Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「老いの生きかた」(鶴見俊輔編) 3

2015年08月07日 20時52分37秒 | 読書
 「老いの生きかた」(鶴見俊輔編)の最後に取り上げるのは野上弥栄子の「巣箱」。99歳で亡くなった野上弥栄子が1970年85歳の時のエッセーである。
 40歳ころから毎年春から秋にかけて過ごした北軽井沢で過ごした。そこでの生活を記した文章である。巣箱とはこの北軽井沢で夏の一時期を過ごす人びとの別荘を「巣箱」と云っている。文庫本にした18ページと、この「老いの生きかた」で取り上げた文章としては長いものである。
 しかし始め読んでいても別荘のある北軽井沢「大学村」の自然描写が延々と続く。あれ?と思う反面、その濃密であっても飽きの来ない綿密な描写にどんどん惹かれていく。自然描写のお手本のような文章がとても心地よい。遠景の浅間山の描写があると思うと、次の行からは目前のから松の新芽の描写にいつの間にか移っていく。描写のマジックを見るように場面が変わり、季節の移ろいがあり、そして人と動物の対比が織り込められ、と飽きさせることがない。
 後半部分に述懐が少しずつ入り込んでいく。それもまたごく自然に場面が映っていく。見事な展開である。
 最後の5ページほどのところから引用してみる。
 「まことに、老い易しはうつし身たる人間の運命である。当時の四十四の私は、それを二倍にして数えた方が数えよい老媼になり果て、‥独りいつまても最初から巣箱にへばりついたままなのを、一体あのかれすはどんな顔でみるだろう。自分らからは到底考えられない人間の奇妙な習性を、いっそ浅ましいものにして、いまはただ呆れ返っていそうである。それなのに、私はまだこの巣箱を捨てようとは思わない。かえって、老いとともにいよいよ山居は離れがたいものになり、いまでは夏のあいだどころか、半年は腰をすえている。それほどに自然を愛するもの、浮世から遠ざかるのといえばちょっと聞こえはよいが、ありようは都会に横溢する經れるなエネルギーを、同僚で受け止めるのがだんだん怪しくなった心身消耗からの、一種の植物化にほかならない。またそれ故に東京の街路にうち群れているひとびとより、森の樹々がいっそ親しいこころの解けあう群衆である。できたら半年といわず、ずっと一年じゅう彼らと一緒に暮らしたい。」
 老いの感慨と自然の描写をごく自然に、いつの間にかいったり来たりしながら「老い」を語っていく。これがずっと後半続いていくのである。私などには文章の、いや、思考のお手本のような文章であると即座に感じた。
 「都会に横溢する強烈なエネルギーを、同量で受け止めるのがだんだん怪しくなる」という感慨は誰しもがある。その自覚というのはそれはもう30代から徐々に感じているが、確かに60代に近くなるにしたがい加速度的に感じるようになってきた。
 ただしそれを無視して生きてきた30代40代というものがあるとすると、50代半ば以降はそれに強く反発する自分というのも次第に芽生えてきた。60代で職を辞してから、このまま「老い」てたまるかという自分が抑えられない。このエネルギーの持続が突如パタッとなくなるのか、徐々になくなっていくのか、ここら辺のことも自覚的に考えてみたいと思う。
 この文章の最後の段落は「小春日和の午後、草地のぶらぶら歩きに撮りとめなくそんなことまでかんがえていると、そうだ、そうだ、そうだ、そうだ、--後ろから一斉に叫んだ。散歩には決まって従いて来る河童の子供らの声である。ああ、おまえ達のほうがなんでもよく解っているのだ。でも、今日はもう左様なら、森の入口で、彼らは崖下の渓流のほうへ別れて行き、私は木立ちの奥の古巣へ戻る。ちょうど午睡の時間である。かけすももうぎゃあ、ぎゃあ鳴かないから邪魔されずにすむ、はんぱに目覚めさせないように。」
 この文章でこの長いエッセイは終わる。自然と一体化するという「老い」の自覚と、自然描写と「老い」の実感が綯交ぜになり区別なく一体化する文章、これも優れた文筆家の「老い」の見事なあり様ではないだろうか。

 野上弥栄子の作品は小説もエッセイも実は読んだことがない。この文章を読んだだけで私は虜になりそうな気分になっている。果たして小説を読むことがこれから先あるだろうか。ひとつの作品位じっくり読んでみたいと思う。鶴見俊輔という方に感謝しなくてはいけない。

   

