なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災12 ファイト!

2011年03月26日 09時07分32秒 | 東日本大震災

若者よ一歩を踏み出せ!

最初の一歩を踏み出すまでには誰でも躊躇するものです。

自分に何ができるのだろう、かえって迷惑にならないだろうか、周りの人から「ええかっこしい」と思われないだろうか。

人が人として生きていることを実感として感じることができるのは、意外と災害現場であったりするのです。

ひとの喜びを我が喜びとする、ひとの幸せを我が幸せとする。そのような行為ができたとき、人は心から生きている喜びを感じるものだと思います。

せっかくこの世に人間として生まれてきて、生きている喜びを感じられないのはあまりにももったいない。

門戸はいくらでも開かれています。

一歩が踏み出せれば二歩目はいともたやすく出て行くものです。

さあ、一歩を踏み出しましょう!

「闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう、諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく、ファイト!」(中島みゆき「ファイト!」)


大震災11 「慈悲」と「智慧」

2011年03月26日 08時46分33秒 | 東日本大震災

昨日の夜の臨時便で山形空港をたち、今日はSVAの総会で報告をしなければなりません。

震災が起こって以来、早朝に目覚めるとすぐに頭の中が興奮状態になり、眠気も覚めて活動をはじめてしまいます。通常は良く寝るほうですが、ここのところの睡眠時間は極端に短くなっています。

ボランティアなどの活動の原動力、エネルギーは、困難な人々を見て何とかしなければならない、何かお手伝いしたい、という人間としての善意、本能に近いものだと思います。

「ボランティア」の語源は、「ボランタス」自発性であるといわれます。もう一つ「ボルケーノ」火山あるいは噴火であるという説もあります。

何かしないではおられない止むに止まれぬ思い、自らの内部から湧き上がってきた自発的な、自主的な行為、それがボランティアの原点です。

ひとの不幸に心を痛め、ひとの喜びに自らの心が喜ぶ、それが人間というものであり、他の動物との違いもそこにあるでしょう。

その心を仏教では「慈悲」と呼ぶのだと理解しています。

ひとを救おうとする発火点であり、エネルギーです。

しかし、慈悲心だけで行動してしまうと、時には暴走し、かえって相手に迷惑をかけてしまうことにもなりかねません。

そこに必要なのは冷静な判断、「智慧」です。

災害救援のような現場では特に、この慈悲と智慧のバランスがとても大事になってきます。

自分ひとりの中でのバランスが難しければ、慈悲の強い人と智慧の強い人、つまり、熱い心で行動的な人と、冷静な頭で慎重な人との、まさにチームワークを活かすべきです。

もうひとつ大事なことは、行動を起こした人は何も行動しない人を批判する傾向にありますが、それは間違いです。

全員が被災地に向かったならば社会は成り立ちません。被災地はごった返して邪魔で仕方ありません。しっかりと自分の役割を勤める人がいて行動を起こすこともできるのです。平常の役割を果たす人が批判されるいわれはありません。

むしろ、自分の行為が善意の押し売りになっていないか、本当にそれは必要なことなのか、感謝を要求していないか、謙虚に判断することが求められます。

「悪いことをするような思いで善いことをしなさい」というのは、誰だか忘れたお坊さんの言葉ですが、悪いことをしたと思う人は謙虚にもなれるが、善いことをしたと思うと人は謙虚さを失い、傍若無人になりがちだということを戒めたものでしょう。心しなければなりません。

「nobady is light」(中島みゆき)


大震災10 火葬場読経

2011年03月26日 07時58分58秒 | 東日本大震災

25日、石巻からの被災死亡者火葬前の読経へ。

お母さんのご遺体が納まった棺の上に、5歳の男の子の小さな棺が重なって運ばれてきました。

火葬場近くの葬儀社までは親戚の車で運んできたそうです。

やはり津波での被災でした。幼稚園まで車で迎えに行って、そのまま車ごと津波に飲まれたようです。どれほど恐ろしかったことでしょうか。数日後、車の中で遺体で発見されたとのことです。

ご遺族は着の身着のまま、避難所暮らし、傷だらけの長靴が痛々しいです。もう十分泣いたのでしょうか、言葉も少なく、希望のない明日をぼんやり見つめているようでした。

「仮埋葬して後から火葬することになったのですが、石巻の火葬場の能力では、全部を火葬し終わるまでに2年ぐらいはかかるそうで、それまで土の中に埋められるのが忍びなくて、菩提寺の和尚さんに相談したのでした」と力なく話してくれました。

家を失い、町を、仕事を失い、家族も失った、多くの多くの人々が、これからどこに希望の光を見出して生きていくのか、容易なことではありません。

しかし、この国はじまって以来の大災害に、国を挙げて、国民の総力を結集して立ち向かっていかなければなりません。

一時の善意だけではとても立ち向かうことができない困難です。

腹を据えて、腰を据えて、今自分がここに生きているのは、この困難を乗り越えるためなのだ、というほどの覚悟を決めて力を合わせていきましょう。