本日は久しぶりに晴れの穏やかな日となった。さっそくお昼前に最寄り駅近くやみなとみらい地区まで歩いて出かけた。汗が出ない程度の軽いウォーキングで往復。
みなとみらい地区では「横浜美術館コレクション展 2014年度 第2期」の2度目の観覧。気に入った作品の写真を撮影してきた。
若干の感想と作品の掲載は明日に‥。
さて、横浜美術館のミュージアムショップで荘司福のポストカード2種を見つけた。2枚で100円という値段。
荘司福は仙台ゆかりの日本画家として宮城県美術館で展示されているものを見て以来気になっていた。

神奈川県立近代美術館葉山で2009年に「生誕100年 荘司福展 花、大地、山-自然を見つめて」展の解説がネットで検索したら出てきた。
生誕100年を記念して、日本画家 荘司福(1910-2002)の回顧展を開催いたします。
荘司福は、1910(明治43)年に父の仕事の関係で赴任していた長野県松本で生まれました。青春時代に東京の女子美術学校で日本画を専攻しましたが、卒業後、若き数学者荘司篤と結婚し、東北の仙台に新居を構えました。しかし、夫は結核にかかり、若くして命を失います。二人の乳飲み子を抱えながら、荘司福が生きる目標としたのが日本画の創作活動でした。
画家として仙台でスタートさせた前半生と、その後に過ごした東京、横浜での後半生を通じて荘司福の創作活動は、戦後の日本画の歩みをそのまま体現したといえます。戦後の洋画を貪欲に吸収していった1950年代の作品から始まって、荘司福は、徐々に東北の生活や信仰に共感を寄せていきました。1960年代から1970年代にかけては、海外への取材にも意欲的に取り組み、インドやネパール、さらにエジプトやケニアといったアフリカにまで足を延ばします。仏教遺跡やオリエントの神々に接することで、古代への思いを創作に生かそうとしていきました。そして、若き日に東北の土俗的な神々を題材にした素朴な美意識に彩られた作品から、1980年代に入ってくると、静謐で玄妙な画風を経て、日本画の世界に独特の深遠な境地を生み出すようになっていきました。1980年に70 歳を迎えた荘司福は、さらに亡くなる92 歳までの晩年の20年間を、自然との対話に努め、苔むした石が連なった《刻》(1985)や清々しい早春をとらえた《到春賦》(1987)といった傑作を生み、さらに自然と交感し、ついには自然と融和した精神状態で《明け行く》(1999)や《春の海》(1999)などの絵画を描く境地に至ったのでした。
今回の展覧会は、荘司福の没後初めての大規模な回顧展で、代表作約90点を通して、荘司福の雄大で厳粛な世界を展観します。戦後の日本画の質の高い到達点の一つを示す荘司福の芸術をご堪能下さい。」
ここに掲載されている「北辺春」(1997)は宮城県美術館で見た記憶が蘇ってきた。
また昨年3月東京都美術館で開催された「世紀の日本画展」でも「風化の柵」(1974、宮城県美術館蔵)も記憶に残っている。
宮城県美術館、神奈川県立近代美術館、横浜美術館で作品が見られるようである。

今回購入したポストカードは「原生」(1984)と「春律」(1986)の2枚。「春律」の冬芽の微かな赤と、左右から伸びている異様に長く描いた細い枝の絡み合い、細い滝の流れがまず目に入った。そして次に凍てつく寒さの中にそそり立つ巨大な岩のボリュームに圧倒された。凝灰岩のような緑色がかった岩肌が美しい。
荘司福の生涯を辿ってみたい。この次に神奈川県立近代美術館葉山に行ったら2009年の時の図録を購入したいものである。残部があればうれしい。
みなとみらい地区では「横浜美術館コレクション展 2014年度 第2期」の2度目の観覧。気に入った作品の写真を撮影してきた。
若干の感想と作品の掲載は明日に‥。
さて、横浜美術館のミュージアムショップで荘司福のポストカード2種を見つけた。2枚で100円という値段。
荘司福は仙台ゆかりの日本画家として宮城県美術館で展示されているものを見て以来気になっていた。



神奈川県立近代美術館葉山で2009年に「生誕100年 荘司福展 花、大地、山-自然を見つめて」展の解説がネットで検索したら出てきた。
生誕100年を記念して、日本画家 荘司福(1910-2002)の回顧展を開催いたします。
荘司福は、1910(明治43)年に父の仕事の関係で赴任していた長野県松本で生まれました。青春時代に東京の女子美術学校で日本画を専攻しましたが、卒業後、若き数学者荘司篤と結婚し、東北の仙台に新居を構えました。しかし、夫は結核にかかり、若くして命を失います。二人の乳飲み子を抱えながら、荘司福が生きる目標としたのが日本画の創作活動でした。
画家として仙台でスタートさせた前半生と、その後に過ごした東京、横浜での後半生を通じて荘司福の創作活動は、戦後の日本画の歩みをそのまま体現したといえます。戦後の洋画を貪欲に吸収していった1950年代の作品から始まって、荘司福は、徐々に東北の生活や信仰に共感を寄せていきました。1960年代から1970年代にかけては、海外への取材にも意欲的に取り組み、インドやネパール、さらにエジプトやケニアといったアフリカにまで足を延ばします。仏教遺跡やオリエントの神々に接することで、古代への思いを創作に生かそうとしていきました。そして、若き日に東北の土俗的な神々を題材にした素朴な美意識に彩られた作品から、1980年代に入ってくると、静謐で玄妙な画風を経て、日本画の世界に独特の深遠な境地を生み出すようになっていきました。1980年に70 歳を迎えた荘司福は、さらに亡くなる92 歳までの晩年の20年間を、自然との対話に努め、苔むした石が連なった《刻》(1985)や清々しい早春をとらえた《到春賦》(1987)といった傑作を生み、さらに自然と交感し、ついには自然と融和した精神状態で《明け行く》(1999)や《春の海》(1999)などの絵画を描く境地に至ったのでした。
今回の展覧会は、荘司福の没後初めての大規模な回顧展で、代表作約90点を通して、荘司福の雄大で厳粛な世界を展観します。戦後の日本画の質の高い到達点の一つを示す荘司福の芸術をご堪能下さい。」
ここに掲載されている「北辺春」(1997)は宮城県美術館で見た記憶が蘇ってきた。
また昨年3月東京都美術館で開催された「世紀の日本画展」でも「風化の柵」(1974、宮城県美術館蔵)も記憶に残っている。
宮城県美術館、神奈川県立近代美術館、横浜美術館で作品が見られるようである。


今回購入したポストカードは「原生」(1984)と「春律」(1986)の2枚。「春律」の冬芽の微かな赤と、左右から伸びている異様に長く描いた細い枝の絡み合い、細い滝の流れがまず目に入った。そして次に凍てつく寒さの中にそそり立つ巨大な岩のボリュームに圧倒された。凝灰岩のような緑色がかった岩肌が美しい。
荘司福の生涯を辿ってみたい。この次に神奈川県立近代美術館葉山に行ったら2009年の時の図録を購入したいものである。残部があればうれしい。