
★風神雷神図
琳派に描き継がれた風神雷神図だが、同じように諧謔味十分に描いている。解説によると狩野派では琳派とは風神を右、左に雷神を描くということで琳派とは逆だそうである。左右ではなく縦に二神を並べたのだが、それでも暁斎も狩野派につながる者として風神が右向き、雷神が左向きにしている。横に二神を向い合せにすると狩野派のようになる趣向である。
縦長の画面に上下に二神を配して、両者の緊張ある関係が緩んでしまっているのではないかと、眼を凝らしてみた。しかし緊張感が溢れている。それは何に起因しているのであろう。
私が思いついたのは、風神の風を吹き出す姿態と風の軌跡の強さ、そして雷神の前方を睨む視線の強さだと思った。琳派に受け継がれた絵が横方向の緊張を描こうとするのだとすれば、この絵はその緊張がそれぞれ右下への風の強さ、雷神の視線の左下への鋭い視線として保持されているのだと感じた。正解かどうかはわからないが、こんなことを考えるのが展覧会でじかに絵を見る醍醐味である。
今のコミックでも多用される技法である。

★「布袋の蝉取り図」
中国五代のころの実在の僧侶が布袋で、七福神として組み入れられた僧が布袋である。弥勒菩薩の化身として子どもと戯れ、その後はひたすら眠る福々しい人物として造形される。
しかし子どもと戯れたり、寝ていたりするのではなく一人で蝉を取ろうするのでは、布袋自身が子どもになってしまう。たぶんそのことがこの絵の新しさ、諧謔味なのだろう。
異様に大きい袋を放り出して蝉取りに熱中する人物のあり様、そして網の先の届きそうもないところに止まっている蝉がもたらす緊張感の対比に惹きつけられる。
思わず笑ってしまう諧謔味は、その程度ならば私でも理解できる。気楽な、嫌味の無い笑いである。おめでたい絵として誰かに頼まれたのであろうが、多分大切に保管されたのではないか。

★「扁舟探勝図」
暁斎の山水図は他のジャンルに比べると少ないとのことである。今回の展示でも4点と少なかった。
この図の岩山は東海にあって仙人が住むという蓬莱山らしいとのことである岩や遊馬の途中に二人の人物が座って上の方にいる鶴を見上げている。船の船頭も同じ鶴を見上げている。解説によれ暁斎の風景画は狩野派の伝統を踏み出さないものであり、特に冒険はしていないらしい。しかしこの図では私は船の船頭の顔が気に入っている。これまでの山水図に出てくる人物とはちょっと違うようだ。仙人に対抗できる人間味あふれる顔だと思った。

★「蛙の人力車と郵便夫」
鳥獣戯画出来な作品はかなりある。どれもが重し名といか言いようのないものばかりである。猫や鷲や兎、猿、鯉などの絵もいいが、暁斎の真骨頂はひょっとしたら動物の戯画なのかもしれない。この蛙の図などもその一例だろう。長州征伐に題材を取ったらしい「風流蛙大合戦之図」などがそのもっとも大きな作品かもしれない。暁斎の作品には軽妙な笑いが欠かせないと言ってしまいそうになる。

★「吉原遊宴図」
これも桜の満開の頃の吉原の賑やかなドンちゃん騒ぎの様子を描いている。何といっても左の画中画の達磨の苦虫をかみつぶしたような顔が忘れられない。どうしてここにこんな絵が置かれているのか、今ひとつ現在の私にはわからないが、吉原にはもともとこのような絵が置かれたものなのか、あえて暁斎が持ってきたのかわからない。しかし一級という禅僧と地獄太夫の説話から、禅宗の祖達磨が導かれたのだろうか。または次の絵の解説にもあるように「面壁九年の達磨より苦界十年の遊女の悟り」なる逸話などからの連想であろうか。
さらに遊宴と云っても浮かない顔で財布に手を入れる客の男と女将、もう一人の花魁の存在と、さまざまなドラマを暗示している。

★「暁斎楽画第九号 地獄太夫がいこつの遊戯をゆめに見る図」
妖怪図のコーナーから一点。これも解説に頼ってみる。地獄太夫が僧侶が本来座る椅子で眠り、骸骨が囲碁を差し、琴や三味線、笛を吹いて酒を呑み、遊びに熱中している。大夫を一休が尋ねたところ大夫が一休が凡走でないことを見抜き教えを乞うて悟りを開いた、という逸話に基づいた作品とのこと。
着る物や模様などにもさまざまな意味が込められているそうであるが、いちいち解説をしてもらわないと私たちにはもう不明ことばかりであると思われる。しかしこのおどろおどろしくも、生の現実にあまりに近い様相に当時の地獄観を見つめるのも夏には良いかもしれない。
もやは私たちには理解が出来ない世界であるようだ。