この美術館はいつも静かに鑑賞できる。この美術館での一番の思い出は「佐藤哲三展」(2005年)である。最近では一昨年の松田正平展、昨年の田淵安一展が記憶に残る。佐藤哲三展というのは私の美術の鑑賞にとっても画期だったような気がする。
それまでも絵画の展覧会は時々見に行っていた。見ることが嫌いではない、というよりも好きな方であったことは確かだ。高校3年生の卒業間際に見たブリヂストン美術館での「坂本繁二郎追悼展」(1970年)、国立西洋美術館での「ゴッホ展」(1976年)、横浜のそごう美術館での「香月泰男展」(1995年)と時系列に強い印象が残っている。それぞれに大いに違う印象であるが、いづれも私の心に大きく共鳴した。
しかし意識的に美術を大いに見てやろう、という気持ちになったのがこの佐藤哲三展だと云っていいと思う。晩年の「みぞれ」や「帰路」を見た時のホッとする気分、初期のゴッホの初期作品を彷彿とさせる作品、どれも印象深かった。
佐藤哲三展以降もここの美術館は折に触れて時々見に行っていた。これがさまざまな経緯から廃館となるということで残念な気分ではある。
今回の展示、パート1は見ることがかなわなかったが、1951-1965年のパート3は是非見に行きたい。1951年開館というのは私の生まれた年でもある。1951年というのはもう引退・退役ということなのかと、寂しさもひとしおである。
さて、今回の展示別館の版画と合わせて101点の展示、なかなか見ごたえがあった。特に私の当日の気分と合致した作品を上げると、
青木繁「真・善・美」(1905-06)、坂本繁二郎「棕梠の見える風景」(1903)、藤田嗣治「二人の裸婦」(1930)、熊谷守一「きんけい鳥」(1966)、荻須高徳「ル・ベック」、猪熊弦一郎「Entrance B」(1964)、海老原喜之助「友よさらば」(1951)、吉原治良「帆柱」(1931)、香月泰男「運ぶ人」(1962)、田中阿喜良「ヴァイオリン弾き」(1965)、奥谷博「足摺遠雷」(1981)。
版画では藤巻義夫「つき」(1934)、恩地幸四郎「母性」(1946)、長谷川潔「水槽の中の鳥10.窓辺」(1963)、清宮質文「さまよう蝶」(1963)、「初秋の風」(1983)、一原有徳「滴(2)」(1981)、深沢幸雄「宮沢賢治「春と修羅」より青ぞらのはてのはて」(1986)、野田哲也「日記1975年10月13日」(1975)、ワシリー・カンディンスキー「コンポジション」(1922)、ジョルジュ・デ・キリコ「オレステスとビュラデス」(1921)、ジョルジュ・ルオー「ミセレーレ34.廃墟すら滅びたり」、パブロ・ピカソ「裸婦・星・はしご」(1968)。
の23点。
青木繁は有名な「真・善・美」の下書き。荻巣高徳の縦長の作品はとても大きい。画面の左右の建物の存在感、質感に圧倒される。これは気に入ったのでポストカードを探したが残念ながらなかった。海老原喜之助の作品は死んだ馬を埋葬する貧しい農民一家を描いている。海老原喜之助という画家、是非注目していきたいと感じた。
香月泰男はすでに別のカタログでその存在は知っていたが、実物を見るのは初めて。シベリアシリーズには含まれていないが、シベリアでの体験に基づく作品。
清宮質文の作品はこれまで横浜美術館で1点を見ただけだが、気に入っている。「さまよう蝶」は特に惹かれた。一原有徳「滴(2)」、深沢幸雄「宮沢賢治「春と修羅」より青ぞらのはてのはて」も惹かれた。
清宮質文「さまよう蝶」の類似作品「さまよう蝶(何処へ-夢の中)のポストカードがあったので購入した。展示されていた作品の方が私は気に入っている。