昨夜は渋谷の「サラヴァ東京」で開かれた二代目高橋竹山定期演奏会第6回リサイタル「海をわたる女唄シリーズ(最終編)」を聴いてきた。
初回と第5回をのぞいてあわせて3回聴いてきた。毎回違った新曲も披露され、趣向も少しずつ違っている。
解説・トークの大野光子氏の解説がなかなかいい。小田朋美氏のピアノとボーカルもまたとても聴かせる。そして何より二代目高橋竹山の津軽三味線を弾く技量に圧倒される。企画・制作の佐々木幹郎氏のトークもまた私にはとてもよく理解できるように感じる。
今回は毎回取り上げるアイルランドの女性詩人ヌーラ・ニー・ゴーノルの「入院中の人魚」という一見とても変わった、ユニークな詩につけた作品。人魚が手足を病院でつけられてしまう、という物語、最初は意味するところが理解できなかったが、解説を聞いていてようやく理解できた。
アイルランドがイングランドに支配されていた時代、母語を禁止されたことを歌ったものであるとのこと。
直前に歌われた沖縄の「19の春」との関連でいえば、ウチナーグチ(性格には琉球語といった方がいいようだが)を禁止された明治時代以降の琉球の人々、北海道のアイヌの人々への支配など、「標準語」「大和言葉」の強要などのことに思いを馳せた。当然台湾や朝鮮半島での植民地支配下の言語統制なども思い出される。言語を奪うということが意外と身近に最近まで平然と行われ、そして今でもこの列島内部で固有の伝統や文化がないがしろにされる風潮が続いている。
そんなことを考えながら、沖縄音階の唄や津軽じょんから節の歌詞をあらためて聴き直してみた。
じょんから、中じょんから節、しんじょんから変奏曲も耳にするのは4回目だが、次第に私の耳にも慣れ懐かしい曲になってきた。
さらに毎回唄われる「ファラオの娘」も毎回少しずつ変化している。演奏する二代目高橋竹山の顔が一瞬取り付かれたような表情になることに気がついた。今後も歌い続けてほしい曲のような気がする。
これまで津軽三味線の曲を聴く機会は私は余りなかった。聴き慣れるととても魅力的な音で、耳に心地よい。二代目高橋竹山の演奏を聴いていると技量に圧倒されながら、そして緊張を持続しながら身を乗り出して聴く時間がとても得難い時間に感じるようになった。
このシリーズはいったん終了ということであるが、引き続き新たな地平への挑戦に大いに期待したい。