本日は無料招待券が手に入っていたので、妻と約束通りに出光美術館で「日本の美の再発見X 躍動と回帰-桃山の美術」を見てきた。
構成は
第1章 「うしろ向き」の創造-歪み・割れ・平らかさ
桃山時代の陶芸にみられる「歪み」「割れ」「染み」。また桃山絵画の描写にあらわれた「平らかさ」。これらは世界、そして東アジアの美術工芸の価値観に照らせば、欠点とみなされうるものです。しかし桃山の美術工芸ではその「負の要素」こそが、比類ない特質として輝き、時代を変革する造形力となりました。このコーナーでは、そうしたいわば「うしろ向き」の創造から誕生した桃山美術の粋をご紹介します。
第2章 なつかしくて、身近なもの-草花・樹木と動物たち
長谷川等伯が、身近な鳥たちの仲睦まじい様子を情感たっぷりに描き、また、狩野派の画家たちは水墨による花鳥画を手がける一方で、鮮やかな色彩によって生命感に満ちあふれた花鳥画をあらわしました。そして、志野・織部・古唐津といったやきものは、牡丹唐草など中国陶磁の模倣から離れ、和歌や蒔絵、屏風などの中で伝えられてきた日本の植物や動物たちを、こまやかに、またしなやかにあらわしてゆきました。ここでは、古き時代から引き寄せられた身近なモチーフの世界にご注目ください。
第3章 瞬間と永遠の発見-土の動き・釉ながれ
世界的な陶芸美の基準からすれば、規格外と評価される「歪み」また釉薬の乱れ流れる筋。しかしそれらは、土という有機物の動きの様子や、これを形作った人間の手と体の動きを形に宿し、また釉流れは、本来はとどめることのできない水の流れのその「瞬間」を、窯の炎による魔術ともいえる方法で、なかば永遠の姿に生まれ変わらせます。日本のやきものが見出したその神秘的な表現を、どうぞご堪能ください。
第4章 「あべこべ」の表現-流派の領分とその越境
異国の人物の姿を、鮮やかな絵具を使って彩り豊かにあらわすこと。一見すると不思議なところはないように見えますが、桃山時代より前の、「時間的・空間的に遠い人物は水墨で描く」というルールを逸脱した「あべこべ」の表現といえます。また、当初は中国由来の主題を描いてきた狩野派の絵師による、物語絵や名所絵への創造的な越境。この章では、桃山時代の絵師たちが新たな表現を目指し、既成の概念を軽やかに超えてゆく様子をご覧いただきます。
第5章 生のうつわ、水のうつわ-桃山茶陶、その「生気」の系譜
絵を注文した人物や絵師と同じ時代の身近な人物や出来事、そして現実の都市の姿。それらを実感豊かにあらわした風俗画は、桃山時代の絵画を象徴するテーマです。ただし、それは絵師の目の前に広がる情景を忠実に再現したものではありません。この章では、風俗画が人々の営みを活き活きと描く一方で、月ごとの人々の生活をあらわした月次絵や、各地の見どころある土地を描いた名所絵、あるいは古典文学に取材した物語絵など、古き時代の絵画、とりわけ「やまと絵」の伝統に育まれた主題であることをご覧いただきます。
第6章 「いま」をとらえるための過去の視点-風俗画の隆盛
絵を注文した人物や絵師と同じ時代の身近な人物や出来事、そして現実の都市の姿。それらを実感豊かにあらわした風俗画は、桃山時代の絵画を象徴するテーマです。ただし、それは絵師の目の前に広がる情景を忠実に再現したものではありません。この章では、風俗画が人々の営みを活き活きと描く一方で、月ごとの人々の生活をあらわした月次絵や、各地の見どころある土地を描いた名所絵、あるいは古典文学に取材した物語絵など、古き時代の絵画、とりわけ「やまと絵」の伝統に育まれた主題であることをご覧いただきます。
特 集 南蛮蒔絵
このコーナーでは出光コレクションから桃山時代の南蛮蒔絵を特集展示します。
となっている。
出品リストを見ただけでは想像するのは難しいが、解説を読みながらそれなり納得するようになっている。それがそのまま私が納得するものとなるか、あるいは肯定するかはまた別の回路が必要だとは思う。
私は長谷川等伯の「松に鴉・柳に白露図屏風」、筆者不詳の「宇治橋柴舟図屏風」、長谷川派の「柳橋水車図屏風」、狩野長信といわれる「桜・桃・海棠図屏風」、狩野元信の印のある「花鳥図屏風」、狩野松栄の「花鳥図屏風」を見ることができれば、それで満足であった。長谷川等伯の「竹鶴図屏風」「竹虎図屏風」は残念ながら9月8日からの展示である。
「宇治橋柴舟図屏風」と「柳橋水車図屏風」の時代的な差と様式化への流れの解説は面白いと思った。また、第2章の解説で、桃山期を画期として、描かれる身近な動物がこれまでと違ってきたことや、描かれ方も大きな変化があったと記されている。確かに情感あふれる描き方になったといえると思う。ここら辺は今後他の作品を見ながらじっくりと考えてみたいと思った。そういって意味では貴重な示唆を受けた。
確かに等伯の水墨画の「松に鴉・柳に白露図屏風」は鴉や白露の番・親子へのこだわりが絵画史上の画期だったのだろうとは以前にも読んだ覚えがある。
もうひとつ意外な発見があった。「猿投短頸壺」(奈良時代)、「古瀬戸瓶子」(鎌倉時代)というものが展示されていた。いづれも「釉流れ」が美しい。私は釉流れというものが桃山時代の特質とばかり覚えていたので、奈良時代からこのような技法が確立していたのかと初めて知った。いい勉強になった。