

昨日は横浜のそごう美術館で「歌川国芳」展を見てきた。
夏休みの土曜日ということで、子連れで騒がしいかと心配したが、それほどの混雑でもなく、また子どもたちの歓声があるわけでもなく、落ち着いてみることができた。小・中学生はワークシートと絵を熱心(?)に見比べていた。どんな内容かは知らないが、夏休みの宿題の一環とすれば微笑ましくもあり、もっと自由な鑑賞をさせたいとも思ったり‥。急に何の予備知識もないところに突然歌川国芳の絵を見せただけでは小中学生は戸惑うばかりであろう。
私自身も歴史的予備知識がほんの少しばかり小中学生よりはある程度でしかないし、技法上の特質などまるでわからない。
どちらかというと歌川国芳は、三菱一号館美術館で開催している暁斎展からの関連で、暁斎が初めは国芳に弟子入りしたという関連、あるいは葛飾北斎を敬愛していたという程度の知識で見に行ったに等しい。
むろん「相馬の古内裏」「猫のすゝみ」やさまざまな猫の絵などのことは解説本で見たことはある。しかし実際に165点にも及ぶ作品を目の当たりにすることはまずない。西洋画の影響、尾形光琳の紅白梅図の河の流れを彷彿とさせる絵など様々なものを貪欲に取り入れていることがよく解った。
これだけの点数を緊張感を継続しながら全体を詳細に見て回るというのは困難である。私も2時間かけて回ったが残念ながら根気は続かなかった。
物語に題材をとり、詞書きが記されているものは何とか読解しながら読みたいとは思ったがなかなか難しかった。その中で百人一首に基づく連作があり、これは是非読解して全体が見たいと思った。実際に展示されているのは2点だけであった。
ただしいくつかある図解パネルはいい試みだと感じた。これは私も参考にさせてもらった。特に「相馬の古内裏」の図解はなかなかのもの。特に滝夜叉姫の「かかれガイコツ!今こそ朝廷に討たれし、父将門の恨みを晴らさん!」や、御簾が大胆に斜めに画面を大きく区切る構図などの指摘は新鮮であった。
また金魚と猫を抜きにしては語れない国芳、存分にそれを目の当たりにできるのは特に猫好きにはたまらないようである。あちこちから猫好きの囁きが聞こえてきた。私は現実の猫は単体では好きかもしれないが、集団になっている現実の猫はにはあまり近づきたくない。
しかし鳥獣戯画以来の伝統といってしまっていいのかどうかわからないが、猫も蛙も亀も狐も人になぞらえて躍動している。鳥獣戯画が、江戸後期の爛熟して猥雑な世相の中で蘇っている。世相ということについては中学高校の歴史でも教わらないし、もはや明治大正、そして戦前の世相というものも遠い世界のように語られるようになってしまっている。日本の歴史学、歴史教育というものは、世相、庶民の生活とは切り離されたところで論議され、そして教科書に反映されている。
江戸期だけに猥雑で濃密な町場の庶民の歴史が営まれたわけではないことは十分推察される。江戸期の町民文化の解明と復元がそれ以前の庶民文化の復元へとつながる可能性を求めて江戸期の文化の解明が進むことを願っている。ひょっとしてこの絵画、浮世絵の解明がそれにどこかでつながることも期待している。

このCDは以前に紹介したので詳しくは省略。本来は晩年の傑作2曲のクラリネットソナタである。出版にあたりブラームス自身がヴィオラで代用することも可としたという。
この曲、聞くたびヴィオラとクラリネットとでは別の曲のように感じている。どちらかというと私は最初に聴いたのがこの今井信子の演奏なので、このヴィオラ版が好きである。
どうも私の場合は、最初に聴いた演奏でその曲の好き嫌いが決まってしまうようだ。最初の印象から抜けられない。だから最初に聴いた時の精神状態に大きく左右されてしまう。そして情けないことに時間が経ってから同じ曲を聴いて、まったく正反対の判断を下すことばかりである。素人ならではのいい加減差である。
