伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

アメリカ外交の大戦略

2007-01-15 08:56:29 | 人文・社会科学系
 アメリカは大洋に囲まれ、ヨーロッパ諸国のように安全確保だけで疲れ切ってしまうことがなかったために楽観的な特徴を持っていた。アメリカが受けた3度の奇襲、1824年8月24日のイギリス軍の攻撃によるワシントンの炎上、1941年12月7日の真珠湾攻撃、そして2001年9月11日を機にそのナショナルアイデンティティが危機に瀕した。アメリカの19世紀における安全保障の基本は、先制・単独行動・覇権であった。先住民の拠点がある地域や現在は敵対していなくてもやがては敵対勢力に奪われるかもしれない地域を、安全確保のために占領する、アメリカの安全確保を他国の行動に決定的に依存しない(同盟はしない)、勢力均衡ではなくアメリカに近接する場所には他の大国の主権を持たせない。この行動原理に従いアメリカはアメリカの西海岸まで征服し(フィリピンまで占領したが)西半球の覇者となった。しかし、20世紀のアメリカは、戦争が避けられなくなっても最小限の犠牲で覇権を確立するために、同盟を用い、第2次世界大戦では戦闘はできるだけ他国にさせ、最初の一撃は相手にさせ、また戦後復興を提供することで、道徳的に、他国の同意の下に覇権を確立した。その背景には、他の「より悪い者」の存在が他国にアメリカを支持させたこともあった。9.11後のブッシュの戦略は、19世紀の行動原理への先祖返りで新しいものではない。「衝撃と畏怖」の効果は永続しない。ビスマルクに見られるように新たな現状の強化と周囲を安心させる再保証、つまり新たに押し付けたシステムの中で安住することの説得が重要である。「無能な戦略家はこの転換をいつ行うべきかをわきまえていない。彼らは衝撃と畏怖に魅了されるあまりそれだけで終わってしまうのである。」(102頁)・・・著者は概ねこのようなことを述べています。
 先制・単独行動主義では、19世紀のアメリカが、結局その行動原理の下にアメリカ全土を征服していったように(さらにはフィリピンまで征服したように)、理論的にはアメリカが世界制覇するまで戦闘が続きかねません。そのような行動原理は、帝国主義戦争が倫理的に許容されていた時代の、しかもアメリカ大陸に強国がなかったという事情の下でのみ可能なものでしょう。侵略戦争が許されない時代の、しかも他国の主権が確立されている世界で、このような野蛮な原理に復帰したアメリカは、むしろ世界の不安定化要因となっています。アメリカ政府は、そしてそれに追従する日本政府は、いつになったら目が覚めるのでしょうか。


原題:SURPRUSE,SECURITY,AND THE AMERICAN EXPERIENCE
ジョン・ルイス・ギャディス 訳:赤木完爾
慶應大学出版会 2006年11月2日発行 (原書は2004年)
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涙を売られた少女

2007-01-13 20:45:39 | 物語・ファンタジー・SF
 両親の離婚の過程で悲しい思いをし続けて泣くことができなくなったハンブルグの歌のうまい11歳の少女ネレが、泣かないことを条件として世界的な成功をさせるという契約の下、「社長」の敷いたレールに乗って大スターとなっていき、16歳になって初めて涙を流し、社長の下を離れて普通の暮らしを始めるという物語。
 原書は冷戦時代の西ドイツで発表されていて、独裁と資本主義、独占資本と政治、それに翻弄される少女と周囲の人々というような政治的寓意があるように感じられますが、ネレも周囲の人々も語り手の「ボーイ」も今ひとつ一貫した態度でなく、作者の狙いがわかりにくい感じです。ネレ自身も金銭欲を見せたり傲慢になったりしていますし、ボーイや、さらには「社長」と敵対するティム・ターラーさえも、社長との距離感はお話の過程で変わっていますし。それが現実世界の複雑さ・奥深さと感じられるかというと、「社長」が神出鬼没で(アザラシになって現れたり)、そのあたりが現実感のないファンタジーっぽくて、そうも読みにくい。
 児童文学に分類されてはいますが、長すぎるしわかりにくいし、なんかちぐはぐな感じ。訳文も日本語としての流れがよくない感じで読みにくいと思いました。


原題:Nele oder Das Wunderkind
ジェイムス・クリュス 訳:森川弘子
未知谷 2006年12月25日発行 (原書は1986年)
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夜明けの舟

