本日は午前中の講座の後、再開した横浜美術館のミュージアムショップに寄った。横浜美術館では明日から始まる蔡國強展「帰去来」のWeb内覧会が開催されていたが、私はショップのみ。豊富にあるポストカードを眺めていて、国領經郎のこの2枚が目に入った。
この作品は、初めが「静止の空間」(1983)、人物が描かれているほうが「轍」(1982)。私は「静止の空間」の方がずっと好みだ。私はどうしてもこのような寂しさの漂う風景に強く惹かれる。枯れたまばらな木と風紋と手前だけにある足跡、強い陽射しを受けたボートと微かな海の痕跡、濃紺の空、これらの無機的な風景の中で黒い鴉だけを配しているのが惹かれる。嘴の先には砂丘の風紋が、鴉と呼応している。このボートの端に止まり後ろを振り向いた鴉の姿勢で絵全体に緊張感が漂っている。
「轍」の方は人物が二人もいてしかも鴉のような緊張感が希薄だ。動きも重みがなくあてのない浮遊感ばかり感じられる。そして轍の線が多くて賑やかに過ぎる。描く題材は同じようでも表現しようとするものが違うということかもしれないが、比較したくなる。
國領經郎(1919-1999)は横浜で生まれ、1985年まで横浜国立大学で教鞭をとっていた横浜ゆかりの画家ということで、横浜美術館でも収蔵品がかなりあるという。砂の風景画家、裸婦像などで有名な國領經郎は、1999年に國領經郎展開催中に亡くなった。私もこの展覧会には出向いて図録を購入している。今この時の図録をひっぱり出してきたが、この時には「静止の空間」は展示されていない。「轍」は展示されていた。
しかし、國領經郎という名は覚えていても、その展覧会のことも、展覧会の印象も私の頭からはすっかり抜け落ちていた。久しぶりに図録を開いてみた。すると「静止の空間」と似たような作品「寂寥」が目に入った。死の前年の1998年の作品である。「静止の空間」と比較してみるとどうも緊張感が欠けていると思える。カラスは砂丘に直に停まっている。ボートの重みと均衡を保つような位置にはいない。そして鴉の視線の先は空と広大な砂丘とが広がっている。その風景が広すぎる。茫洋とした風景を前にして鴉の存在がそれに負けている。鴉が風景と拮抗していないで、風景に押しつぶされているようだ。小さな生命体の重みが感じられない。残念だが、構図の採り方でこんなにも受け取り方が変わってしまうのか、と思った。
さらに図録を見ていて、韻(3部作)(1993-96)や、「連」(3部作)(1987-94)にホドラーの作品を思い浮かべた。人体の繰り返しによるリズムの創出という点で似通っている。またそれはひょっとして横浜駅東口のレリーフにも共通点があるのかもしれない。公共施設への作品の提供という点で‥。
また「呼」(1990)という作品にマグリットの「空の鳥」「現実の感覚」を連想させられた。そのように見るならば國領經郎の一連の裸婦像にマグリットの裸婦像をも連想させらる。
これから國領經郎の作品を見るときに頭の片隅に記憶しておこうと思う。解読の入り口にかもしれない。
むろん模倣から換骨奪胎して独自の様式を確立していくというのは当然のことでもある。人間の発展過程の重要な里程である。それを70歳を超えてしようとする意欲とエネルギーに私は脱帽したいと思う。歳をとり、枯渇して模倣だけをしていたとは思えない。自分のこれからの生き方もエネルギーも限られるかもしれないがそれでも可能な限りいろいろな刺激を受け入れられるものになりたいと思う。