相模太夫の旅録=Tabi Log

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綾瀬に「お助け観音」として知られる「陽廣山報恩寺」

2024-01-10 08:50:28 | 寺院
綾瀬市寺尾南に「お助け観音」として知られる曹洞宗寺院「陽廣山報恩寺」は鎮座している。創建は慶長7年(1602)。本尊は釈迦如来。慶安2年(1649)寺領八石の御朱印状を受領、近隣に末寺を擁する小本寺格の寺院である。当寺の前身は800年前に源頼朝旗揚げ時に功績があった早川に住んでいた渋谷重国の子孫「渋谷重名」が住んでいた頃、名は異なるが「法音寺」があり約200年続いたとある。「おたすけ観音」の縁起は文献によると当山27世「太嶽洞源大和尚」が台湾の正蕃征伐時、山奥の作戦中滝の前で座禅中、滝の中に拝した観音様に戦友達が戦死する中で無事に帰還出来たのはこの観音様のおかげ、助けられたと感じられ「観音石像」を刻み境内に安置された。観音像を描き皆に配布、第二次大戦中「おたすけ観音」として県内を始め東京等から多くの人が参拝した。当寺は東名高速の下にあり「表門」(寺門)から石畳の参道が続き「山門」より入山すると正面に大きい入り母屋造りの「本堂」、左手に「鐘楼」と五代将軍家綱の生母桂昌院の位牌が祀られている「観音堂」が建ち並ぶ。南側の御堂に祀る金毘羅大権現は13世雪子玄肇大和尚(1752卒)が勧請。寺尾の金毘羅様は有名で小園に今も「金毘羅道」が残る。境内の広さ18000坪、伽藍の規模から当時小本格寺院であった一端が窺える。(2401)
 
 
 
 
 

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