「画鬼・暁斎」展(三菱一号館美術館)の後期展示 2

2015年08月07日 14時02分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 さて、前期展示から引き続き展示されている作品で、前回それなりの混雑の為じっくりと見ることができなかった作品を今回ゆっくり見ることができた。
 特に「風神雷神図」と山水図をじっくりと見ることができた。



 掛け軸として展示される山水図は、本当は床の間に掛け、一段下の畳に座って、掛け軸の下4分の1よりも下に位置する眼から、作品を見上げるように鑑賞することを前提に描かれているというのが、私なりのこだわりの見方である。しかし混雑していると、絵の前でしゃがみこむというのはなかなか勇気がいる。特に三菱一号館美術館は、スペースが狭く、しゃがみこまれると他の鑑賞者の邪魔になってしまう。
 今回は鑑賞者が少ないので、遠慮なくしゃがんで3枚の作品を鑑賞させてもらった。無論膝が痛いのでそんなに長時間は無理であるが‥。
 まず左のふたつの作品は「秋冬山水図」。左が冬。雪を被っている松と山が主題の作品のように見えるが、座った視点でこの作品を見ると、まず最初に眼に入るのは、左下の2人の人間である。細長い棒を担いでいる。舟を操っているのだと思うが、手前の人間は濃く、その前をいく人間は薄目に描かれている。
 そして松と山を見上げるととても高く見える。実際の紙の高さよりも高く見えるように錯覚する。山肌の白がとても強調されて見える。高度感の強い作品である。
 その右側の滝が描かれているのが秋の図。これはしゃがんでみるとまずは真ん中下の家屋が目に入る。少し視線を上にすると船が浮かび、家が目に映る。そして滝が見える。こちらも高度感があるが左側に空間が配置されている分、冬の絵よりも高度感は薄らいで奥行感、奥の方へ入っていく広がりの方を強く感じる。



 3枚目は「扁舟探勝図」。これは前期の時の感想でもふれた。今回あらためてしゃがんで見ると、まず目につくのは岩の上に座った2人の人物で、その視線の先に鶴が狭い足場に立っている。立ってこの絵を見ている限り鶴が目立ない。あるいは2人の視線の先に鶴があるというのには気づきにくい。その視線の先に松と遠くの山が見える。
 オーバーハングの岩肌が迫ってくるように見える。高度感たっぷりの視線を意識した作品であることが理解できる。
 さらに下に眼を移すとやはり上を見上げた船頭の視線が目に入る。鶴を見ているということがすぐに了解できるようになっている。しかし船頭が上に気を取られている分、船は突き出た岩の傍に寄ってしまっている。乗客は鶴よりも岩に気を取られている。優雅に鶴を見上げる岩の上の人間と、現実に目の前に迫った危険を予感させる乗客という対比に気がついた。



 さて内覧会が終了したのち、フロワーで他の参加者と話をしている学芸員の野口玲一氏に直接声をかけさせてもらった。
 それは前回も取り上げた風神雷神図の絵についてである。私は前回も触れたようにこの作品、とても気に入っている。
 琳派が風神と雷神を横に並べて二神の視線の交わりや左右からの動き(共に上から下へ、並びに左右から中心へのベクトルの微妙なズレ)で緊張感たっぷりに描いている。
 暁斎はこれを大胆にも上下に分けてしまった。それなのにとても緊張感溢れる理由は、何か。構図上にそのヒントはないのか、というのが私の疑問である。この疑問を解けないままずっと考えていた。
 前期の展示で気がついたのは下に描かれた風神が袋から出す風の勢いが琳派のそれよりは意識的に強い風として描かれているのではないか、ということであった。これで風神は右下から左上への動きが生じている。琳派の全体として下降していくベクトルではない。
 しかし雷神の動きがわからない。両者の緊張感の生じる根拠として雷神の右上から左下への視線か、と記載したがどうもしっくりこない。
 このような疑問を野口氏に聞いてみた。うまくこの疑問を伝えられたかどうかはなばだ心もとないが、野口氏は「雷神にも動きがある」というようなことを云われた。
 もう一度展示してある部屋に戻り、じっくりと鑑賞させてもらった。ようやく野口氏の云われていることがわかるような気がした。気がつかなかったが雷神には衝撃波のように三角形の、うすいけれども赤い線が描かれている。上側は雷神の頭上にある太鼓が風をたなびかせるように右上から左下の方向の動きを示している。雷神の足元には右下から左上に赤い線が一本描かれている。この2本の斜線は雷神の鋭い視線の先で交わるような線である。
 独立した2神の動きが、画面の左の中ほどで交わるように画面構成がされているのであった。雷神の動きをようやく私は理解できた。ちゃんと動いていた。幅の狭い縦長の世界に、左上への動きを示す風神、左下への動きを示す雷神が、左の交点で出くわすとどのようなことになるのか、そんな緊張感が画面から溢れてくる。
 あらためて野口氏に感謝したかったが、あえずにそのまま会場を後にした。

