折し「京急線」ガードを潜り抜けた前に構えられた鳥居を抜けると正面に「社殿」がある。境内鳥居左には鎌倉時代末期から南北朝時代の慰霊碑「板碑」(横浜市指定有形文化財指定)がある。境内社として古峯神社、祖霊社、庚申塔、地神塔日露戦役記念碑がある。(2304)
 
 
 
 
 
 
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