Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「BRUTUS7月号」から「土偶」

2015年06月23日 20時49分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 グラフィックデザイナーの佐藤卓氏が語っている。
 「とても1万年も前の造形物とは思えません。なんでこんな形を思いついたんだろうと疑問が湧くのと同時に、力強さも感じます。“想像力をかき立てるわからなさ”があると実感します。“わかりやすく”をどれだけ重ねても、魅力的なものに至るわけではないと、つくづく思わされる。」
 「現代の基礎的な造形が、実はほとんど縄文時代で模索されているとも言える。」
 「今のアートというものは、一般的な生活から少し距離があります。特別なものとして会いに行かなければいけないような存在です。でも縄文時代のクリエイションは、さまに生きることそのもので、生活の一部。そういう状態の方が豊かじゃないのか。本当の豊かさとはどういうことなのか。縄文時代の造形を通じて、考えるべき時に差し掛かっているんじゃないか。」
 土偶の造形に対する認識にはなるほどと感心することしきり。土偶と云うものの魅力をあらためて思い起こしてもらった。私はとても優れた専門生のある製作者の存在を考えている。社会の分業と云うものの進展がかなり進んでいたと思う。呪術的な側面については専門の方の論考を知りたいが、それ以上に、縄文の時代の人々の「美」的感覚、形体に対するこだわりというものがとても繊細で高度なものであったと思う。

世界平和アピール7人委員会アピール

2015年06月23日 20時11分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
世界平和アピール7人委員会(武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 村薫)が以下のアピールを公表した。

★安保関連法案を廃案にし、安心・安全に生きる世界に向けて
2015年6月22日

 私たちは、集団的自衛権の行使を認めた2014年7月1日の閣議決定を取り消し、無理な審議を強行している安保関連法案を廃案にし、軍事でなく外交を優先する政策に変換し、敵を作らずに平和に貢献する国づくりを目指すことを、日本政府と国会に求める。

 安倍政権は安保関連法案が必要な理由として「中国の軍事大国化」と「北朝鮮の核戦力」を挙げているが、これらは軍事超大国の米国が維持している巨大な在日米軍基地の存在と無関係ではない。安倍政権の動きは、一部の国と癒着し、敵を作り、相互に非難し合うことで緊張を高めるものであり、抑止力にならないどころか、軍拡競争を誘発するばかりである。これは日本の安全を脅かすだけでなく、世界の諸国民の平和に生存する権利を侵すものと言えよう。すでに自らの考える秩序を全世界に押しつけようとする米国の力の政策が限界に達していることは明白である。

 日本国憲法は、前文に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と書き、戦争と武力行使を永久に放棄し、戦力を保持しないことを第9条で規定している。軍事力強化を目指す安倍政権の意図に反し、大多数の国民は憲法第9条改正を望んでいない。外交努力によって自らの安全を図り、世界の紛争に対しては、一方だけを支持することなく積極的に調停にあたるのが日本の目指すべき道である。人口激減、財政赤字の日本が進むべき道は、国際融和・協力による一人一人が安心・安全の社会であるべきだと信ずる。

 私たちは、60年前の、「平和共存」、「平等互恵」を訴えたバンドン会議(アジア・アフリカ会議)や、核兵器と戦争の廃絶を呼びかけたラッセル・アインシュタイン宣言を想起する。日本国憲法が目指す目標に向かって粘り強く一歩一歩進んでいく政策を選べば、“核の傘”による核兵器依存が不要になるばかりか沖縄を含めた日本全体の米軍基地も不要になり、北東アジアの緊張緩和に寄与し、諸国民が安心して安全に生存していく世界の実現に貢献できる。

 私たちは、日本の国民に、日本政府の政策を、国連憲章の平和原則と日本国憲法の初心と歴史の流れに従って、平和共存・相互理解・平等互恵及び一人一人の平和的生存権の保障される世界を目指して、根本的に変えさせていくよう訴える。

世界平和アピール七人委員会のホームページは右のとおり。⇒【http://worldpeace7.jp/?p=762

沖縄慰霊の日に

2015年06月23日 20時03分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 沖縄の慰霊の日、以下の琉球新報社説を読んだ。耳を傾けたいものである。

<社説>慰霊の日 犠牲の再来 許さない 沖縄戦の教訓を次代へ
 米軍の戦史に「ありったけの地獄を集めた」と刻まれた沖縄戦から70年、慰霊の日がまた巡ってきた。ことしはとりわけ胸が騒ぐ。節目の年だから、ではない。沖縄戦の教訓を無にするかのような動きが活発化しているからだ。
 先人の無念を無駄にしてはならない。戦争を憎み、平和な島を建設するという「あまりにも大きすぎた代償を払って得た/ゆずることのできない/私たちの信条」(県平和祈念資料館・展示むすびのことば)を思い起こしたい。

