今回の災害がこれまでと違う点がいくつかある。
第1に、被災範囲があまりにも広いということ。東日本太平洋沿岸の湾という湾、入り江という入り江がことごとく壊滅状態になったと言っていい。
報道で目にする被災地が最悪の状態なのではなく、全ての地区が同じく最悪な状態であること。報道されない、地名のあがってこない地域や集落も同じく最悪であること。
2点目は、今回の災害は、震災というよりも津波災害であるということ。マグニチュード9.0という巨大な震度ではあったけど、津波に襲われなかった被災地の住宅は意外なほど倒壊していない。それだけに、津波に呑まれた地区と免れた地区の境界線が世界を異にする無情の一線に見えてくる。
津波災害の恐ろしさは、全てを奪い尽くしてしまうということ。震災だけであるならば、その後火災が発生すれば別だが、家屋が倒壊しても、その場に家そのものは残っている。衣類や大切のものを取り出すこともできるだろう。しかし津波災害は、家そのものが破壊されて流され、何一つ持ち出すことはできない。着の身着のままで逃げた人のみが助かったのであり、命と引き替えに物を全て失った災害となった。
また、津波による死者は、遺体そのものが失われてしまうことも多く、発見されたとしても、損傷が大きいため本人確認は難しいとのこと。死者数を確定することすら困難な災害、それが津波災害と言える。
3点目は、沿岸部に点在する石油コンビナートや原発が被災したために、被災地のエネルギー源が絶たれてしまったこと。そのためにライフラインの復旧、特に電気の復旧がきわめて遅いということ。さらにはそれが原因で、電話通信の復旧も遅れている。
被災地の中での連絡がほとんどできず、状況把握、安否確認に非常に苦労しているという。自治体の施設や職員も回覧板よろしく紙を使って連絡しているという状況。
これらの原因もあって、避難所間の支援の偏りが多く見られる。
加えて、ガソリンの供給が悪く、支援物資の運搬に困難をきたしている。
青森から茨城、千葉までの非常に縦長の被災地への支援は、ガソリン不足と相まって、北へ行くほど手薄になっている。
以上のような状況から考えると、今回の災害に対する支援は、南から北へという動きではなく、西から東へという動きを作ることが効率的と思われる。つまり、新潟、山形、秋田、青森がそれぞれの位置から東へ移動するような支援の仕方だ。
あまりにも広範囲であるために、世間の支援と関心が薄れていくとき、取り残されてしまう地域の孤立感、孤独感を感じる被災者が数多く発生すると考えられる。
一つの団体が全てをカバーするという支援の形は物理的に難しく、それよりも、一つの地域が一つの地域をピンポイントで長期的にサポートしていくような支援の形が望ましいと思われる。
以上、1回目の現地調査から見えてきた報告とする。