1990年代に企業が中央研究所を解体し基礎研究を捨て応用技術/製品化のみに走り、他方で科学者/ベンチャー企業を成長させるシステムがうまく働かない日本で、イノベーションがなくなり、エレクトロニクス産業の国際競争力が急落し、21世紀のサイエンス型産業の頂点に位置する医薬品産業でも国際競争から脱落したことを嘆き、イノベーションの衰退が日本社会にどのような悪影響を及ぼしているか、イノベーション復活のためには何をすべきかについての著者の主張を展開する本。
著者の基本的スタンスは、アメリカを見よ!アメリカに学べで、アメリカで1982年に導入されたSBIR( Small Buisiness Innovation Research )という、省庁に委託研究予算の一定割合(しかも年々その割合が上昇する)を拠出させて、省庁のイノベーションの目利きができる「科学行政官」が具体的な課題を出して募集し、応募して選抜された科学者・企業にまず最高15万ドルの賞金を出し、そのうちさらに高評価の科学者・企業に最高150万ドルの賞金を出してその技術の商業化をさせ、それが成功と評価されると投資会社を紹介するか省庁が新製品を調達(購入)して商業化を現実に支援する制度が成功を収めているので、日本でもこれを実現すべきだということです。科学者が、自ら起業家になれ、というのは、科学者の少なくない部分が、研究の源泉/動機/モチベーションは純然たる好奇心と考えているように思えることとフィットするのかという疑問がありますが…
著者が絶賛するSBIR制度は国がスポンサーとなり研究テーマを指定するものですから、必然的に研究開発のメインストリームが国により方向づけられ、政治の現実を見れば、軍事研究へと誘導されていくことが当然に予想されます。直近の2015年度の予算ベースでも内訳は国防総省が43%でトップとされています(79ページ)。アメリカの20世紀初頭の科学技術開発システムの第1の成功例がデュポン社によるナイロンの開発成功であり、第2の成功例がマンハッタン計画による原子爆弾開発の成功である(67ページ)という著者の姿勢からは、そういうことは気にならないのでしょうけれども。
JR福知山線の事故で半径600mのカーブを304mのカーブに変更し転覆限界速度が120km/時以下になったのにカーブに入る前の制限時速が120km/時としたままでATS-P(自動列車停止装置)の設置を怠ったこと、福島原発事故の際2号機と3号機がRCIC(原子炉隔離時冷却系)が作動してまだコントロール可能だった時点でベントと海水注入を官邸が求めているのに技術系の武黒フェローが海水注入を拒否し続けたことを、「技術経営の過失」として、著者は厳しく非難しています(160~174ページ)。著者が批判する、大津波が予見できたのに適切な処置を怠ったという検察審査会の議決も、「いつかは」事故が起こるという意味ではJR福知山線の事故で著者がいう「技術経営の過失」と同様にも構成できるとは思うのですが、著者の主張にも傾聴すべき点はありそうです。もっとも、その過失が生じたのは、JR西日本も東京電力もイノベーションを要しない独占組織だったからではないか(182ページ)というのは、そう言った方が受けはいいかもしれませんが、ずいぶんと乱暴な議論に思えます。イノベーターがいるベンチャー企業なら事故が防止できた、とは限らないと、私は思います。
山口栄一 ちくま新書 2016年12月10日発行
著者の基本的スタンスは、アメリカを見よ!アメリカに学べで、アメリカで1982年に導入されたSBIR( Small Buisiness Innovation Research )という、省庁に委託研究予算の一定割合(しかも年々その割合が上昇する)を拠出させて、省庁のイノベーションの目利きができる「科学行政官」が具体的な課題を出して募集し、応募して選抜された科学者・企業にまず最高15万ドルの賞金を出し、そのうちさらに高評価の科学者・企業に最高150万ドルの賞金を出してその技術の商業化をさせ、それが成功と評価されると投資会社を紹介するか省庁が新製品を調達(購入)して商業化を現実に支援する制度が成功を収めているので、日本でもこれを実現すべきだということです。科学者が、自ら起業家になれ、というのは、科学者の少なくない部分が、研究の源泉/動機/モチベーションは純然たる好奇心と考えているように思えることとフィットするのかという疑問がありますが…
著者が絶賛するSBIR制度は国がスポンサーとなり研究テーマを指定するものですから、必然的に研究開発のメインストリームが国により方向づけられ、政治の現実を見れば、軍事研究へと誘導されていくことが当然に予想されます。直近の2015年度の予算ベースでも内訳は国防総省が43%でトップとされています(79ページ)。アメリカの20世紀初頭の科学技術開発システムの第1の成功例がデュポン社によるナイロンの開発成功であり、第2の成功例がマンハッタン計画による原子爆弾開発の成功である(67ページ)という著者の姿勢からは、そういうことは気にならないのでしょうけれども。
JR福知山線の事故で半径600mのカーブを304mのカーブに変更し転覆限界速度が120km/時以下になったのにカーブに入る前の制限時速が120km/時としたままでATS-P(自動列車停止装置)の設置を怠ったこと、福島原発事故の際2号機と3号機がRCIC(原子炉隔離時冷却系)が作動してまだコントロール可能だった時点でベントと海水注入を官邸が求めているのに技術系の武黒フェローが海水注入を拒否し続けたことを、「技術経営の過失」として、著者は厳しく非難しています(160~174ページ)。著者が批判する、大津波が予見できたのに適切な処置を怠ったという検察審査会の議決も、「いつかは」事故が起こるという意味ではJR福知山線の事故で著者がいう「技術経営の過失」と同様にも構成できるとは思うのですが、著者の主張にも傾聴すべき点はありそうです。もっとも、その過失が生じたのは、JR西日本も東京電力もイノベーションを要しない独占組織だったからではないか(182ページ)というのは、そう言った方が受けはいいかもしれませんが、ずいぶんと乱暴な議論に思えます。イノベーターがいるベンチャー企業なら事故が防止できた、とは限らないと、私は思います。
山口栄一 ちくま新書 2016年12月10日発行