主として食品の安全性についてリスクを完全にゼロにするということは現実的ではなく、レバ刺しの禁止等に見られる規制は官僚の責任回避が動機と考えられ、リスクの存在を直視しつつ危険を減少させていく科学的な「安全」ではなく非科学的な「安心」を求めることはオカミ依存の思考停止に陥り真のリスクを見る目を失わせることを論じた本。
日本では微生物(細菌等)の研究は進んでいるが患者の方はおざなりにされていて感染症の専門家は少ない(21ページ)、牛レバーによる腸管出血性大腸菌感染症は1998年から2010年までの13年間で患者数67人に過ぎず死者はゼロ(57~58ページ)、ばい菌がいることとそれで健康被害が生じることは違うのに臨床専門家が1人もいない会議で微生物の検出を理由にレバ刺しを禁止までしてしまうのはやり過ぎという、著者の専門領域にはまるレバ刺し禁止をめぐる議論をしている第1章はとても説得力があります。
1951年から2009年までに食中毒の死亡者は顕著な減少を示しているのに、食品(餅等)による窒息死者数は9倍に増加している、日本における食品による窒息死亡率はOECD27カ国で2番目に高いが、腸管出血性大腸菌には過敏に反応するのに餅を喉に詰まらせたときの対応は今ひとつ(97ページ)、ビタミンA、C、Eやセレニウムといった抗酸化作用を期待される物質が死亡を減らす(長命になる)というデータはなく、ポリフェノールも癌の予防効果は示されていない(155~156ページ)という指摘は興味深いところです。
本来、常在菌と共生している人間は抗生物質で常在菌も殺してしまうと日頃常在菌が防いでくれている細菌・カビが繁殖して腸炎やカンジダ症になる、抗生物質などの薬も健康によい、悪いの二元論では語れない(87~88ページ)という話をはじめ、たいていのものにはリスクがあり、その有効性とリスクを検討して判断していくべきで、単純なゼロリスクの追求はよい結果を生まないというのが、著者の基本線です。
その応用で各種の細菌等による感染症のリスクを完全にゼロにするなら何も食べられない、外にも出られないと戯画化しながら書き続ける第3章はかなりくどく見えますし、健康本や抗癌剤は効かない論(近藤誠)批判、福島県産食品のリスクやさらには大飯原発再稼働のリスクまで論じてしまう第5章、第6章は、読み物ないし判断の方法論の議論としては興味深いですが、著者の専門領域でないことは頭に置いて読むべきでしょう。福島県産というだけで過剰にリスクを言うことへの疑問は感情レベルではわかりますが、それこそ「福島県産」を一括に議論してよいのか、検査の精度の問題、そもそもトレーサビリティ(産地・生産者の特定)が確保されているのか等を論じないで判断できるかに疑問を感じます。また、人工放射能が天然放射能と同じということを本当に無前提に述べてよいのか、内部被ばくとの関係では天然の放射性物質については生物は長期にわたる進化の過程でそれを取り込まない等の対応能力を獲得していないのかという疑問も、私にはあります。
オカミがしっかり規制してくれるから、食べ物は安全に決まっていると国民一人一人が思考停止に陥ってしまえば、手をよく洗う、新鮮なうちに食べ物を食べる、体調が悪いとき、病気を持っているときは危険な生物(なまもの)は食べない、という「知恵」がどんどん劣化していきます(228ページ)という指摘は、その通りと思います。この国の「オカミ」が信用に値するかどうかには、私はかなりの疑問を持っていますが。
岩田健太郎 ちくま新書、2012年10月10日発行
日本では微生物(細菌等)の研究は進んでいるが患者の方はおざなりにされていて感染症の専門家は少ない(21ページ)、牛レバーによる腸管出血性大腸菌感染症は1998年から2010年までの13年間で患者数67人に過ぎず死者はゼロ(57~58ページ)、ばい菌がいることとそれで健康被害が生じることは違うのに臨床専門家が1人もいない会議で微生物の検出を理由にレバ刺しを禁止までしてしまうのはやり過ぎという、著者の専門領域にはまるレバ刺し禁止をめぐる議論をしている第1章はとても説得力があります。
1951年から2009年までに食中毒の死亡者は顕著な減少を示しているのに、食品(餅等)による窒息死者数は9倍に増加している、日本における食品による窒息死亡率はOECD27カ国で2番目に高いが、腸管出血性大腸菌には過敏に反応するのに餅を喉に詰まらせたときの対応は今ひとつ(97ページ)、ビタミンA、C、Eやセレニウムといった抗酸化作用を期待される物質が死亡を減らす(長命になる)というデータはなく、ポリフェノールも癌の予防効果は示されていない(155~156ページ)という指摘は興味深いところです。
本来、常在菌と共生している人間は抗生物質で常在菌も殺してしまうと日頃常在菌が防いでくれている細菌・カビが繁殖して腸炎やカンジダ症になる、抗生物質などの薬も健康によい、悪いの二元論では語れない(87~88ページ)という話をはじめ、たいていのものにはリスクがあり、その有効性とリスクを検討して判断していくべきで、単純なゼロリスクの追求はよい結果を生まないというのが、著者の基本線です。
その応用で各種の細菌等による感染症のリスクを完全にゼロにするなら何も食べられない、外にも出られないと戯画化しながら書き続ける第3章はかなりくどく見えますし、健康本や抗癌剤は効かない論(近藤誠)批判、福島県産食品のリスクやさらには大飯原発再稼働のリスクまで論じてしまう第5章、第6章は、読み物ないし判断の方法論の議論としては興味深いですが、著者の専門領域でないことは頭に置いて読むべきでしょう。福島県産というだけで過剰にリスクを言うことへの疑問は感情レベルではわかりますが、それこそ「福島県産」を一括に議論してよいのか、検査の精度の問題、そもそもトレーサビリティ(産地・生産者の特定)が確保されているのか等を論じないで判断できるかに疑問を感じます。また、人工放射能が天然放射能と同じということを本当に無前提に述べてよいのか、内部被ばくとの関係では天然の放射性物質については生物は長期にわたる進化の過程でそれを取り込まない等の対応能力を獲得していないのかという疑問も、私にはあります。
オカミがしっかり規制してくれるから、食べ物は安全に決まっていると国民一人一人が思考停止に陥ってしまえば、手をよく洗う、新鮮なうちに食べ物を食べる、体調が悪いとき、病気を持っているときは危険な生物(なまもの)は食べない、という「知恵」がどんどん劣化していきます(228ページ)という指摘は、その通りと思います。この国の「オカミ」が信用に値するかどうかには、私はかなりの疑問を持っていますが。
岩田健太郎 ちくま新書、2012年10月10日発行