昨日の夜の臨時便で山形空港をたち、今日はSVAの総会で報告をしなければなりません。
震災が起こって以来、早朝に目覚めるとすぐに頭の中が興奮状態になり、眠気も覚めて活動をはじめてしまいます。通常は良く寝るほうですが、ここのところの睡眠時間は極端に短くなっています。
ボランティアなどの活動の原動力、エネルギーは、困難な人々を見て何とかしなければならない、何かお手伝いしたい、という人間としての善意、本能に近いものだと思います。
「ボランティア」の語源は、「ボランタス」自発性であるといわれます。もう一つ「ボルケーノ」火山あるいは噴火であるという説もあります。
何かしないではおられない止むに止まれぬ思い、自らの内部から湧き上がってきた自発的な、自主的な行為、それがボランティアの原点です。
ひとの不幸に心を痛め、ひとの喜びに自らの心が喜ぶ、それが人間というものであり、他の動物との違いもそこにあるでしょう。
その心を仏教では「慈悲」と呼ぶのだと理解しています。
ひとを救おうとする発火点であり、エネルギーです。
しかし、慈悲心だけで行動してしまうと、時には暴走し、かえって相手に迷惑をかけてしまうことにもなりかねません。
そこに必要なのは冷静な判断、「智慧」です。
災害救援のような現場では特に、この慈悲と智慧のバランスがとても大事になってきます。
自分ひとりの中でのバランスが難しければ、慈悲の強い人と智慧の強い人、つまり、熱い心で行動的な人と、冷静な頭で慎重な人との、まさにチームワークを活かすべきです。
もうひとつ大事なことは、行動を起こした人は何も行動しない人を批判する傾向にありますが、それは間違いです。
全員が被災地に向かったならば社会は成り立ちません。被災地はごった返して邪魔で仕方ありません。しっかりと自分の役割を勤める人がいて行動を起こすこともできるのです。平常の役割を果たす人が批判されるいわれはありません。
むしろ、自分の行為が善意の押し売りになっていないか、本当にそれは必要なことなのか、感謝を要求していないか、謙虚に判断することが求められます。
「悪いことをするような思いで善いことをしなさい」というのは、誰だか忘れたお坊さんの言葉ですが、悪いことをしたと思う人は謙虚にもなれるが、善いことをしたと思うと人は謙虚さを失い、傍若無人になりがちだということを戒めたものでしょう。心しなければなりません。
「nobady is light」(中島みゆき)