 地下で夕食を摂りながら、もう一つ気がついたことがある。暁斎の水墨画はどれも濃い墨が特徴でないだろうか。特に枯木寒鴉図などの鴉の絵に惹かれるのは、目の鋭さだと思っていたが、同時にとても濃い墨の色も印象的だったと思う。風神雷神図もそうだし、秋冬山水図も手前を示す黒い墨が、他の作家の山水図よりも目立っているように思えた。そういえば「布袋の蝉採り図」も薄い色で描かれた腹の下の着物の黒さがとても目に残っている。あの黒があるから布袋という人物の雰囲気が生きているのと、蝉が布袋を嘲笑うような位置にいるのも効果的なのかもしれない。
 こんなことを想いながら心地よく酔うことができた。

「画鬼・暁斎」展(三菱一号館美術館)の後期展示 1

2015年08月07日 13時05分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 後期展示の作品で私の興味を惹いたものに「羅漢に蛇図」がある。たぶん修養の邪魔をするものの変身である蛇を一喝する羅漢、ということなのであろうが、まずは数珠の不思議な形状に眼がいった。
 数珠と云うよりも中空の円環の周りに珠を張り付けたような、形の崩れない形状が不思議である。羅漢の鋭い眼光と蛇の眼光、というよりも羅漢の意地と蛇の気迫が、この丸い数珠をめぐって対峙している。
 羅漢は数珠をとおさずに直接蛇を睨んでいる。蛇の視線は数珠の円の中心に吸い寄せられている。数珠の呪力に曳き付けられてしまったようで、もう勝負あり、ということなのかもしれない。
 しかし羅漢に対して勝負を挑む蛇の気迫も大したものだと、私は蛇に同情してしまった。蛇には蛇の理由があるのだろう。蛇は、羅漢に住まいであった場所を取られたのかもしれない、修養の足りない羅漢がいることで餌となる小動物が寄り付かなくなって怒っているのかもしれない、などと想像してみるのも楽しい。



 次に印象に残ったのが「鷹匠と富士図」。ちょっと暁斎らしくない枯れた印象を受けた。構図としても面白い。とても広々とした空間を生み出している。鷹匠と鷹が富士山と相対しているのだが、どんな会話がされているのか、気になるところである。
 鷹と富士という縁起物の取り合わせだから、多分祝の席などを想定して、どこかに賛などが書かれることを前提としたものかもしれない。その賛がないことによってかえって魅力が生じたように見える。
 鷹も鷹匠も緊張を解いたのちの仕草、意識かもしれない。
 いづれにしろ私には暁斎らしくない細い線でのびやかな雰囲気が醸し出されているのが、気に入った。こんな絵も書いたのか、と驚いている。
 「枯木寒鴉図」とこの絵に共通するものを感じた。ほとんどの作品は描かれた対象物に動きがあり、躍動感が漂う暁斎であるが、このように動きが止まった一瞬を描いていることに好感が持てた。
 ただし両者の作品は対照的であることは間違いない。むろん枯木寒烏図は動きは止まっているが緊張感が横溢している。次の一瞬の動きを感じるかもしれない。そうではなくともキリッと引き締まった寒さが緊張感をもたらしている。こちらはの「鷹匠と富士図」は動きが止まり、緊張が解けたのちの穏やかな気分である。



 この「岩上の鷲図」は、鷲の次の動きが連想される作品である。緊張を解いて左足を羽毛の中に埋もれさせて、広げた羽をたたむのか。あるいは逆に緊張が一瞬走り、左足を下して次の動きのために羽を広げようとしているのか。どちらにしろ目は鋭く窺っている。
 これからどちらの動作を取ろうとしている場面なのか、想像していると時間がすぐにたってしまう魅力がある。
 食物連鎖の頂点に立つ鷲ならではの容貌であるが、よく見ると足と岩の傾斜が少しおかしい。鷲の足を描く視点と岩を描く視点に微妙な差がある。
 たぶん西洋絵画を見慣れた私たちの眼には、そこらへんが写実的とはいっても違和感があると思う。逆にそれが見ていて飽きない理由になっている所でもある。