毎日新聞編集委員の著者が、もっぱら「毎日」「朝日」「読売」3紙の紙面と若干の関係者の著書に基づき、メディアが60年安保闘争をどう報じたかを通じて当時の一般大衆がどのように受け止めたかを論じた本。
私の目には新聞人である著者が、新聞の論調こそが一般大衆の意見・世論であるという一種無邪気にして傲慢な前提の下に、主として全学連・ブントを一般大衆の支持のない浮き上がった存在として描き、保守派の言論を持ち上げ、60年安保闘争を特別な存在からone of themに格下げしながら闘争の高揚をメディアの手柄にしつつ保守派の史観の中に整理解体するという方向性を持ったものと見えました。
岸首相(当時)の新聞だけが民意を代表するものではないという発言への反発もあるでしょうが、新聞の論調をそのまま一般大衆の受け止め方とする方法論そのものがすでにこの本の客観性を失わせていると思います。この本が、ただただ新聞3紙の論調を元に論じていることは、あくまでも新聞が60年安保闘争をどう報じたか、新聞社・編集者がどう受け止めていたかであって、一般大衆がどう受け止めていたかは、さらにもう一段の検証が必要なはずです。現に、著者はあとがきで「もう一つ印象に残ったのは、どの新聞でも予想以上に保守派の言論人が積極的に発言していたことだ」(342ページ)と書いています。新聞が国論を2分する政策を扱うときには中立の姿勢を示す(装う)ために推進派と反対派のコメントを基本的に同数並べるのがふつうで、当時の新聞をめくれば安保改定推進派のコメントが半数は掲載されているだろうことは考えるまでもなくわかることでしょう。むしろ、それにもかかわらず、当時もそして今でも安保改定反対派のコメント、とりわけ丸山真男のコメントが印象に残り記憶されていることは、一般大衆の受け止め方として反対派の言論が自分の考えにフィットし心に響き推進派の言論は新聞社のアリバイに過ぎないと感じられたからではないのでしょうか。そういう新聞報道を一般大衆がどう受け止めたかの考察部分はこの本にはありません。新聞人である著者がそういうことがわからないとは考えられませんが、あえてネグレクトしたのでしょうか。
保守派の言論を復権させる方向では掲載の数を根拠にする著者は、全学連を非難するときには読者の声欄の少数の意見(これに反対する意見が多数掲載されていることが記載されています)を根拠に全学連に批判的な学生も少なくないなどと論じています。全体として実証的定量的な考察のない、新聞記事の中から節目の一時期の報道と著者の目についたコメントを抜き出して直感的定性的に評価した本ですが、保守派の言論人への評価基準と全学連・ブントへの評価基準の落差にはちょっとあんまりかなと思います。
この本の1つの結論となっている60年安保闘争はマスコミを通じた(使った?)イメージ闘争だったということについても、マスコミの発達した時代における闘争はすべてイメージ闘争と、一般的にはいえるわけで、それを論じるならば、闘争の当事者がマスコミをどのように意識しどのようなメディア戦略を持っていたか、そしてそれはどの程度成功し失敗したのかを検証することに意味があると思います。この本は、その部分をまったくネグレクトして、結果として新聞がどう報じたかだけを論じて、イメージ闘争だというのですから、ただマスコミの力が大きかった、闘争の高揚はマスコミの手柄だと誇示して終わっている感じです。
新聞人が歴史的事件を評価する本を書くときに当事者への取材一切なしで新聞のつまみ食いだけで書く姿勢、これまで新聞を検討するときには朝日と読売が中心だったと自分の所属する毎日新聞を取り上げたことが取り柄だ(342ページ)と書いてはばからない姿勢にも疑問を感じました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_ang3.gif)
大井浩一 勁草書房 2010年5月20日発行
私の目には新聞人である著者が、新聞の論調こそが一般大衆の意見・世論であるという一種無邪気にして傲慢な前提の下に、主として全学連・ブントを一般大衆の支持のない浮き上がった存在として描き、保守派の言論を持ち上げ、60年安保闘争を特別な存在からone of themに格下げしながら闘争の高揚をメディアの手柄にしつつ保守派の史観の中に整理解体するという方向性を持ったものと見えました。
岸首相(当時)の新聞だけが民意を代表するものではないという発言への反発もあるでしょうが、新聞の論調をそのまま一般大衆の受け止め方とする方法論そのものがすでにこの本の客観性を失わせていると思います。この本が、ただただ新聞3紙の論調を元に論じていることは、あくまでも新聞が60年安保闘争をどう報じたか、新聞社・編集者がどう受け止めていたかであって、一般大衆がどう受け止めていたかは、さらにもう一段の検証が必要なはずです。現に、著者はあとがきで「もう一つ印象に残ったのは、どの新聞でも予想以上に保守派の言論人が積極的に発言していたことだ」(342ページ)と書いています。新聞が国論を2分する政策を扱うときには中立の姿勢を示す(装う)ために推進派と反対派のコメントを基本的に同数並べるのがふつうで、当時の新聞をめくれば安保改定推進派のコメントが半数は掲載されているだろうことは考えるまでもなくわかることでしょう。むしろ、それにもかかわらず、当時もそして今でも安保改定反対派のコメント、とりわけ丸山真男のコメントが印象に残り記憶されていることは、一般大衆の受け止め方として反対派の言論が自分の考えにフィットし心に響き推進派の言論は新聞社のアリバイに過ぎないと感じられたからではないのでしょうか。そういう新聞報道を一般大衆がどう受け止めたかの考察部分はこの本にはありません。新聞人である著者がそういうことがわからないとは考えられませんが、あえてネグレクトしたのでしょうか。
保守派の言論を復権させる方向では掲載の数を根拠にする著者は、全学連を非難するときには読者の声欄の少数の意見(これに反対する意見が多数掲載されていることが記載されています)を根拠に全学連に批判的な学生も少なくないなどと論じています。全体として実証的定量的な考察のない、新聞記事の中から節目の一時期の報道と著者の目についたコメントを抜き出して直感的定性的に評価した本ですが、保守派の言論人への評価基準と全学連・ブントへの評価基準の落差にはちょっとあんまりかなと思います。
この本の1つの結論となっている60年安保闘争はマスコミを通じた(使った?)イメージ闘争だったということについても、マスコミの発達した時代における闘争はすべてイメージ闘争と、一般的にはいえるわけで、それを論じるならば、闘争の当事者がマスコミをどのように意識しどのようなメディア戦略を持っていたか、そしてそれはどの程度成功し失敗したのかを検証することに意味があると思います。この本は、その部分をまったくネグレクトして、結果として新聞がどう報じたかだけを論じて、イメージ闘争だというのですから、ただマスコミの力が大きかった、闘争の高揚はマスコミの手柄だと誇示して終わっている感じです。
新聞人が歴史的事件を評価する本を書くときに当事者への取材一切なしで新聞のつまみ食いだけで書く姿勢、これまで新聞を検討するときには朝日と読売が中心だったと自分の所属する毎日新聞を取り上げたことが取り柄だ(342ページ)と書いてはばからない姿勢にも疑問を感じました。
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大井浩一 勁草書房 2010年5月20日発行