死刑の執行に関与する人々、被害者・遺族、死刑判決に関与した裁判官、加害者、行刑関係者への取材を元に死刑をめぐる状況について報道した新聞連載の単行本化。
死刑の現状に疑問を呈するエピソードは先日紹介した「絞首刑」とだいぶ重なっていますが、死刑当然・やむなしの側も多数入れ、幅広いエピソードを並べています。他方、新聞連載の制約上、1つのテーマの字数が限定され、広く浅くになりがちな感じは否めませんが。
元裁判官への取材が相当入っているのが目を引き、そこが売りかなと思います。
アメリカ、フランス、韓国の状況を報じることで、現在の日本の死刑のあり方や死刑制度の存置にまで疑問を抱かせるところは、読売新聞としてはずいぶん頑張ったなとも思います。
また、死刑執行を是としても、当日朝の告知にこだわる法務省の姿勢には明確な疑問を呈して、アメリカでは数日前に告知されて様々な人と面会して別れを言えることや日本でも70年代までは数日前の告知も相応にあったことを報じている(38~43ページ)ことにも共感します。
ところで、鳩山邦夫法務大臣が宮崎勤死刑囚の執行命令書にサインする前に「裁判記録のすべてに目を通した」(18ページ)、仮釈放を決める地方更生保護委員会の委員が「事前に事件記録や裁判記録を丹念に読み」(225ページ)とか、関係者が裁判記録を全部読んでいるかのような記述が散見されます。「裁判記録」という言葉をどういう意味で使っているかにもよりますが、言葉の本来の意味でいう限り、私は、「嘘だろう」としか言えません。死刑事件や無期懲役になるような事件で最高裁まで争われた事件の裁判記録がどれくらいの分量になるかわかってるんでしょうか。記録を読み慣れた弁護士が読んだって、一通り目を通すだけでも、丸1週間それだけにかかり切りでも無理だと思います。ましてや内容を吟味するなんていったら何度か読み返し関連部分を照合しなければなりません。むしろ、死刑執行起案書のために刑事記録を検討する局付検察官の「裁判に出された証拠の評価は裁判所がすでにやったことだから、改めては行わない。むしろ、必要な証拠を出さずに判決が出されていないかどうかを、すべての捜査資料に目を通してチェックする。」(66ページ:ここで「捜査資料」といっているのは裁判所に提出されなかった供述調書など)という発言の方が率直だろうと思います。死刑執行起案書を作成する局付検事くらいは本当の意味で裁判記録全部に目を通している(検討の仕方はこの発言のようだとしても)と、それは期待していますけど。
また、連続企業爆破事件の遺族の「共犯者の海外逃亡と、確定死刑囚の刑の執行は別の話ではないのか。死刑の確定から六か月以内に執行すると法律で定めているのに、なぜ、それが守られないのか。」という発言(133ページ)の扱いにも違和感を覚えます。遺族がそう思うのはいいです。しかし、その死刑執行を6か月以内と定める法律(刑事訴訟法第475条第2項)自体が「共同被告人であった者に対する判決が確定するまでの期間」はその6か月に算入しないと明確に定めているのですから、共同被告人だった者が超法規的措置で釈放されて海外逃亡中のこのケースでは、今なおその「6か月」がたっていない訳です。つまり、この発言は法的には明らかな間違いですから、遺族がそう思うのは自由だし、そう発言するのも自由ですが、それを報じるマスコミが訂正するなり読者に誤解させないようなコメントを入れる必要があります。それが報道に携わる者の義務だと思います。そこを何か被害者の発言だからとそのまま流せばいいという安易な姿勢が、マスコミ全体に見られる風潮ですが、習い性になっているのか、チェックできていません。
そういう疑問は感じさせますが、死刑を考える上での様々な材料を提示していることは評価したいと思います。
読売新聞社会部 中央公論新社 2009年10月10日発行
死刑の現状に疑問を呈するエピソードは先日紹介した「絞首刑」とだいぶ重なっていますが、死刑当然・やむなしの側も多数入れ、幅広いエピソードを並べています。他方、新聞連載の制約上、1つのテーマの字数が限定され、広く浅くになりがちな感じは否めませんが。
元裁判官への取材が相当入っているのが目を引き、そこが売りかなと思います。
アメリカ、フランス、韓国の状況を報じることで、現在の日本の死刑のあり方や死刑制度の存置にまで疑問を抱かせるところは、読売新聞としてはずいぶん頑張ったなとも思います。
また、死刑執行を是としても、当日朝の告知にこだわる法務省の姿勢には明確な疑問を呈して、アメリカでは数日前に告知されて様々な人と面会して別れを言えることや日本でも70年代までは数日前の告知も相応にあったことを報じている(38~43ページ)ことにも共感します。
ところで、鳩山邦夫法務大臣が宮崎勤死刑囚の執行命令書にサインする前に「裁判記録のすべてに目を通した」(18ページ)、仮釈放を決める地方更生保護委員会の委員が「事前に事件記録や裁判記録を丹念に読み」(225ページ)とか、関係者が裁判記録を全部読んでいるかのような記述が散見されます。「裁判記録」という言葉をどういう意味で使っているかにもよりますが、言葉の本来の意味でいう限り、私は、「嘘だろう」としか言えません。死刑事件や無期懲役になるような事件で最高裁まで争われた事件の裁判記録がどれくらいの分量になるかわかってるんでしょうか。記録を読み慣れた弁護士が読んだって、一通り目を通すだけでも、丸1週間それだけにかかり切りでも無理だと思います。ましてや内容を吟味するなんていったら何度か読み返し関連部分を照合しなければなりません。むしろ、死刑執行起案書のために刑事記録を検討する局付検察官の「裁判に出された証拠の評価は裁判所がすでにやったことだから、改めては行わない。むしろ、必要な証拠を出さずに判決が出されていないかどうかを、すべての捜査資料に目を通してチェックする。」(66ページ:ここで「捜査資料」といっているのは裁判所に提出されなかった供述調書など)という発言の方が率直だろうと思います。死刑執行起案書を作成する局付検事くらいは本当の意味で裁判記録全部に目を通している(検討の仕方はこの発言のようだとしても)と、それは期待していますけど。
また、連続企業爆破事件の遺族の「共犯者の海外逃亡と、確定死刑囚の刑の執行は別の話ではないのか。死刑の確定から六か月以内に執行すると法律で定めているのに、なぜ、それが守られないのか。」という発言(133ページ)の扱いにも違和感を覚えます。遺族がそう思うのはいいです。しかし、その死刑執行を6か月以内と定める法律(刑事訴訟法第475条第2項)自体が「共同被告人であった者に対する判決が確定するまでの期間」はその6か月に算入しないと明確に定めているのですから、共同被告人だった者が超法規的措置で釈放されて海外逃亡中のこのケースでは、今なおその「6か月」がたっていない訳です。つまり、この発言は法的には明らかな間違いですから、遺族がそう思うのは自由だし、そう発言するのも自由ですが、それを報じるマスコミが訂正するなり読者に誤解させないようなコメントを入れる必要があります。それが報道に携わる者の義務だと思います。そこを何か被害者の発言だからとそのまま流せばいいという安易な姿勢が、マスコミ全体に見られる風潮ですが、習い性になっているのか、チェックできていません。
そういう疑問は感じさせますが、死刑を考える上での様々な材料を提示していることは評価したいと思います。
読売新聞社会部 中央公論新社 2009年10月10日発行