Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「新潟市美術館の名品たち」展(その1)

2015年06月05日 13時39分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   
 昨日目黒区美術館で「新潟市美術館の名品たち-ピカソとクレーもやってきた」展を見てきた。

 論語の冒頭、学而編第一「子曰く、学びて時に之これを習う。また説(よろこ)ばしからずや。朋有り、遠方より来たる。また楽しからずや。人知しらずして慍(いきど)おらず、また君子ならずや」。懐かしい文章に出くわした。こんなフレーズが美術展のチラシに掲載されるというのは新鮮な気分である。今でも漢文で習うのであろうか。

 チラシにもあるとおり、クレーの「プルンのモザイク」とピカソの「ギターとオレンジの果物鉢」が大きな売りとなっている。



 まずはクレーの作品は1931年のもの。これは着色した紙をモザイク状に厚紙に張り付けた作品である。手で撫でるわけにはいかないが、見ているだけで凸凹の質感が伝わってきてそのリズムがまず嬉しい。遠くから眺めていても不思議な色と形のバランス、変化もまた心地いい。こんな作品を眺めて一日過ごすのにあこがれることがある。



 次にピカソの作品は1925年の作品。テーブルの上に乗ったギターとオレンジの入った果物鉢と字が書かれた布などが読み取れる。が、それを読み取ることよりも、暖色は少ないにもかかわらず温かみのある配色の妙と、伝わってくるギターや果物の質感が不思議である。木のぬくもりを強く感じる。
 初めて見る作品のようでもあり、どこかで見たという既視感もある。ぎらついた原色が無いのが私には好ましく感じられる。
 上辺の真ん中で青い色が塗り残しのようになって茶色に変化する部分が不思議である。その他の部分は形の線に沿って色彩がくっきりと分割されているが、そこだけ色の分割がされていない。うすい青色がこの茶色の部分を覆って、深い緑の部分と接するようになっていたら色のバランスが大きく崩れておかしく感じられる。ちょっとした色の面積の変化で作品がアンバランスとなると思われる。



 オディロン・ルドンの「黄色いケープ」(1895)にも惹かれた。あの黒のさまざまな表情を執拗に描いたルドンが晩年に色彩を爆発させるように描いたパステル画は大きな魅力であるが、私はどちらかというと大きな作品、それも花の作品しか印象になかった。しかしこのような小さな作品も気に入った。画面右上から左下にかけて赤とレンジの花をつけた長い枝と、黄色いケープを身につけた人物が同色に描かれている。そして紫から黄色に次第に変化していく色合いが美しい。



 マックス・エルンストの「ニンフ・エコー」(1936)は初めて見たと思う。エルンストの作品では惹かれたの初めてのことだと思った。鬱蒼とした、むせかえるような緑色の植物の葉の重なりは生命の象徴のような色だが、同じ色であらわされた「ニンフ」が不思議な生命力のかたまりに見える。
 花と思われる緑をまとったような白の配置が左の上下と右側にまとめてある。この花に囲まれた空間が濃い力を感じさせる。なかなか魅力的な作品だと思った。