Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日は会報作り

2015年01月11日 23時37分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに退職者会のブロックの会報を作成した。先ほどまでかかって原稿が出来上がった。といっても3時間ほどで仕上がったから早い方である。A4で裏表。本年第1号に着き、クイズ付。今年は何人が応募してくれるだろうか。
今号で13号である。ようやくカラー刷りに慣れてきた。モノクロでの原稿になれているので、カラー版の会報というのに慣れるのにずいぶん時間がかかった。
 ただし色に頼るのは考えものである。あまり色が氾濫していると、メリハリがつかない画面になってしまう。必要な事項がパッと目に飛び込むようなシンプルでインパクトのある画面というのはなかなか難しいものである。

 印刷は明日の午前中に済ませてしまいたい。お昼前に再度日本橋まで出向いて高島屋で開催している川瀬巴水展に行く気力があるだろうか。体力にまだ自信がない。無理をしてまた発疹が再発してもらっても困る。あるいは熱がまだ出ても嫌だ。疲れがたまらないようにしなくてはいけないようだ。

古墳出現期の神奈川・横浜

2015年01月11日 20時16分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は、横浜市埋蔵文化財センター主催の「横浜の遺跡展」関連講演会「ヤマタイ国時代の東日本-古墳出現期のかながわ」と題した講演会に参加した。
 「横浜の遺跡展-古墳の出現」は横浜市歴史博物館で明日まで観覧無料で行われており、講演会の会場もこの歴博の講堂で行われた。
 講演は、古谷紀之埋蔵文化財センター研究員による「古墳出現前後の横浜」、ならびに西川修一神奈川県立旭高校教諭による「古墳出現期のかながわ」のふたつ。13時半から16時まで講演があり、終了後30分ほど展示説明も行われた。
 横浜の現在の市域は、一部は川崎市域とともに武蔵野国の最南部にあたり「南武蔵南部」地域と云われる。
横浜市域でも、相模湾に流れ込む川の最上流部から南西部側は相模国に属していた。
 武蔵野国地域にあたる最大規模の前期前方後円墳が加瀬白山古墳(現川崎市域)と観音松古墳(現横浜市域)で、ともに横浜の慶応大学日吉キャンパスを含む近距離にある。古墳時代前期にはこの日吉地域を中心に地域的な統合が出来上がっていたらしい。
 西川氏からは、「抗争」「優勝劣敗、弱肉強食」だけが歴史を動かす原動力だったのか?、といったとても刺激的な提起があり、もう一度弥生時代終末期から古墳出現期の時代の捉え返しが必要なことなどを教わったと思う。
 まだまだ詳しく報告する程の能力はないが、いい講演を聞くことが出来たと思った。