Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は久しぶりに会議

2015年08月19日 23時52分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに自宅から関内までの往復を歩いた。陽射しがそれほど強くなく、また湿度も昨日から比べると低い、そして風が適当にあり、この時期としては過ごしやすく感じた。
 横浜駅からは、みなとみらいを通る道ではなく、JR根岸線に沿った国道を歩いた。交通量も想像したよりも少なめで、まだお盆休みの影響があるのかもしれない。
 関内まで出かけたのは特に用事はなく、横浜にも桜木街にもある百円ショップでポストカードの整理するファイルを買いたかったからである。わざわざ関内の店に出かける必要はまったくないのだが、ただウォーキングついでに出かけたにすぎない。
 帰る途中に、関内の書店で立ち読み&喫茶店でアイスコーヒーで一服しながら若干の読書タイム。

 夜になってからクーラーを停めて、窓を開け扇風機を回したのだが、汗が噴き出てきた。蝉がまだ鳴いており、虫の音が負けている、ということは気温が下がっていないということでもある。


神奈川県立近代美術館鎌倉「「鎌倉からはじまったパート2」

2015年08月19日 19時01分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 この美術館はいつも静かに鑑賞できる。この美術館での一番の思い出は「佐藤哲三展」(2005年)である。最近では一昨年の松田正平展、昨年の田淵安一展が記憶に残る。佐藤哲三展というのは私の美術の鑑賞にとっても画期だったような気がする。
 それまでも絵画の展覧会は時々見に行っていた。見ることが嫌いではない、というよりも好きな方であったことは確かだ。高校3年生の卒業間際に見たブリヂストン美術館での「坂本繁二郎追悼展」(1970年)、国立西洋美術館での「ゴッホ展」(1976年)、横浜のそごう美術館での「香月泰男展」(1995年)と時系列に強い印象が残っている。それぞれに大いに違う印象であるが、いづれも私の心に大きく共鳴した。
 しかし意識的に美術を大いに見てやろう、という気持ちになったのがこの佐藤哲三展だと云っていいと思う。晩年の「みぞれ」や「帰路」を見た時のホッとする気分、初期のゴッホの初期作品を彷彿とさせる作品、どれも印象深かった。
 佐藤哲三展以降もここの美術館は折に触れて時々見に行っていた。これがさまざまな経緯から廃館となるということで残念な気分ではある。
 今回の展示、パート1は見ることがかなわなかったが、1951-1965年のパート3は是非見に行きたい。1951年開館というのは私の生まれた年でもある。1951年というのはもう引退・退役ということなのかと、寂しさもひとしおである。

 さて、今回の展示別館の版画と合わせて101点の展示、なかなか見ごたえがあった。特に私の当日の気分と合致した作品を上げると、
 青木繁「真・善・美」(1905-06)、坂本繁二郎「棕梠の見える風景」(1903)、藤田嗣治「二人の裸婦」(1930)、熊谷守一「きんけい鳥」(1966)、荻須高徳「ル・ベック」、猪熊弦一郎「Entrance B」(1964)、海老原喜之助「友よさらば」(1951)、吉原治良「帆柱」(1931)、香月泰男「運ぶ人」(1962)、田中阿喜良「ヴァイオリン弾き」(1965)、奥谷博「足摺遠雷」(1981)。
 版画では藤巻義夫「つき」(1934)、恩地幸四郎「母性」(1946)、長谷川潔「水槽の中の鳥10.窓辺」(1963)、清宮質文「さまよう蝶」(1963)、「初秋の風」(1983)、一原有徳「滴(2)」(1981)、深沢幸雄「宮沢賢治「春と修羅」より青ぞらのはてのはて」(1986)、野田哲也「日記1975年10月13日」(1975)、ワシリー・カンディンスキー「コンポジション」(1922)、ジョルジュ・デ・キリコ「オレステスとビュラデス」(1921)、ジョルジュ・ルオー「ミセレーレ34.廃墟すら滅びたり」、パブロ・ピカソ「裸婦・星・はしご」(1968)。
の23点。
 青木繁は有名な「真・善・美」の下書き。荻巣高徳の縦長の作品はとても大きい。画面の左右の建物の存在感、質感に圧倒される。これは気に入ったのでポストカードを探したが残念ながらなかった。海老原喜之助の作品は死んだ馬を埋葬する貧しい農民一家を描いている。海老原喜之助という画家、是非注目していきたいと感じた。
 香月泰男はすでに別のカタログでその存在は知っていたが、実物を見るのは初めて。シベリアシリーズには含まれていないが、シベリアでの体験に基づく作品。
 清宮質文の作品はこれまで横浜美術館で1点を見ただけだが、気に入っている。「さまよう蝶」は特に惹かれた。一原有徳「滴(2)」、深沢幸雄「宮沢賢治「春と修羅」より青ぞらのはてのはて」も惹かれた。



 清宮質文「さまよう蝶」の類似作品「さまよう蝶(何処へ-夢の中)のポストカードがあったので購入した。展示されていた作品の方が私は気に入っている。

   

自家焙煎珈琲店「ヲガタ」(鎌倉駅前)の氷あずき

2015年08月19日 09時41分49秒 | 山行・旅行・散策
   

 昨日鎌倉を訪れて最初に入った店が「自家焙煎珈琲「ヲガタ」」。先週妻と娘と私の母親3人が一緒に入ったらしい。誰かの情報というのではなく、偶然見つけたと言っていた。
 ビルの2階にあり、狭い階段を上がる。しかし店内はガラス張りで大変明るく綺麗である。鎌倉駅西口とロータリーが見下ろせる。



 妻の目当ては「氷あずき」。写真のようにかき氷の上全体をあずきが覆っている。見た目には氷は見えない。それが妻のお気に入りである。氷の中にもあずきがあったというのが妻の感想だが、そこは自信ある確証ではないらしい。器もお皿も上品である。私も一口貰ったが、あずきの甘さも程よく上品である。
 先週娘はケーキセットを食べたようで、これも気に入っていたという。チーズケーキも美味しかったとのことである。
 私はブレンドコーヒーを注文した。わたし好みの酸味の少ないブレンドでこれも気に入った。
 氷あずきは850円、ブレンドコーヒーが650円、チェーン店よりは高いがそれはやむを得ないと思う。喫茶店は味と雰囲気である。落ち着ける時間と空間代と思えばいい。

 店内の内装も厨房も清潔であり、飲食店として好感が持てた。そしてなによりよかったのが店内に貼ってある写真と俳句。鎌倉で撮影された写真であるが、絵葉書の写真とは違う。ちょっと造形的な風景である。モノクロの雪の階段の写真がとてもよかった。
 俳句の色紙が飾ってあった。

 火星人と化して緑の子かまきり 康久

 浅学のため、初めて目にした句である。「康久」という作者名も初めて聞く。ネットで「俳人 康久」と検索したが、苗字違う二人の名が出てきたが、どちらなのかはわからなかった。俳句そのもので検索したが出てこなかった。
 私はこの句が気に入った。「化して」がいいと感じた。子かまきりの静止した緊張の一瞬を的確に写し取っている。その子かまきりを正面で見ているようだ。子とはいえ頭の大きな火星人で、不敵な面構え、逞しい面立ちを想像してしまう。「なりて」では緊張感がない。「火星人のおすまし」では小学生の俳句である。
 マスターが俳句でもするのであろうか。

 好感のもてる喫茶店であった。この氷あずきで妻はもうお腹いっぱいで昼食はいらないとのことであった。