Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブラームス「チェロソナタ第1番、第2番」

2015年07月17日 21時34分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 このブログで何回も登場したブラームスの「チェロソナタ」。演奏者はウォルフガング・サヴァリッシュと堤剛。
 第1楽章の出だしを聴いただけでもうしびれてしまう、というと何とも情けないミーハー老人かと思われるかもしれない。

 第1番と第2番、それぞれに聴きごたえがあるが、どちらかというと私には第1番の持つ雰囲気が好きである。暗さ、悲しい、人生の悲哀、などという表現を目にする。私には30代前半、作曲家で身をたてることを選択したブラームスの意欲と同時に、それまでのブラームスの胸に渦巻いていたカオス、掴まえ所がなくそして、ブラームス自身がどう取り扱うか持て余していた青年期の情念との沈黙のうちの対話を聴くような気がしている。
 芸術とは沈黙のうちに、自分と自分の情念との出口のない、しかも終わることのない対話が昇華したものだと私は信じている。自分自身との沈黙の内の会話こそが成長の原動力である。

 ピアノの細かい音のつながりと粘着質そのもののようにしっとりとした雰囲気のチェロのメロディーがなんとも言えずに美しい。一気に引き込まれる、そんな体験を多くの人に味わってもらいとも思う。私はこのCDでそのような体験をしたと思っている。

 実はこのCDの録音は1978年である。先ほどのシューベルトのヴァイオリンソナタ全作品の録音時期も1978年から79年にかけてであった。
 特に黒温時期に特別の意味合いはないのだが、たまたま同じ時期であった。40年近く前の録音が劣化されることが無いというのはとても嬉しいものである。


富士山も丹沢も見えないが‥

2015年07月17日 18時38分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一日風が強かった。そしてもう日が暮れてきた。

 眼科からの帰り道、団地の西のはずれでしばらく台風の風を体に受けながら、夕陽をあびていた。残念ながら富士山と丹沢は厚い雲に覆われていて見ることはできない。東の空は青空の占める割合は高いが、西の空は高度は高いけれど厚い雲が覆っている。
 それでも夕陽がわずかな雲の切れ目から顔を出していて、陽射しが強い。

 先ほど久しぶりにシューベルトの器楽曲をじっくりと聴いた。以前に感じたよりもいい作品に思えた。あのCDは発売が1994年末のようだから今から10年ほど前に購入したことになる。数回聴いたことはあるが、幻想曲を除いてあんまり印象には残らなかった。しかし「ソナタ(二重奏曲)」もなかなかいい。10年経って、少しはいろいろなものを受け入れるだけの鑑賞の幅が広がったのだと思いたい。少しくらい成長していることを実感してみたいものだ。

 ヴァイオリンをたっぷり聞いたから、夜にはチェロでも聞きたくなった。あるいはしばらく聴いていないブラームスだろうか。夕食を摂りながら考えてみよう。

 シャルフベックのふたつの記事を眺めていたら、たくさん変換ミスや言葉の通じないところを見つけた。情けないものがある。昨日までの他の記事も合わせて再度点検をして、訂正と書き直しをした。

シューベルト「ヴァイオリンとピアノのための作品全集」

2015年07月17日 15時50分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 シューベルトというと歌曲、そして未完成交響曲と云われてしまうが、器楽曲もなかなかいい。
 ここに収録されているソナチネ第1番から第3番はあまり演奏されることはないが、早熟なシューベルトが1816年19歳のときの作品である。同年代の友人の勧めで教師生活を辞めて作曲に専念を始めた年である。専念といっても所得はなく友人に支えられて辛うじて生きていたという状態らしい。なかなか信じられない世界である。
 小規模な曲であるが、どれもヴァイオリンののびやかな響きが美しい。習作というにはもったいない曲である。いづれもピアノよりもヴァイオリンの活躍に重点の置かれた曲である。第3番の第3楽章メヌエットが私のお気に入りである。

 本格的なヴァイオリンソナタと云われる「ソナタ(二重奏曲)」はヴァイオリンソナタ第4番」ともいわれ、ソナチネ3曲が作られた翌年の1817年、シューベルト20歳の時の作品である。添付の解説でも他の解説でもシューヘルとのヴァイオリン曲の中ではもっとも演奏されることの多い曲であるとのことである。
 確かに前3曲からは大きな飛躍を感じる。ヴァイオリンの音の響きの厚みがまるで違う。1年でこんなにも飛躍するということがあるのかと、驚く。技巧的にも格段に難しさが増しているが、これ見よがしの技巧というのではなく、曲の厚みという言葉があるとしてそのような意味合いで厚みがある。またピアノの比重も増している。ヴァイオリンとピアノののびやかな響き合いも美しい。どの楽章も聞きごたえがあるが、私は特に第3楽章と第4楽章の後半が聞きどころに思える。

 「幻想曲」はシューベルトの死の前年1827年、30歳の時の作品である。ソナタ形式にとらわれない自由な曲想で書かれている。第5番目のヴァイオリンとピアノのためのソナタと構想されたようだが、今では幻想曲として扱われているようだ。ピアノの独奏曲「さすらい人幻想曲」とともにシューベルトらしい幻想曲として有名だ。だが初演の時はさんざんな扱いを受けたらしい。
 ピアノのトレモロの上を息の長い旋律が美しく続く冒頭からまず引き込まれる。第2部の歯切れの良いリズムに裏打ちされたメロディーも心地よい。これがヴァイオリンとピアノでそれぞれ繰り返されて印象深く推移していく。第3部のアンダンティーノは変奏曲形式。変化のある変奏曲は心地良い。第4部のメロディーもまた印象深い。全体的に大きな盛り上がりとなって劇的に終了する。
 終盤に向かっての劇的な盛り上がりが充分に計算されて作られていると思う。とても構成的な感じのする曲である。これまでの4曲とは大きく異なる。最晩年の傑作といわれる。

 演奏は、ヴァイオリンはシモン・ゴールドベルク。私はこのCDでしか聞いた事がないが、1909年生まれで、フルトヴェングラーのもとでベルリンフィルのコンサートマスターを務めたという。美しい響きでかつメリハリの効いた演奏である。
 ピアノはラドゥ・ルプーという1945年生まれのピアニストで名前は私も聴いたことがある。歳の差36歳のコンビのこの演奏は1978年から79年にかけて録音されたものである。

      

本日は休養日

2015年07月17日 13時37分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は午前10時から午後5時までイベントのパンフレットの製本作業がかかってしまった。予定より3時間ほど余分にかかった。単純作業だがかなり根を詰めて行った。夕方から桜田門まで行き、有楽町駅でも時間を過ごした。これも疲れた。
 本日は台風の影響の風の音を聞きながらグズグズと時間が経ってしまった。夕方からはどうしても眼科に行かないと、点眼薬があと1日分位しか残っていない。

 CDでも物色して時間を過ごすつもり。

 台風11号は長居をしている。しかも津軽海峡をめざして再上陸の可能性が高いようだ。温帯低気圧になってさらに猛威を振るいかねない。