「伊吹、ごめん」だけの書き置きを残して自殺した双子の姉朱里の自殺の理由を求めて、朱里が自殺直前に公演を観に行った大衆演劇鉢木座を訪れた牧原伊吹が、看板女形の若座長慈丹に勧められて入座し、旅程をともにして行くうちに、自分たちの親の過去、自分たちの出自、朱里の行動と思いを知っていくという小説。
近親相姦と共食いのタブー、自己の汚れ、生まれながらにして汚れた存在という「原罪」的な観念、親の言動によるトラウマなどが、主人公の心に重々しくのしかかり、読んでいて重苦しさを感じます。
主人公は父と母に怨みを持ち続けますが、私は、自らの行為の結果をいつまでも受け容れられずに向き合えない父の覚悟のなさには、ふがいなさを感じますが、母の開き直りには、もう少し諦めず心をすり切れさせずにいられなかったかという思いはあるものの、まぁ仕方ないんじゃないかと思いました。慈丹が、そして伊吹が、終盤でそこまで言うのはどうかと思います。むしろ、現在の自分をすべて親の言動の結果と捉えて(すべてを親のせいにして)うじうじとし続ける伊吹にはあまり共感できませんでした。

遠田潤子 集英社 2021年2月10日発行
「小説すばる」連載
近親相姦と共食いのタブー、自己の汚れ、生まれながらにして汚れた存在という「原罪」的な観念、親の言動によるトラウマなどが、主人公の心に重々しくのしかかり、読んでいて重苦しさを感じます。
主人公は父と母に怨みを持ち続けますが、私は、自らの行為の結果をいつまでも受け容れられずに向き合えない父の覚悟のなさには、ふがいなさを感じますが、母の開き直りには、もう少し諦めず心をすり切れさせずにいられなかったかという思いはあるものの、まぁ仕方ないんじゃないかと思いました。慈丹が、そして伊吹が、終盤でそこまで言うのはどうかと思います。むしろ、現在の自分をすべて親の言動の結果と捉えて(すべてを親のせいにして)うじうじとし続ける伊吹にはあまり共感できませんでした。

遠田潤子 集英社 2021年2月10日発行
「小説すばる」連載
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます