伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

ノルウェイの森(上下)

2010-12-25 22:36:32 | 小説
 1968年から69年の東京で私立大学の学生だったワタナベが、死んだ親友キズキの恋人直子と関係を持ち、心を病んで京都の療養所で過ごす直子に思いを寄せつつ、気まぐれで開放的なミドリにも心を引かれる恋愛小説。
 読書好きでこだわりを持ち、キズキが自殺した後基本的には孤高を保ち友人を作らないが、傲慢なエリートの永沢とつるんでガールハントに明け暮れる際や直子・ミドリ・レイコら女性の間では成り行き任せでなし崩し的に流されるワタナベの性格というか生き様というかが、情けなくもあり懐かしくもあり、という感じがします。そういう主人公の性格設定に加えて、姉の自殺でトラウマを持つ直子がさらに恋人の自殺でうちひしがれたところにワタナベとの関係が契機となって心を病んでしまい、主人公が自責の念と直子へのこだわりを強め、他方においてぶっ飛んだキャラの魅力的なミドリとの板挟みで悩むというシチュエーションに、さらに主人公がHシーンに恵まれるという余録も付いて、若い男性読者に強い支持を受けたのかなと思います。そういう意味で娯楽読み物として商業的戦略として成功している作品です。
 しかし、1968年から69年の大学(二流の私立大学と書かれています(上巻117ページ)が、位置関係とかから見て早稲田大学が舞台と判断できます)を舞台に学園闘争を登場させながら、ストを指導した学生たちに対する揶揄的な表現(「ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった」(上巻101ページ)等)以外はアルバイトと女性関係に終始しているこの小説があえてこの舞台設定を選んでいるのは、全共闘運動に対する一種の否定的総括と見えます。それをするなら正面から否定すればいいだろうし、69年に書けばいいのに、全共闘運動が忘れ去られようという1987年になってこういう書きぶりをすることには、全共闘世代というくくりを抹殺すべく「団塊の世代」という言葉を編み出した官僚にも似て、私は違和感を持ちます。
 登場する男女関係も、均等法後の1987年の作品としては、いかにも古風な感じがします。開放的なミドリも、読み終えてみるとただの狂言回しでしかも待っている女に変貌していますし。


村上春樹 講談社文庫 2004年9月15日発行 (単行本は1987年)
コメント
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