20代の頃には60代の自分など想定も出来なかったけれども、いつの間にか60代の半ばになっている。先ほどアップした鮎川信夫の齋藤茂吉に対する評価ではないが、果たして私は78歳という「大家」の到達点を「自然詠の果てに、自然そのものと化した」と断定できるほどになっているだろうか?
現在も私は鮎川信夫の「たとえば霧や/あらゆる階段の跫音のなかから、/遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。/-これがすべての始まりである。/‥/「さようなら、太陽も海も信ずるに足りない」/Mよ、地下に眠るMよ!/君の胸の傷口は今でもまだ痛むか。」という、私の生まれた1951年に発表された鮎川信夫31歳の時の「死んだ男」などが掲載された同年発行の荒地詩集を読んだ時の衝撃をそのまま胸に抱いている。私がこの詩集を手にしたのは1972年、21歳になる直前であった。
それから42年もの歳月が経ち、あの衝撃を受けたままこの歳になってしまった。私は「老い」について何を語ったら良いのだろうか。何も語るものがない、とオロオロするばかりである。
現在も私は鮎川信夫の「たとえば霧や/あらゆる階段の跫音のなかから、/遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。/-これがすべての始まりである。/‥/「さようなら、太陽も海も信ずるに足りない」/Mよ、地下に眠るMよ!/君の胸の傷口は今でもまだ痛むか。」という、私の生まれた1951年に発表された鮎川信夫31歳の時の「死んだ男」などが掲載された同年発行の荒地詩集を読んだ時の衝撃をそのまま胸に抱いている。私がこの詩集を手にしたのは1972年、21歳になる直前であった。
それから42年もの歳月が経ち、あの衝撃を受けたままこの歳になってしまった。私は「老い」について何を語ったら良いのだろうか。何も語るものがない、とオロオロするばかりである。