Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

香月泰男の絵2

2015年01月25日 20時20分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 2010年に12回にもわたって「香月泰男のシベリアシリーズ」を掲載した。もうそれから4年半年も立ってしまった。
 その間に宮崎進展を取り上げたときにシベリア体験ということで比較として取り上げたことがある。
 シベリアシリーズの作品のような絵ばかりを描いていたわけではないのだが、私の頭の中ではシベリアシリーズを除いて香月泰男という画家は存在しない。
 本日取り上げている12枚の1967年一年間、雑誌「新潮」の表紙を飾って12点の作品もその作風が大きく反映している。
 7月から12月までの作品では3点の作品に赤色が効果的に配置されている。
 10月の「彼岸花」、11月の「巴里屋根」、12月の「West End Ave」の3点。シベリアシリーズでは初期の1948年の「埋葬」、そして1970年の「業火」という2点に鮮やかな赤が使われているが、他は特有の黒と茶色が主体のシリーズである。
 香月泰男という画家が戦後になって赤という色を画面に使い始めたのはいつの頃であろうか。私はそこまで詳しくは研究していないのでわからない。しかし生涯あまり赤い色を使っていなかったことは言えると思う。「別冊太陽188」にも掲載されているシベリアシリーズ以外の作品では1948年の「朝」、1949年の「ダリア」位である。
 あまり使われていない赤い色であるが、使われている場合は実に効果的な使い方だと思う。「生命」の暗喩として使われているとも思われる。重たい赤だと思う。
 また9月の「星座」はシベリアシリーズの「青の太陽」も連想させる。「青の太陽」では井戸の底から空をはるかかなたに仰ぎ見るのだが、こちらの黒い夜空の方が逆に明るい星空に見える。絶望に近い過酷な極限状態から見る空と、そこから生還して見上げる星空の違いを、星の輝き方に見てしまうのは飛躍しすぎだろうか。


香月泰男の絵

2015年01月25日 08時23分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日もさほど気温は上がらない模様。明日月曜日は再び天気が下り坂、火曜日は雨が降り、水曜日以降には気温も下がるという予報になっている。明日から一週間は太陽の顔をあまり見ない日が続くようだ。
 昨日に続き明日も昼間は組合関係の事務所に詰めることになっている。今のところ特にあわただしくはないが、年度末にかけて次第に忙しくなってくる予定。



 昨日からふとブラームスのバイオリンソナタを聞きながら、香月泰男の図版集をめくっている。
 香月泰男のシベリアシリーズは私の絵の体験のごく基層をなしている。しかしそれ以外の作品はあまり見ていない。最近時々それらの絵を見たいと思うようになり、いくつかの作品が頭を過ぎっていた。
 昨日の最晩年の遺作のような作品も、この「新潮」(1967)の表紙を1年間飾った作品もそのような作品である。今回は1月号から6月号までを掲載してみた。椿(3月)と薊(5月)が私は気に入っている。

 さて、ブラームスの室内楽曲と香月泰男、同時に頭の中に入ってくるのは不思議な気もする。香月泰男がクラシックを好んだという記述も知らないし、ブラームスへの言及も聞かない。私の頭の中では軋轢なく同時に入って来てお互いに無干渉である。へたに干渉しあわない関係がいい。両者にとっては迷惑かもしれないが‥。