チャールズ・ダーウィンの「種の起源」を若者向けに書き直して要約した本。
ダーウィンの紹介から、ダーウィンが約5年に及んだビーグル号の航海以外はイギリス国内で研究に没頭していたことがわかり、「種の起源」は研究論文で紙数の多くは自説の論証というか反対意見への説得・反論に費やされていたことが読み取れます。
特に種の中間的な生物があまり現存せず化石でも見つからないことにダーウィンが悩みその説明に苦しんだことがわかります。そこのところは、ダーウィンの説明を読んでも、今考えてもそうストンとは落ちないのですが。
ダーウィンの主張が「進化論」と名付けられたことからか、その生物・種自体の生存戦略というような説明がなされることが多いのですが、まるで生物・種の意思や本能で形質の変化が進められるかのような議論は自然淘汰・性淘汰(性選択)の理論には馴染まないと思います。あくまでも偶然に生じた微小な変異が生存に有利、生殖に有利であればそれが多数を占めていくということで、そこには意思は働きません。そこに意思を見るのは、創造説の「神の意思」に引きずられた考えだと、思うのですが。さらに、種が変化するのは、生存に有利な方向とは限りません。その世代の話ではなく後の世代の話なので、ポイントはその微小な変異が「生殖に有利」かの方になります。もちろん、生き延びられなければ生殖の機会が少なくなりますから、生存に有利であることは生殖にも有利となることが多いでしょうけれども、個体が生き延びられても、その個体が生殖の機会に恵まれなければ、子孫段階で増える(繁栄する)ことはできません。生存に有利でなくても異性に好まれる形質は次代に受け継がれていくことになります。「性淘汰」の結果、モテない者は子孫を残せず滅びゆくのですね。自然淘汰よりも、こちらの方が思考上、残酷かも…
原題:ON THE ORIGIN OF SPECIES : Young Readers Edition
レベッカ・ステフォフ 訳:鳥見真生
あすなろ書房 2019年5月30日発行(原書は2018年)
ダーウィンの紹介から、ダーウィンが約5年に及んだビーグル号の航海以外はイギリス国内で研究に没頭していたことがわかり、「種の起源」は研究論文で紙数の多くは自説の論証というか反対意見への説得・反論に費やされていたことが読み取れます。
特に種の中間的な生物があまり現存せず化石でも見つからないことにダーウィンが悩みその説明に苦しんだことがわかります。そこのところは、ダーウィンの説明を読んでも、今考えてもそうストンとは落ちないのですが。
ダーウィンの主張が「進化論」と名付けられたことからか、その生物・種自体の生存戦略というような説明がなされることが多いのですが、まるで生物・種の意思や本能で形質の変化が進められるかのような議論は自然淘汰・性淘汰(性選択)の理論には馴染まないと思います。あくまでも偶然に生じた微小な変異が生存に有利、生殖に有利であればそれが多数を占めていくということで、そこには意思は働きません。そこに意思を見るのは、創造説の「神の意思」に引きずられた考えだと、思うのですが。さらに、種が変化するのは、生存に有利な方向とは限りません。その世代の話ではなく後の世代の話なので、ポイントはその微小な変異が「生殖に有利」かの方になります。もちろん、生き延びられなければ生殖の機会が少なくなりますから、生存に有利であることは生殖にも有利となることが多いでしょうけれども、個体が生き延びられても、その個体が生殖の機会に恵まれなければ、子孫段階で増える(繁栄する)ことはできません。生存に有利でなくても異性に好まれる形質は次代に受け継がれていくことになります。「性淘汰」の結果、モテない者は子孫を残せず滅びゆくのですね。自然淘汰よりも、こちらの方が思考上、残酷かも…
原題:ON THE ORIGIN OF SPECIES : Young Readers Edition
レベッカ・ステフォフ 訳:鳥見真生
あすなろ書房 2019年5月30日発行(原書は2018年)