「老いの生きかた」(鶴見俊輔編)の最後に取り上げるのは野上弥栄子の「巣箱」。99歳で亡くなった野上弥栄子が1970年85歳の時のエッセーである。
40歳ころから毎年春から秋にかけて過ごした北軽井沢で過ごした。そこでの生活を記した文章である。巣箱とはこの北軽井沢で夏の一時期を過ごす人びとの別荘を「巣箱」と云っている。文庫本にした18ページと、この「老いの生きかた」で取り上げた文章としては長いものである。
しかし始め読んでいても別荘のある北軽井沢「大学村」の自然描写が延々と続く。あれ?と思う反面、その濃密であっても飽きの来ない綿密な描写にどんどん惹かれていく。自然描写のお手本のような文章がとても心地よい。遠景の浅間山の描写があると思うと、次の行からは目前のから松の新芽の描写にいつの間にか移っていく。描写のマジックを見るように場面が変わり、季節の移ろいがあり、そして人と動物の対比が織り込められ、と飽きさせることがない。
後半部分に述懐が少しずつ入り込んでいく。それもまたごく自然に場面が映っていく。見事な展開である。
最後の5ページほどのところから引用してみる。
「まことに、老い易しはうつし身たる人間の運命である。当時の四十四の私は、それを二倍にして数えた方が数えよい老媼になり果て、‥独りいつまても最初から巣箱にへばりついたままなのを、一体あのかれすはどんな顔でみるだろう。自分らからは到底考えられない人間の奇妙な習性を、いっそ浅ましいものにして、いまはただ呆れ返っていそうである。それなのに、私はまだこの巣箱を捨てようとは思わない。かえって、老いとともにいよいよ山居は離れがたいものになり、いまでは夏のあいだどころか、半年は腰をすえている。それほどに自然を愛するもの、浮世から遠ざかるのといえばちょっと聞こえはよいが、ありようは都会に横溢する經れるなエネルギーを、同僚で受け止めるのがだんだん怪しくなった心身消耗からの、一種の植物化にほかならない。またそれ故に東京の街路にうち群れているひとびとより、森の樹々がいっそ親しいこころの解けあう群衆である。できたら半年といわず、ずっと一年じゅう彼らと一緒に暮らしたい。」
老いの感慨と自然の描写をごく自然に、いつの間にかいったり来たりしながら「老い」を語っていく。これがずっと後半続いていくのである。私などには文章の、いや、思考のお手本のような文章であると即座に感じた。
「都会に横溢する強烈なエネルギーを、同量で受け止めるのがだんだん怪しくなる」という感慨は誰しもがある。その自覚というのはそれはもう30代から徐々に感じているが、確かに60代に近くなるにしたがい加速度的に感じるようになってきた。
ただしそれを無視して生きてきた30代40代というものがあるとすると、50代半ば以降はそれに強く反発する自分というのも次第に芽生えてきた。60代で職を辞してから、このまま「老い」てたまるかという自分が抑えられない。このエネルギーの持続が突如パタッとなくなるのか、徐々になくなっていくのか、ここら辺のことも自覚的に考えてみたいと思う。
この文章の最後の段落は「小春日和の午後、草地のぶらぶら歩きに撮りとめなくそんなことまでかんがえていると、そうだ、そうだ、そうだ、そうだ、--後ろから一斉に叫んだ。散歩には決まって従いて来る河童の子供らの声である。ああ、おまえ達のほうがなんでもよく解っているのだ。でも、今日はもう左様なら、森の入口で、彼らは崖下の渓流のほうへ別れて行き、私は木立ちの奥の古巣へ戻る。ちょうど午睡の時間である。かけすももうぎゃあ、ぎゃあ鳴かないから邪魔されずにすむ、はんぱに目覚めさせないように。」
この文章でこの長いエッセイは終わる。自然と一体化するという「老い」の自覚と、自然描写と「老い」の実感が綯交ぜになり区別なく一体化する文章、これも優れた文筆家の「老い」の見事なあり様ではないだろうか。
野上弥栄子の作品は小説もエッセイも実は読んだことがない。この文章を読んだだけで私は虜になりそうな気分になっている。果たして小説を読むことがこれから先あるだろうか。ひとつの作品位じっくり読んでみたいと思う。鶴見俊輔という方に感謝しなくてはいけない。
