なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災31 記事500号

2011年04月25日 16時03分52秒 | 東日本大震災

前回の記事で、通算ちょうど500号になっていました。

書き始めが2005年5月ですから、6年間ということになりますか。当初はそれほどマメに更新もしていませんでしたが、読者の声をいただいて、途中から俄然頑張って更新しています。いるつもりです。

こまめに更新するにしたがって、毎日のアクセス数も徐々に増えてきました。この1ヶ月の一日平均は120件ぐらいになっています。これが多いのか少ないのかの基準も定かではありませんが。

このところは連続して震災関係の記事になっています。まだしばらくは続くでしょう。しかたありません。この大災害ですから、この問題から立ち去るわけにはいきません。

今私がここに生きているのは、この災害に微力を尽くすためだ、というほどの覚悟ではいます。

問題は何一つ解決していない、と言っても過言ではありません。生きている人が食べるものには困らなくなった、寒い思いをしなくてもよくなった、程度の段階です。

これだけの広範囲ですからしかたないのかもしれませんが、これまでの災害と比べて、はるかに復旧のスピードが遅い、1ヶ月半経って、未だに電気が通じていない地域があるなどということはこれまで考えられませんでした。

一昨日、避難所で炊き出しの打ち合わせをしてきました。

「本当は何食べたいの?」とおばさんたちに聞くと、「食べさせてもらってぜいたくは言えない」と未だに遠慮がちです。

「でも、炊き出ししたい人たちが何を持ってくればいいか迷っているので、正直に言ってもらった方がいいよ、できるかできないかは、それぞれが考えるから」と言うと、

「生きていくためには何でも食べられればいいと思ってきたけれど、パンはもう食べたくない、アルファ米や、パックのご飯もねえ、おにぎりも塩がない方がいいかな、そろそろ、栄養のバランスがとれたものを家族には食べさせたいと思うの」

「海で育った皆さんだから魚が食べたいでしょう」

「魚はたべたいね、アジでも何でも」「刺身というわけにはいかないでしょうし」(それは無理だよ、という声。この辺の人々は、刺身の夕食が普通だった)

「そうだね、我々では刺身は難しいね、でも焼き魚ぐらいだったら何とかできるんじゃないかな」

「そんなことしてくれたら、本当にうれしい、でも悪いよねえ」

区長さんが「いつまでも支援してもらってはダメだと思っているんだ、こうやって物がある内に自分たちで何とかするという気持ちを持たないと」

曹洞宗山形第1宗務所管内から、この避難所に毎週1回のペースで炊き出しを行うことになりました。

魚を喰って元気を出してもらいたいと願っています。

今月28日には赤倉温泉湯澤屋チームが、5月10日には立小路ゆめぼたる会チームが、別の避難所へ魚を持って炊き出ししてくれることも決まっています。