相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

今、一番目に留まる「シラン」が可憐な紫の花を披露中!!

2023-04-27 21:24:46 | 公園・庭園
今、公園や寺院や神社はもとより散策路、土手、個人のお家、道路脇の植え込みなどで一番見かけ、目に留まるのが「シラン」の花である。「シラン」(紫蘭)は「ラン」の中でも一般的に親しまれている花である。「シラン」は春になると地下に連ねた地下球からササのような葉茎を伸ばし、先端に赤紫色の華麗な花を咲かせる。「紅蘭」とも「白笈」とも呼ばれる。花形はどことなくチューリップに似てなんとも可愛らしい。よく見ると花は外花被片3枚と内花被片3枚である。俯いたように咲くことから「美しい姿」の花言葉が付けられた。開花期間も3月~5月と長く来月まで楽しめる長持ちの花である。(2304)
 
 
 
 
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東国と武南の二つの霊場となっている「海運山能満寺」

2023-04-27 09:43:19 | 寺院
横浜市神奈川区東神奈川に横浜に古くからある高野山真言宗寺院「海運山能満寺」(満願院)は鎮座している。正安元年(1299)=鎌倉時代に網元漁師の内海新四郎光善が海中出現の仏像(霊像)より託された仏の言葉をもとに重蓮法印が開山・建立。本尊は虚空蔵菩薩。内海家は慶長6年(1601)に徳川家康から伝馬朱印状を受けた神奈川町名主であった。当寺はかつては本牧の「多聞院」、藤澤の「荘嚴寺」と共に、関東の三末寺と称せられていた。幕末時には8間に5間の本堂を誇っていたが明治元年に宿中の大火により緣起・記錄等を消失している。往時は境内に「神明社」が鎭座していたが維新の際に神仏分離令により分離した。帝釈天の配下で仏教世界を護る神様「持国天」、「増長天」、「広目天」、「多聞天」が鎮座している立派な二層の「山門」より入山すると右側に六地蔵、境内正面に入り母屋造「本堂」がある。左側に庫裏がある。当寺は「東国八十八カ所霊場」の18番、「武南十二薬師霊場」の第10番であり、当地でかなりの大寺である。(2304)
 
 
 
 
 
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徳川幕府より境内地の施入を受けた「海岸山良泉寺」

2023-04-27 07:57:51 | 寺院
横浜市神奈川区新町に浄土真宗大谷派寺院の「海岸山良泉寺」は鎮座している。本願寺第8世蓮誉上人(応永22年1415〜明応8年(1499)に帰依した宣教房聞海が小机付近の旧街道沿いに草創(開基)、慶安元年(1648年)に入寂した4世良念(慶安元年1648年寂)の代に徳川幕府より境内地の施入を受け現在地に移転、本山から本尊の阿弥陀如来と寺号を授与さる。幕末になると横浜が開港し、神奈川宿内の各寺が諸外国の領事館に充てられたが、快よしとしない当寺住職が本堂の屋根をはがし修理中と口実を付け、幕府の命令を断ったといわれる。京急神奈川新町駅、神奈川公園通り近くの住宅街の一画に構えられた「山門」より入山すると正面に入り母屋造りの「本堂」、右に「庫裏」がある。その横には藤棚でフジが満開である。また境内の墓所には横浜で生糸商「糸屋」で成功し「天下の糸平」といわ れた田中平八、駿河出身で茶専門大問屋「岡野屋」の岡野利兵衛、筝曲山田流代表で盲目の人間国宝越野栄松が眠っている。(2304)
 
 
 
 




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