伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

美しい心臓

2014-04-02 22:21:25 | 小説
 勤務先の不動産屋の所長の友人の40代の商店主と不倫の関係を続ける三十路近い「わたし」が、地方公務員の暴力夫の追跡をかわし、不倫相手の海外長期出張に付いていくために勤務先も辞め、帰国後は不倫相手の知り合いの医師の子どもたちの家庭教師をしながら不倫相手の借りたアパートに囲われ爛れた性生活を送るが、不倫相手の妻に第三子が生まれたことを知り壊れていくという不倫恋愛小説。
 冒頭の「願っていたのは、死だった」の出だしが印象的でした。あまりにも愛するが故にと、「わたし」は思うが、その実は愛するが妻の元へ帰ってしまう愛人が最終的に自分のものにならないならばむしろ死んでいなくなってくれれば美しい思いのままでいられるから、という身勝手でしかし切ない思い。「忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな」(君を忘れないという約束が先々まで守られるとは考えられないから、いっそのこと今日を限りに死んでしまえばとも思う:儀同三司母)のように自分が死んでしまえばというのではなく、相手が死んでしまえばというのが現代的ですが。あるいは「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」でしょうか。
 恋愛小説量産作家と評価できる作者の近年の作品は、主人公の女性(こちらにも夫がいることも)が妻子あるなぜか関西弁の中年男との間の不倫で性の悦びを見いだしその男がテクニックで狂おしいばかりの快感を与え絶倫ぶりを見せつけて二人して甘美で爛れた性生活を送り、それが何らかの障害により挫折するというパターンが多くなっているように感じられます。読書日記を愛読していただいている方は感じていると思いますが、私はこの作者の作品を、短編集はパスして、長編の新作が出る度に読んできていますが、さすがにちょっと食傷気味です。
 後半は、元々妻子ある相手とわかって不倫関係を続けてきたのに、そしてこう言っては何ですが、相手が暴力男とはいえ自分も夫がいてW不倫で始めているのに、不倫相手の妻の住所氏名を知り、不倫相手が妻とも肉体関係を続けていたことを知ると精神的に壊れていくという、ある意味身勝手であるとともにそれ以上に何というか不倫小説ではありきたりなパターンに落とし込まれて展開していくのが、読み物としては残念に思えます。「わたし」の悲劇のヒロインのような陶酔感を覚まさせるエンディングを見ると、作者は意外に不倫恋愛に否定的なのかもとも感じられます。こういう作りならむしろ「わたし」がもっとしたたかさ・底力を発揮して開き直る展開の方がおもしろいのではないかと、私は思ってしまうのですが。


小手鞠るい 新潮社 2013年5月20日発行
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