伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。今年も目標達成!

生涯被告「おっちゃん」の裁判 600円が奪った19年

2010-12-14 23:37:58 | ノンフィクション
 耳が聞こえず、話ができず「あっ」とか「うっ」という声しか出せず、しかも読み書きもできず手話もできない「おっちゃん」が600円の窃盗の被疑事実で逮捕されその他の窃盗と合わせて起訴された刑事裁判の様子を語るノンフィクション。
 つきあいの長い弁護人や支援者でも意思疎通は十分にできず、通訳人も被告人は「黙りなさい」ということは理解できるが「黙っていてもいい」とか「答えなくてもよい」とか「黙っていたければずっと黙っていてもよろしい」ということは通じないと述べていて裁判での黙秘権の告知さえできない。弁護人はそのことを訴えて、被告人には刑事手続が理解できないとして裁判の打ち切りを求め、1審判決はそれを認めたが、高裁では訴訟能力が回復するまで公判手続を停止する方向の判断がなされ、最高裁もそれを追認し、「おっちゃん」はずっと被告人のまま公判手続が停止された。「これでは生涯被告人のままじゃないか」という弁護人らの訴えは裁判所に通じなかったが、「おっちゃん」が死の床に伏せるようになって初めて検察官が訴えを取り消して裁判が打ち切られた。裁判の手続も、目の前にいる裁判官や検察官がどういう人かも理解していない被告人に対して刑事裁判を続ける意味があるのか、19年も被告人とし続けたのはひどいのではないかというのがテレビ記者の著者の主張となります。
 このようなケースで裁判所の判断での打ち切りができず、結局は検察官に公訴取り消しをしてもらってようやく打ちきりにした裁判所の姿勢が問われます。
 ただ私としては、むしろ弁護人や長年つきあっている支援者でさえ十分な意思疎通ができない被告人に、詳細な自白調書ができていることの方が怖いし、そんなの警察官が勝手に作文したのを訳もわからずに署名させられたに決まってるじゃないのと裁判所が一蹴できないところがまた情けなくて怖い。警察も検察も科学捜査ではなく自白に頼った捜査だからそういう無理な調書作りをしなきゃならないという側面もあり、いろいろな意味で日本の刑事裁判の欠点・歪みを考えさせられる本でした。


曽根英二 平凡社 2010年6月25日発行
コメント (1)
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