goo blog サービス終了のお知らせ 

Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

空疎な論議

2015年08月24日 22時37分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 昨日国会前庭和式庭園で蝉の抜け殻を見つけた。空蝉、国会内の議論というなの空疎な日本語の応酬をそのまま見ているような思いであった。
 日本を取り戻すという人の言葉がもっとも空疎である。見え透いたはぐらかしの答弁は、情緒的にただただ空中に浮遊している。蝉の抜け殻の方が幹をしっかりとつかんで、確固として存在している。蝉に対して失礼だったろうか。
 日本を取り戻すと言っている人には是非とも、日本の古典と言われる文学や、そこまで言わずとも明治以降の文学に親しんでもらいたいと思う。言葉の持つ力を身をもって示してもらいたいといつも思う。あるいは戦後の文学がたどった言葉の重みを味わってもらいたい。
 日本の言葉をもっとも悪い実例として垂れ流しているのが、今の国会の場というのがとてつもない背理ではないか。
 もう一方で、空疎な答弁に対して堂々巡りの応答をする側は、またそれらの政治的言語を伝えられる側が、果たして同じ轍を踏むことはないか。空疎な敵に対して発する言葉が、空疎で実体のない、最初に発せられた空疎な言葉を否定するために、強い打撃だけを目的とした言葉へと純化する悪循環に陥らないか。
 戦後の日本の反体制派の空疎で攻撃的な言葉は、そのようにして作られた。同じ轍を踏まないか、極めて危うい段階に来ていないか。私は強く危惧している。

フランク「交響曲ニ短調&交響的変奏曲」

2015年08月24日 21時16分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 久しぶりに交響曲を聞いてみたくなって今の本棚のCDの棚を物色していたら、フランク「交響曲ニ短調、公共的変奏曲」を見つけた。
 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、ウィーン・フィルハーモニー、ピアノはポール・クロスリーとある。1993年の録音である。解説の最後に指揮者ジュリーニについて「1998年に指揮活動から引退」と記されているので、1998年以降に購入したようだ。
 フランクの交響曲は購入以降も幾度か聞いている。CD購入以前にも演奏者は覚えていないがレコードを持っていたので幾度も聴いている。しかし一番初めの第一主題以外どんな曲だったかすっかり忘れてしまっていた。
 フランク(1822-1890)の晩年1886-88年に作曲されたフランク唯一の交響曲である。同時期にマーラーが第1番の交響曲を、チャイコフスキーが第5番の交響曲を作曲しており、それらに比べると「古風」だというのはわからなくもない。解説ではブルックナーと並んで評価される作曲家のように記されている。ただし私はブルックナーの曲は食わず嫌いで聴くことがない。複雑な構造を持つ構造美の交響曲というイメージがあり、構成的な美しさがあるらしいが、空虚な構造物と云う風に勝手に思い込んでいて、聴いたとたんに耳を塞いでしまう。
 第1楽章の出だしの主題、そして第3楽章で繰り返し現れる第1主題が大変印象的に耳に残る。聴きながら思い出してきた。不思議に大まかにだが旋律を追うことができる。
 交響的変奏曲はまったく記憶になかった。初めてのつもりでじっくりと聴いてみた。こんなにもピアノが美しい曲だとはまったくわからなかった。最近チェロの音色に魅せられているが、この曲でもピアノのソロの背後で美しいチェロの低音の響きが印象的である。
 ピアノ協奏曲の一部という感じではなく、ピアノと管弦楽の対等なソナタというような曲だと思う。なかなか美しい。

   

腕時計は必要か?

2015年08月24日 19時07分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は休養日。といっても14時過ぎには横浜駅まで出向いて家電量販店にて名詞用紙を購入した。その後は喫茶店でコーヒー1杯で1時間半程時間を過ごした。
 先日の八甲田山で転んだ拍子に3000円で購入して3年近く使った時計の裏蓋が外れた。宿について詳しく見てみると、転んだ衝撃で裏蓋が外れたのではなく、4箇所を細い小さなビスで止めていたが、それがすでに腐食して折れていた。4本とも錆びていて茶色に変色、ボロボロになっていた。
 実はすでに壊れる1週間ほど前からウォーキングで汗をかくと、画面が水滴で見えなくなる現象が生じていた。その時点で裏蓋は外れかかっていたらしい。
 多少高い時計を購入するか、2000~3000円の時計を買い替えながら理由するか、悩みどころである。家電量販店では10000円以下で、歩数計などの機能を備えたものは販売している。ただしこれを有効活用できるか自信はない。また限られたボタンの操作を考えると操作性は良くないようだ。
 携帯電話があるので、腕時計は特に必要ないという意見もある。喫茶店で時計のカタログを見ながら、いろいろとつまらないどうでもいいことで頭を悩ましていた。時間つぶしをしていた。途中からは、購入すること自体が面倒になってしまった。