2010年に12回にもわたって「香月泰男のシベリアシリーズ」を掲載した。もうそれから4年半年も立ってしまった。
その間に宮崎進展を取り上げたときにシベリア体験ということで比較として取り上げたことがある。
シベリアシリーズの作品のような絵ばかりを描いていたわけではないのだが、私の頭の中ではシベリアシリーズを除いて香月泰男という画家は存在しない。
本日取り上げている12枚の1967年一年間、雑誌「新潮」の表紙を飾って12点の作品もその作風が大きく反映している。
7月から12月までの作品では3点の作品に赤色が効果的に配置されている。
10月の「彼岸花」、11月の「巴里屋根」、12月の「West End Ave」の3点。シベリアシリーズでは初期の1948年の「埋葬」、そして1970年の「業火」という2点に鮮やかな赤が使われているが、他は特有の黒と茶色が主体のシリーズである。
香月泰男という画家が戦後になって赤という色を画面に使い始めたのはいつの頃であろうか。私はそこまで詳しくは研究していないのでわからない。しかし生涯あまり赤い色を使っていなかったことは言えると思う。「別冊太陽188」にも掲載されているシベリアシリーズ以外の作品では1948年の「朝」、1949年の「ダリア」位である。
あまり使われていない赤い色であるが、使われている場合は実に効果的な使い方だと思う。「生命」の暗喩として使われているとも思われる。重たい赤だと思う。
また9月の「星座」はシベリアシリーズの「青の太陽」も連想させる。「青の太陽」では井戸の底から空をはるかかなたに仰ぎ見るのだが、こちらの黒い夜空の方が逆に明るい星空に見える。絶望に近い過酷な極限状態から見る空と、そこから生還して見上げる星空の違いを、星の輝き方に見てしまうのは飛躍しすぎだろうか。