2007-01-10 23:05:29 | 小説
 妻に逃げられた後、29歳の部下と関係を持ち続ける56歳の銀行マンと、乳ガンになり夫を裏切って淫蕩な不倫を夢見る30代人妻の身勝手な恋物語。
 主人公の興津は、知人の人妻に一目惚れして、知人から奪うことに夢中になり、しかしそのために疎ましくなった部下の女性を手放すこともなく、ただ性欲のはけ口として残し、その女性が職場の上司と関係を持った疑いを持つや激しく嫉妬し、その上司を卑劣なヤツだと思う始末。人妻のサトと思いが通じた後は、ただ性交を求め続けるだけ。居ても立ってもいられず、少し連絡がないだけでどうして連絡もくれないのかとだだをこねます。人妻の方は、どうして夫がいやなのかも描かれないまま、ただ病気で死ぬのなら好きにしたいというだけで、都合よく興津に一目惚れして夫の目を忍んで逢瀬を続けます。
 いい年してこんな身勝手な2人が、いい気なものだという逢瀬を重ねる様は、読んでいてばかばかしい限り。
 作者がインタビューで「ほんとの純愛を志向して書き下ろした」とか答えているようですが、純愛っていい年した大人が人間の品も格もなく身勝手にむき出しの性欲をさらけ出してだだをこねることをいうんですか。それに純愛というなら愛のために何か切り開いていこうとするものだと思いますが、この2人はなんだかんだ口先ばかりで状況を切り開こうとせずに安全な範囲で人の目を盗んで会っているだけ。ラストは、ろくに努力もしない二人に、嫌われ役の夫が身を引いていきなりハッピーエンドになりますが、これも唐突だし、サプライズというよりはなんか投げ出したようなラストで全く感動も共感も感じませんでした。
 「恋愛小説」とは別に、主人公の興津は、銀行の仕事に飽き「女と飯を食っているだけの人生」に憧れているという設定。そういう設定なら、食事のシーンが充実していそうなものですが、食事のシーンがおいしそうでない、読んでいて食欲をそそられたり香り立つものがない。この作者にとって「女と飯を食う」というのは性交すると同義のようです。露骨な性交シーンは多数あります。電車の中で読むには、まわりが気になるくらい。でも、主人公の身勝手ぶりに感情移入できないせいか、全然興奮もしませんでした。


山本音也 文藝春秋 2006年10月15日発行
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二度目のパリ

2007-01-07 19:48:58 | 趣味の本・暇つぶし本
 パリ在住7年目の著者が、パリで地元民っぽく過ごすための情報を紹介した本。
 この種の本は、食生活とかふだんの散歩やレジャーとかの話を好んで読みます。チーズとかパンとか食べてる感じになれるし、カフェでボーッとしているような気分で読めると、なんか得したような気分になれます。最後の方のツアーコースの紹介になると、本気で行く気でないと読む気しませんけどね。
 でも、パリジェンヌの80%以上がTバックのショーツ着用(27頁)って本当なんでしょうか?


斉藤由美 ダイヤモンド社 2006年11月16日発行
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昼は雲の柱

2007-01-06 21:43:10 | 小説
 富士山が噴火して山体崩壊し大規模火砕流により御殿場市が壊滅という災害シミュレーションをメインストリームにし、秦の始皇帝に派遣された徐福の日本上陸と記紀神話と火山信仰を絡ませた古代史ミステリーをサイドストーリーにした小説。
 作者は、後者の方を書きたかったようで、そちらに力入っていますし、そっちの方が読んでいて面白い。旧約聖書から記紀神話へのつながりを論じ、南方系の火山信仰も入れて、記紀神話を火山神伝説として描き、イザナギ・イザナミの国生み神話を中部地方の伝承と九州の天孫族のリンクで説明し、両者の接点を徐福の探検隊に求めるという構想は、綱渡りの感じはしますけど、読み応えがあります。私は、火山学も記紀神話も素人なんで、どの程度ほんとらしいのかわかりませんけど。
 タイトルになり、巻頭のエピグラフにも用いられている「昼は雲の柱」は旧約聖書の出エジプト記のシナイ山の噴火の様子。
 人物や状況の設定がやや模式的で都合よすぎるのが気になりますが、文章は読みやすいし、娯楽小説としては、いい線行っていると思います。けっこう字のつまった単行本で本文500頁近い分量なんですが、わりとすらっと読めました。


石黒耀 講談社 2006年11月28日発行
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シンセミアⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ

