Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

川崎大師の風鈴市

2015年07月18日 23時46分41秒 | 山行・旅行・散策
 世の中は3連休であった。風が強く、さらに時々雨がぱらつくのでウォーキングには出かけていない。運動不足でチョイとさびしい。
 昼から川崎大師で開催している風鈴市を訪れた。今年で20回目ということである。歴史は意外と新しい。すでに過去3度ほど訪れて、茨城県の石の風鈴、川崎大師オリジナル厄除だるま風鈴、和歌山県の備長炭風鈴の3つを部屋に飾っている。もっと古くからやっているものだと思い込んでいた。
 石の風鈴と備長炭風鈴はとてもいい音がする。高く澄んだ細い音で気に入っている。今年は山形県の山形風鈴を購入した。1650円。鋳物である。鋳物は南部地方のものが有名である。が実は山形の鋳物もいい。しかも南部の鋳物より少し値は安い。案の定、風鈴も少しばかり南部風鈴に比べて売り場も狭いだけでなく、少し安い。しかし音色は変わらない。山形市内に鋳物の店が並んでいるところがあると聞いている。今度山形に行ったら訪れてみたいとおもっている。
 詳細は明日にでも‥。

シューベルト「4つの即興曲作品90」&「同作品142(遺作)

2015年07月18日 22時19分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ともに1827年、シューベルト晩年の作曲である。晩年と云っても1797年生まれだから30歳、死の前の年である。いづれもどこかで聴いたことがあると思う。私も中学・高校の音楽の時間にレコード鑑賞で聴かされたと思う。特に作品90の第4番の出だしの細かくて早いパッセージは印象的である。後半になるとこのパッセージの上にさらに耳に残るメロディが乗っかり、忘れることのできない曲に仕上がっている。
 遺作といわれる作品142の即興曲も印象深い曲である。これも中・高校時代の音楽の時間に聴かされたことのある人は多いと思う。これは第3番はCMなどでも有名になった。第4番も聴きごたえがある。
 これらの自由な即興曲という形式はシューベルトの学曲に調ど当てはまる曲なのかもしれない。

 演奏は昨日シューベルトのヴァイオリンソナタでピアノを担当したラドゥ・ルプーで、1982年の録音。このCDのことはすっかり忘れていた。

   

「若冲と蕪村」後期展示から(その6)

2015年07月18日 11時52分39秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 この伊藤若冲の「蓮図」は晩年1796年81歳の時の作品である。晩年の若冲の水墨画とはちょっと異質のような気がした。ユーモアやウィット、諧謔味もあまりない。
 最初に見た時の印象は蓮のスッとした様であった。よく見ると特に中央に描かれた2枚の葉が中心で、上下には対角線上に花を配している。花よりも丸い葉が主題であるようだ。蓮の葉の上の水玉と、葉の破れなどもそれとなく描かれている。水墨画という単彩なので葉の汚れや破れなどがあっさりと描かれている。これを強調したり、あまり目立つようには描いていない。かといって理想的な欠陥のない蓮にはしていない。そこも気に入った。
 画賛と葉の上の花、葉、茎と下の花、約四分の一ずつのスペースを使っているのも、全体に安定感のある構図になっている。画賛がこれ見よがしに前面に出ていると私などは敬遠してしまうが、これなどちょうどいいバランスだと思う。
 その画賛は「水の面にまちかく/見てもとおき香の/さかり涼しき/花の蓮葉」という同時代の歌僧「澄月」82歳のものである。
 


 「霊亀図」は亡くなる年である1800年85歳の作である。先の「蓮図」とは違って勢いのあるタッチで力のこもった亀の図である。頸をそらすように上を向く姿はとても力強い。対照的な雰囲気に驚いた。



 「松尾芭蕉図」の年代は85歳とも83歳ともいわれているらしい。図録では85歳の作として整理の上、解説で両方の説を紹介している。賛が先か、絵が先か議論があるようだ。賛は三宅嘯山という同時代の儒学者。蕪村と交流を重ね、蕪村の蕉風復興運動に関係したという。蕪村と若冲を結びつける人なのかもしれない。
 書かれた俳句は芭蕉の句で「春もやゝけしき調ふ月と梅」「初時雨猿も小蓑をほしけなり」
 芭蕉の姿に枯れた味わいがあるものの、画賛の句は芭蕉晩年の句でないところが不思議というか、ミスマッチのような気がする。上下のバランスからすると絵の方が後から描かれたように見受けられる。

 3点並べると最晩年とはいっても、決して一筋縄ではいかない、これといった境地などと断定してしまうわけにはいかない多様な晩年の姿が浮かび上がってこなしだろうか。

 自分のことを考えても、晩年はひとつの境地に達した、などと云われても困ると思う。晩年こそ多様な境地になるのではないかとさえ思っている。