40歳ころから毎年春から秋にかけて過ごした北軽井沢で過ごした。そこでの生活を記した文章である。巣箱とはこの北軽井沢で夏の一時期を過ごす人びとの別荘を「巣箱」と云っている。文庫本にした18ページと、この「老いの生きかた」で取り上げた文章としては長いものである。
しかし始め読んでいても別荘のある北軽井沢「大学村」の自然描写が延々と続く。あれ?と思う反面、その濃密であっても飽きの来ない綿密な描写にどんどん惹かれていく。自然描写のお手本のような文章がとても心地よい。遠景の浅間山の描写があると思うと、次の行からは目前のから松の新芽の描写にいつの間にか移っていく。描写のマジックを見るように場面が変わり、季節の移ろいがあり、そして人と動物の対比が織り込められ、と飽きさせることがない。
後半部分に述懐が少しずつ入り込んでいく。それもまたごく自然に場面が映っていく。見事な展開である。
最後の5ページほどのところから引用してみる。
「まことに、老い易しはうつし身たる人間の運命である。当時の四十四の私は、それを二倍にして数えた方が数えよい老媼になり果て、‥独りいつまても最初から巣箱にへばりついたままなのを、一体あのかれすはどんな顔でみるだろう。自分らからは到底考えられない人間の奇妙な習性を、いっそ浅ましいものにして、いまはただ呆れ返っていそうである。それなのに、私はまだこの巣箱を捨てようとは思わない。かえって、老いとともにいよいよ山居は離れがたいものになり、いまでは夏のあいだどころか、半年は腰をすえている。それほどに自然を愛するもの、浮世から遠ざかるのといえばちょっと聞こえはよいが、ありようは都会に横溢する經れるなエネルギーを、同僚で受け止めるのがだんだん怪しくなった心身消耗からの、一種の植物化にほかならない。またそれ故に東京の街路にうち群れているひとびとより、森の樹々がいっそ親しいこころの解けあう群衆である。できたら半年といわず、ずっと一年じゅう彼らと一緒に暮らしたい。」
老いの感慨と自然の描写をごく自然に、いつの間にかいったり来たりしながら「老い」を語っていく。これがずっと後半続いていくのである。私などには文章の、いや、思考のお手本のような文章であると即座に感じた。
「都会に横溢する強烈なエネルギーを、同量で受け止めるのがだんだん怪しくなる」という感慨は誰しもがある。その自覚というのはそれはもう30代から徐々に感じているが、確かに60代に近くなるにしたがい加速度的に感じるようになってきた。
ただしそれを無視して生きてきた30代40代というものがあるとすると、50代半ば以降はそれに強く反発する自分というのも次第に芽生えてきた。60代で職を辞してから、このまま「老い」てたまるかという自分が抑えられない。このエネルギーの持続が突如パタッとなくなるのか、徐々になくなっていくのか、ここら辺のことも自覚的に考えてみたいと思う。
この文章の最後の段落は「小春日和の午後、草地のぶらぶら歩きに撮りとめなくそんなことまでかんがえていると、そうだ、そうだ、そうだ、そうだ、--後ろから一斉に叫んだ。散歩には決まって従いて来る河童の子供らの声である。ああ、おまえ達のほうがなんでもよく解っているのだ。でも、今日はもう左様なら、森の入口で、彼らは崖下の渓流のほうへ別れて行き、私は木立ちの奥の古巣へ戻る。ちょうど午睡の時間である。かけすももうぎゃあ、ぎゃあ鳴かないから邪魔されずにすむ、はんぱに目覚めさせないように。」
この文章でこの長いエッセイは終わる。自然と一体化するという「老い」の自覚と、自然描写と「老い」の実感が綯交ぜになり区別なく一体化する文章、これも優れた文筆家の「老い」の見事なあり様ではないだろうか。
野上弥栄子の作品は小説もエッセイも実は読んだことがない。この文章を読んだだけで私は虜になりそうな気分になっている。果たして小説を読むことがこれから先あるだろうか。ひとつの作品位じっくり読んでみたいと思う。鶴見俊輔という方に感謝しなくてはいけない。