Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は雨の予報

2015年01月14日 23時05分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
ウェザーマップ社の予想によると、

★九州から本州の南を進む低気圧の影響で、15日にかけて大気の状態が非常に不安定となり、太平洋側を中心に、局地的に激しい雷雨のおそれがある。急な激しい雨や落雷、竜巻などの激しい突風に注意が必要だ。
 東シナ海にある低気圧は前線を伴って東北東へ進んでいる。低気圧は15日にかけて発達しながら、九州南部から四国の南を通って関東の東の海上に進む。
 低気圧や前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込むため、大気の状態が非常に不安定となり、西日本と東日本の太平洋側を中心に激しい雷雨となる所がある見込みだ。
 また、この低気圧の影響で、関東地方の北部山沿いや甲信地方を中心に、大雪のおそれがある。15日夕方までに予想される降雪量は、多いところで20センチから30センチの見込み。大雪による交通障害やなだれ、着雪にも注意が必要だ。

と記されている。最高気温の予想は横浜で7℃で風も強い。

 10時からの講座受講の後、久しぶりにウォーキングを兼ねて歩こうと思っていたが、止めた方が良さそうだ。コートを着た方が良さそうである。帰りに横浜美術館を再度訪れようと思っていたが、残念ながら明日は休館日であった。
 おとなしく喫茶店で読書ということにでもするしかなさそうである。
 インフルエンザの勢いが少しでも和らぐといいのだが、すでに発症している人や潜伏期間中の人にはあまり意味はないかもしれない。

楽しいひととき

2015年01月14日 18時20分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 友人と2人、馬車道の傍で新年会を開催。安くすませることが出来た。実に久しぶりに焼酎を飲んでみた。お腹に持たれず気持ちよく酔うことが出来た。

 友人との待ち合わせ前に有隣堂で「ゴッホ<自画像>紀行」(木下長宏著、中公新書)を購入。しばらくはこの本で楽しめそうである。
 今年は少し読書に時間を割きたい、と思っている。まずは美術関係の本から挑戦してみるつもりである。少しでも不勉強を解消したい。

明日は天気がよくないようだが、久しぶりに10時からみなとみらいでの講座がある。遅刻しないよう早寝しよう。

デ・クーニング展

2015年01月14日 10時01分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 東京駅八重洲口のブリヂストン美術館で開催されていたウィレム・デ・クーニング展を最終日の12日に見てきた。私はデ・クーニングと云う名は、ほとんど知らなかったに等しい。ジャクソン・ポロックと並び称される抽象画家ということくらいしか知らない。私にはポロックの方がほんの少しだけなじみがあり、デ・クーニングの作品は初めて目にしたと思う。
 今回も1960年代後半の作品が主であり、全体像を見たわけではない。「デ・クーニング」の生涯の作品を概観したわけではないので限られた印象だと思う。
 残念ながら図録を購入するゆとりはなかったので、ネットでブリヂストン美術館のホームページに掲載されている情報を引用してみると以下のようなものである。

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ウィレム・デ・クーニング(1904-1997)は、ジャクソン・ポロックと並んで、第二次世界大戦後にアメリカで開花した、抽象表現主義を先導した画家のひとりとしてその名を知られています。その作品は、具象と抽象の狭間の表現と、激しい筆触を特色とします。
デ・クーニングは1904年にオランダのロッテルダムに生まれました。1926年、22歳の時に渡米し、初期は商業美術で生計をたてていたが、やがて半具象的な絵画を制作しはじめます。1950年代には、激しい筆触と強烈な色彩を特色とする女性像の連作を発表し、一躍脚光を浴びました。以後、女性像は画家を代表する主題となり、1960年代にはさらに多彩な女性像を制作しました。それらの絵画様式は、同時代はもちろんのことその後の世代に多大な影響を与えました。
デ・クーニングがはじめて女性像を画題としたのは1940年前後のこと。ピカソの新古典主義の人物像を思わせる女性像を描いていました。1940年代後半になって彼が描き出した新しい女性像は、それらとは全く異質のものでした。親友にしてよき師でもあったアーシル・ゴーキーの抽象表現にインスピレーションを得たデ・クーニングは、1940年代を通して自らも抽象表現を試みましました。これが一つの頂点を迎えた後、画家はあらたな表現を模索し、女性を主題とした作品の制作に取り組んだのでした。しかし、その制作は困難を極め、途中で制作を放棄するような状況に追い込まれることもありました。しかしついには1952年までに数点の女性像を完成し、それらは1953年3月、ニューヨークのシドニー・ジャニス画廊で発表されました。それは、ポロックのドリッピングとは異なり、女性のデフォルメされた形態が、暴力的なまでに表現主義的な線描と色面で構成され、抽象に限りなく近い表現は、直前の抽象の様式を引継いたものでした。これらは、当時のニューヨーク画壇に衝撃を与え、抽象とも具象の狭間にある激しい表現に対して大きな議論が湧き上がりました。
その後、1950年代後半になると、デ・クーニングの作品は再び抽象の度合いを増していきますが、1960年代前半になると三度女性像の主題に取り組み始めました。それらは、激しい抽象的な表現から一転して、しかしその筆触を存分に活かした躍動感溢れる明るい作品となりました。それらはかつての女性像に見られた緊張感溢れる激しさは和らぎ、肉体を想起させる華やかな赤、ピンク、オレンジ等の明るい色彩が支配する様式に転化しており、溌剌として健康的、時に滑稽な性格を示している。本展には、これら1960年代の女性像を中心に構成されています。
デ・クーニングの女性像をどのように解釈するかは、発表当時より無数にあったようですが、何よりも長い絵画の歴史にあって、それらは類を見ない表現であり、それゆえに直後よりその後の絵画表現に大きな影響を与えました。
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 さて今回の展示ではほとんどの作品は女性と思われる対象が画面の中心を占めている。題名も「女」「ふたりの女」「水の中の女」「無題」と素っ気ない。しかし「女」等の作品と「無題」との間には何か大きな区別があるようにも感じた。
 基本的にどの女性像も白の優ったピンクと赤・黄などが女性の輪郭と肉体を表現し、背景は多く青・緑などの色を使っている。私は女性であることに対するこだわりや画面の中央に大きく確かに描かれている形象に女性を感じた。しかしあまりエロスは感じなかった。
 ただ一枚私が「エロス」を感じたのは、そして一番印象に残ったのは、チラシの裏面の2「無題」(1969)であった。今回の展示では一番年代の後ろの作品である。赤それも少し黒っぽい2か所の赤が、血のイメージとともに「エロス」を感じ取った。
 他の絵は描かれている対象の女性はあくまでも色の奔走な氾濫、暖色の縦横な乱舞を形象化するための契機として位置づけられていると思われた。
 この絵は具象性からはさらに女性の肉体は背景に融け込み形を成さなくなっているが、しかし女性であることがより重要な要素となったことが窺えた。

 先に引用した説明によれば、今回の展示の大半を占めている1960年代後半の女性像は三度目の女性像の取組みであり、躍動感に溢れ、緊張感溢れる激しさが和らぎ、明るい色彩が支配する様式に転化している、ということになる。このように記されていると、私の指向としてはそれ以前の1940年代、1950年代それぞれの時期の女性像の作品も是非目にしたいものである。
 同時に1969年の私が惹かれた作品は次の女性像への橋渡し的な作品になるのかもしれないとも思った。

 いづれにしても気になる画家であると思った。