「来るなら来てみろ!」
気仙沼の浜の人間の言葉です。
一昨日の夕方松林寺を立ち、被災地を回り今朝帰ってきました。
遺体火葬の件で現地の人と話をしておきたかったのと、息子が被災地で動いてみたいというので連れて行くことにしました。合わせて、秋田のお寺の息子さんも同行することになり、加えて、家内も気仙沼の友人の顔をどうしても見たいというので、家族総出みたいな、PTA同伴みたいなことになってしまいました。
結果、家内の方は無事友人に会うことができ、また、安否確認を依頼されていた京都の松浦さんのお知り合いとも顔を合わせることができ、ありがたいことでした。
遺体の火葬ですが、大槌町吉里吉里の吉祥寺さんは、やはり、山形へ搬送しての火葬を是非にお願いしたいという強い思いでしたので、何とか実現できるよう動いているところです。
昨日の夜は、これまでお邪魔しながらゆっくりお話しすることもできなかった清涼院さんに泊めてもらい、お世話になりました。
夜半には発電機の電気も止まり、ローソクの灯りでお酒を酌み交わしました。
酒がまわるにつれ、胸の内の思いも発露され、清涼院方丈様も思わず涙をこぼしておられました。
そこで聞いたのが冒頭の言葉です。
津波の時、浜の漁師たちは真っ先に港に向かい、エンジンを掛けて船で沖に出たのだそうです。何が何でも船だけは守りたいという思いからでした。
津波で船が港に打ちつけられてしまえば壊れてしまう。沖に出れば大きな波も乗り越えることができる、長年の教えがあったのでしょう。実際、沖に出た船の9割は助かったということでした。
その代わり家はみんな壊れ、家族を失った人もいたようです。
「家よりも船を守るんですか」と聞くと、「家では金を稼げない、船があればまた稼げる」と。
船1艘には、機械類などを含めて2億から3億かかるのだそうで、家よりも大きな財産であることは間違いありません。
そして、「浜の人間は山では暮らせない、漁師は必ず浜に家を建てる」と。
「津波が来たところにまた住むんですか」と言うと、「こんな津波は1000年に一度だ、津波が怖くて漁師やってられないっちゃ、来るなら来い!ってことださ」。
山の人間とは違う、漁師の血が流れているのを感じました。