このブログで何回も登場したブラームスの「チェロソナタ」。演奏者はウォルフガング・サヴァリッシュと堤剛。
第1楽章の出だしを聴いただけでもうしびれてしまう、というと何とも情けないミーハー老人かと思われるかもしれない。
第1番と第2番、それぞれに聴きごたえがあるが、どちらかというと私には第1番の持つ雰囲気が好きである。暗さ、悲しい、人生の悲哀、などという表現を目にする。私には30代前半、作曲家で身をたてることを選択したブラームスの意欲と同時に、それまでのブラームスの胸に渦巻いていたカオス、掴まえ所がなくそして、ブラームス自身がどう取り扱うか持て余していた青年期の情念との沈黙のうちの対話を聴くような気がしている。
芸術とは沈黙のうちに、自分と自分の情念との出口のない、しかも終わることのない対話が昇華したものだと私は信じている。自分自身との沈黙の内の会話こそが成長の原動力である。
ピアノの細かい音のつながりと粘着質そのもののようにしっとりとした雰囲気のチェロのメロディーがなんとも言えずに美しい。一気に引き込まれる、そんな体験を多くの人に味わってもらいとも思う。私はこのCDでそのような体験をしたと思っている。
実はこのCDの録音は1978年である。先ほどのシューベルトのヴァイオリンソナタ全作品の録音時期も1978年から79年にかけてであった。
特に黒温時期に特別の意味合いはないのだが、たまたま同じ時期であった。40年近く前の録音が劣化されることが無いというのはとても嬉しいものである。
第1楽章の出だしを聴いただけでもうしびれてしまう、というと何とも情けないミーハー老人かと思われるかもしれない。
第1番と第2番、それぞれに聴きごたえがあるが、どちらかというと私には第1番の持つ雰囲気が好きである。暗さ、悲しい、人生の悲哀、などという表現を目にする。私には30代前半、作曲家で身をたてることを選択したブラームスの意欲と同時に、それまでのブラームスの胸に渦巻いていたカオス、掴まえ所がなくそして、ブラームス自身がどう取り扱うか持て余していた青年期の情念との沈黙のうちの対話を聴くような気がしている。
芸術とは沈黙のうちに、自分と自分の情念との出口のない、しかも終わることのない対話が昇華したものだと私は信じている。自分自身との沈黙の内の会話こそが成長の原動力である。
ピアノの細かい音のつながりと粘着質そのもののようにしっとりとした雰囲気のチェロのメロディーがなんとも言えずに美しい。一気に引き込まれる、そんな体験を多くの人に味わってもらいとも思う。私はこのCDでそのような体験をしたと思っている。
実はこのCDの録音は1978年である。先ほどのシューベルトのヴァイオリンソナタ全作品の録音時期も1978年から79年にかけてであった。
特に黒温時期に特別の意味合いはないのだが、たまたま同じ時期であった。40年近く前の録音が劣化されることが無いというのはとても嬉しいものである。