2007-01-04 07:55:00 | 小説
 地方都市の有力者たちとその子らの青年たちが繰り広げる悪巧みと抗争の顛末を描いた小説。文庫版で本文1100頁弱の長編です。
 最初の方は、登場人物の多さ(巻頭の主な登場人物の一覧表だけで3頁にも及んでいます)に、話について行くだけで疲れましたが、主だった人物がわかると切り替えが適当に効いて読みやすくなり、一気に読める感じです。というか、切れ切れに読んだら、場面が変わる度に、この人誰だっけということになって早晩投げ出すことになるでしょうね。
 出てくる主な人物が、悪者か変な人か薬物中毒か淫乱で、読者がその立場で読み通せる人物がいません。普通、これだけ多数の登場人物がいれば、まじめというか実直な人物がいるものですが。相対的にはましな田宮博徳が、主人公かと思えますが、それも途中で死んじゃいますし。
 物語冒頭の殺人の犯人は、一貫して「背の高い男」とあるだけで名前が出てこないので、その謎解きが最後に来るのかと思っていたらあっさり途中で(勘がよければⅡ68~70頁で、そうでなくてもⅡ212頁とⅢ180頁で、それでも気がつかない場合でもⅢ183頁で)明らかにされてしまいます。
 結末は、人物としてたち悪く描かれている者はおおかた死んでしまいますが、事件の真相が知られることにはならず、別の事情でたまたま死んでしまうということですし、陰の支配者は結局生き残り、今ひとつスッキリしません。最後にまとめて悪者を破滅させるなら陰の支配者も失脚させた方が読み物としてスッキリしますし、世間はそんなに甘くないと言いたいなら悪者が次々と死ぬのは都合がよすぎる感じ。そのあたり中途半端な印象が残ります。
 舞台は作者の出身地で実在する山形県東根市神町。付いている地図も実在する町の地図(「パンの田宮」の所在地に現実に何があるのかまでは私にはわかりませんが)。実在の町を舞台にここまでおどろおどろしい人間関係を書いて大丈夫なんでしょうか。作中には作家の阿部和重も登場しますし。事実とフィクションを織り交ぜて作者としては遊んでいるのでしょうし読者に現実感とおちゃらけ感の錯綜を感じて欲しいんでしょうけど。


阿部和重 朝日文庫
Ⅰ・Ⅱ2006年10月30日発行、Ⅲ・Ⅳ2006年11月30日発行
(単行本は2003年10月)
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ライム

2007-01-01 21:39:43 | 小説
 はずれ者の中学生ライムこと日向舞の日常を描いた青春小説。
 ライムの由来は、中1で自己紹介するときに何も言えなくなって「すきなものはライム。以上」とだけ言って座ってしまったことから。
 父親は小学校教師で同僚の女性のところに住み込みたまにしか帰らない上に帰ってくるといつも母親とけんかして暴力沙汰、母親はライムの帰りが遅いと怒鳴りつけるという荒んだ家庭に育ったライムが、反抗し、不良友達とつきあったり教師に反発する様子が描かれます。そうした日常の中でのライムの心の動きが、この作品の読みどころだと思います。
 最後には父親と母親は離婚し、高校に入学するとともに引っ越したライムの少し明るい気持ちで終わります。
 特に事件があってということでもなく、またあるところからはっきり変わるわけでもなく、何となしの日常の中で少し前向きになっていく。実際の人生はたいていそういうものですし、そういう受け止め方をする作品かなと思います。


長崎夏海 雲母書房 2006年11月24日発行
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「挫折しない整理」の極意

2007-01-01 00:06:08 | 実用書・ビジネス書
 家庭の物の整理法の本。
 冒頭に「使わない物は整理しない」とあるのは、納得。で、使う物は消耗品は新しい物を一番奥に置き消費期限の近い物から使用する、道具類はよく使う物を手前に置き使わない奥の方にたまった物は処分(「超」整理法ですね)、愛着物は関心度に応じて置く場所を決めて無関心の表れの見えない場所に置かれるようになった物を処分、だそうです。これも、理屈としては、新しい物を一番奥に置くというのが現実的にはすごい手間ということを除けば、理解できます。
 でも、著者の主張では、実行のために大事なポイントは物を見える状態にしておくことと動かしやすい状態に置くこと。そのためには置く場所のキャパシティの8割までにとどめておくことが必要。そうすると、少なくとも都会の家庭では、やっぱり最初の段階でかなりの物を捨てることが必要になり、「使わない物は整理しない」とかいうのは無理。
 プロフィールによれば、著者は日高山脈の麓で暮らしているそうで、そういう人にとっては収納場所の余裕があるんでしょうけどね。
 それに後半の心の整理編では、成長すれば物は要らなくなるって、そりゃそうだけど、それは整理法の話じゃないでしょう。


松岡英輔 新潮新書 2004年5月20日発行
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