強いられた「共死」

 沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」である。言い換えれば「軍の駐留は住民の犠牲を招く」ということだ。これは抽象的なスローガンではない。戦場の実態に即した事実である。
 沖縄戦で壊滅的被害を受けた島と日本軍が駐留していた島は、見事なほど一致する。駐留のない島の被害は軽微だ。駐留と被害は明らかに連動したのである。
 別の背景もある。沖縄戦直前、軍部は住民に壕を掘らせ、戦争準備を強いた。従って住民が投降すれば、どこに司令官がいてどこに武器弾薬があるか、敵軍に知られてしまう。だから住民が生き残るよりは住民の全滅を願ったのだ。
 それを裏打ちする文書がある。日本軍の「報道宣伝防諜(ぼうちょう)等に関する県民指導要綱」だ。「軍官民共生共死の一体化」とある。意図的に住民へ「共死」を強いたのだ。
 もっと本質的な問題もある。大本営は「帝国陸海軍作戦計画大綱」の中で沖縄を「皇土防衛の前縁」とし、現地の軍に「出血持久戦」を求めた。米軍の本土上陸を一日でも先延ばしするため、沖縄を「捨て石」としたのだ。沖縄の住民は「防衛」の対象ではなく、本土を守るために犠牲に供するものと位置付けたのである。
 これは沖縄戦全体を覆う特徴だ。1945年4月、大本営は「占領セラルハ必至」(機密戦争日誌)と知りつつ、沖縄戦に突入した。5月下旬、日本軍は主力の7割を失い、首里の司令部も維持できなくなったが、沖縄本島南部への撤退を決めた。南部に住民13万人余がひしめくのを承知の上で、である。
 占領されると知りながら敵を上陸させ、なるべく長くとどめようとする。住民が多数逃げている場所に軍が行き、紛れ込む。こんな計画のどこに住民を守る視点があろう。軍部には住民保護の意識が決定的に欠落していた。
 以降、日本軍による食料強奪や住民の壕からの追い出し、壕内で泣く子の殺害が起きた。「ありったけの地獄」はこうして現れた。

戦前想起させる動き

 沖縄戦の前年、疎開船対馬丸が米軍に撃沈された。だがその情報は軍機保護法により秘匿され、知らずに別の疎開船に乗った住民も次々に犠牲となった。特定秘密保護法がこうした事態の再来を招かないか、危惧する。
 今、安全保障法制は、日本と遠く離れた地域での出来事も「国の存立が脅かされる事態」と規定する。戦前の「満蒙は生命線」の言葉を想起する。国民の恐怖心をあおって他国での戦争を正当化する点で、うり二つではないか。
 沖縄戦体験者の4割は心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症、または発症の可能性があるという。阪神大震災体験者の倍だ。専門家は「沖縄戦と今が地続きだからだ。米軍の存在が日常の沖縄では米軍による事件事故のたびに心の傷口が開く」と分析する。
 その傷口に塩を塗り込むように、政府は新たな基地の建設を辺野古で強行している。沖縄の民意がどうであろうと沖縄を基地として差し出す、という構図だ。犠牲を強いる点で、沖縄戦の構図と何が異なるだろう。
 私たちは犠牲強要の再来を断じて許さない。過去に学び、戦争につながる一切を排除せねばならない。疎開船撃沈を報じず、沖縄戦でも戦意高揚を図った新聞の責任も、あらためて肝に銘じたい。




 以上の社説を読みながら思ったことを‥

 安倍晋三首相の「沖縄が忍んだ、あまりにもおびただしい犠牲、この地に斃れた人々の流した血や涙に思いを致し」という表現に強い疑問を感じた。沖縄の人々は自ら進んで、好んで、自ら選択して忍んできたのではない。忍ぶことを強いられてきたのではないか。「本土防衛のために捨石にしてきた」のではないか。その構造が戦後70年の今まで続けられていることに思いが至らないからこそ、今の問題があるのではないか。少なくとも日本が近代国家をめざした明治期以降、そしてとりわけあの沖縄戦以降に沖縄が強いられた構造をどうとらえているのか、政権を担う政治家はキチンと表明する義務が私にはあると思う。総じてあの戦争をどうとらえるかが問われているのではないか。
 戦後70年、どうして日本という国はあの戦争の総括が自らの力でキチンとなされないのであろうか。