伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

教員という仕事 なぜ「ブラック化」したのか

2021-01-08 20:51:59 | 人文・社会科学系
 教員の長時間労働化が進み、その原因としては様々な事務仕事(報告書の作成等)の増加が挙げられ、教育改革・教員改革の名の下に画一化・同質化が推進されていることなどの問題提起をし、改善を提言する本。
 前半は公的文書と報道された事件を材料に、後半は著者の個人的なつながりのある少数の人の経験・インタビューに基づいて書かれています。
 定年後再任用の教員が生徒指導の力を見込まれて担任を任されて、保護者との初顔合わせのときに「まさか、担任をやるとは思っていなかった」と言い、それを聞いた保護者が「この先生は担任をやる気がないのだ」と非常に不安になったというのを著者が個人的に聞いて、それを取り上げて「無神経な言動が目立つ教員がいることも気になる」と批判する(190ページ)とか、「合理的配慮って何ですか?」と聞き返した教師がいるとか、マララ・ユスフザイを知らない、カカオ栽培が児童労働で支えられていることを知らない、プラスチックが海洋生物や大気に与える悪影響を知らないなどと言って「教育界や社会の動きについてあまりにも知らなすぎる教員がいることも気になる点だ」と批判する(191~192ページ)のは、それこそ紋切り型で言葉尻を捉えた非難ではないのかと思います。
 教師の犯罪の場合には必ず職業が教員であることを報道するマスコミの姿勢に疑問を提起し(41~42ページ)、国や教育委員会が「聖人君子」を求めていることに対しても批判的な記述をしている(76~81ページ)著者が、「おわりに」の中で、「未成年者と性行為に及んだ中学校教諭」を挙げて「あきれ果てるような事件」「教員としてだけでなく人として許されない行為であり、犯人は相当の罰に処すべきである」と述べている(220ページ)ことに、私は大きな違和感を持ちます。自分の勤務する学校の生徒、ましてや自分が受け持つ生徒と性行為に及んだというのであれば、職業倫理として、許されないと思いますが、業務とまったく無関係の場合に、そこまで言うべきでしょうか。それこそが教師聖職論、教師に「聖人君子」を求める行政やマスコミと同根の考え・感性なのではないかと、私には思えてなりません。
 提言は、悪くないようにも思えます(ただし、その根拠が客観的なものかは不明です)が、論説としては、前半は紋切り型に過ぎ、他方で後半は客観性に欠け、全体としては統一感に欠けるように感じられました。


朝比奈なを 朝日新書 2020年11月30日発行
コメント
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