昨日は震災からちょうど1ヶ月。新庄市で追悼法要が営まれました。主催・会場は葬祭のヌマザワさん。遺体搬送で全面協力いただいた業者です。
新庄市を中心に最上郡内の宗派を超えた寺院僧侶約20人と、一般の参列者約200名が発災の2時46分に合わせて、黙祷を捧げ、読経いたしました。
現地報告として、私も少し話をさせていただきました。
遺体搬送をしていただいたヌマザワのドライバーさんに感謝を申し上げると、「こちらの方こそお礼を言いたいです、ありがとうございました。こういう活動に参加できたことを感謝しています」とのこと。
みんな何か役に立ちたいと思っているんですよね。何か自分にできることがあればとみんな考えていると思います。
それが、具体的に目に見えるような形でできればいいのでしょうが、なかなかそういう活動が見つかりません。
でも一つだけ言えるとすれば、忘れない、ということだと思います。
何度も繰り返しますが、善意はしぼみやすい、善意は続かない。善意だけでは足りないのです。
映像も見慣れてしまえば次第に衝撃も弱くなってきます。
生活が普通に戻ってくれば、いつまでも被災地を考えていられなくなってきます。
何かできないかと純粋に考えていた思いも、自分のことの方が大事になってきます。
でも、そこにはまだ、悲しみに耐え、困難を我慢しながら生きている人たちがいます。
「かわいそう」だから支援するのではなく、「困っている」から支援する。
「かわいそう」は慣れてくるけれど、「困っている」ならば、困らなくなるまで支援は続けなければなりません。
それともう一つは、デマやウワサを流さないこと。
「避難者がこんなことをした、こんなことを言った」というウワサを、興味半分に言い回る人がいます。あなたはそれを直接聞いたのですか。見たのですか。
たとえそういう言動があったとしても、善い人も悪い人もいるのが社会です。被災者が全員善人で、常に頭を下げて感謝し続けなければ許されないということはないでしょう。
一人の言ったことが全体のこととして言いふらされるのは、差別の構造です。
そんなウワサやデマを聞いても、あなたは言いふらさない。嫌なことを言うもんだなと聞き流す。できたら、「そういうのやめた方がいいよ」と言っていただきたいと思います。