Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は横浜では恒例の「神奈川新聞花火大会」

2016年08月01日 23時27分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は午後まで雨の様子を見ながらパソコンの前にずっと座っていた。15時過ぎに横浜駅まで歩いて出かけようとしたが、たまたまNHKのFM放送で、シベリウスの「交響曲第2番ニ長調 作品43」がかかったので、思わず聞き入ってしまった。ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、指揮はパーヴォ・ベルグルンドとのことであった。久しぶりにこの曲を聴いて嬉しかった。最近はブラームス以外の大編成の管弦楽はあまり聴いていないが、やはり好きな曲であれば時々は耳に心地よく響くものである。
 これを聴き終わってから横浜まで歩いて往復した。途中で緊急地震速報の誤報問題が発生したが、とりあえずは誤報ということがわかり、そのまま歩き続けた。

 明日も予定は入っていないが、夜は神奈川新聞主催の恒例の花火大会が横浜港で開催される。私の住む団地から割とよく見える。夏が来たという合図のようなものかもしれない。
 こんな時に本日のような緊急地震速報の誤報がもたらされたら一大事である。このようなことが起きないことを祈りたい。誤報だけでなく、実際にも深度5弱でも大きな混乱になりそうである。


地震の誤報がかけめぐった

2016年08月01日 20時56分05秒 | 読書
 夕方にも本日の大気の状態が不安定という情報がもたらされた。さいわいにも今のところ強い雨の区域はレーダー画像には出ていない。このまま何事もなく推移してほしいものである。

 さて17時ころ緊急地震速報の誤配信があったとのこと。私のスマホには何の表示もなされなかったが、特定の事業者や特定のアプリからは配信があったという。
 ちょうど横浜駅まで歩いていた時で、たまたま他のメールの着信を知らせる振動があり、バス停の傍の木陰で立ちどまってメールを確認するついでにツィッターを見て気がついた。
 こんな予想が出されたら誰もが驚く。これを見てたじろがない方がおかしい。


         

 こんな予想が出されたら誰もが驚く。これを見てたじろがない方がおかしい。しかも震度は最大値で7であるのに、「震度7程度以上」という表記があまりにひどい。これが気象庁の配信記事かと思うとぞっとする。「深度8」があたかも定義されているような表現である。気象庁が自ら定めた定義を自ら否定している。
 再確認はしていないが、エレベーターの緊急停止に伴い閉じ込め事故があったらしいとの報道もあったようだ。
 鉄道の安全確認による遅延も発生した。
 千葉県富津市あたりの落雷によるノイズの発生にともなう御配信という情報も流れているが、いづれにしろキチンとした原因究明が待たれる。
 いったん流れた予報の取り消しというのは極めて難しい。いくら誤報だという訂正が流れても、二次情報として拡散されたものの訂正には時間もかかるし、再確認をしない再拡散、3次拡散が相次いだり、無責任な情報拡散や悪意あるデマ・流言飛語につながりかねない。
悪意あるデマが当たり前のように垂れ流しされたり、それを助長するヘイトスピーチがまかり通っている時代である。再度の間違いがないようにしてもらいと、切実に思う。


メアリー・カサット展(横浜美術館) その2

2016年08月01日 15時08分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 横浜美術館で開催している「メアリー・カサット展」は2回ほど見て回った。最初は浮世絵を取り入れようとしたいくつかの作品に惹かれた。そしてその次に、20世紀の「聖母子像」を描いた人だという意見に、始めはそのとおりかとも思った。しかし惹かれるものがあるとすれば、それだけではないと思い直してじっくりを見て回った。あらためて作品群を見た印象を整理してみた。彼女がカトリックかプロテスタントだったかは結局は分らなかったので、その点からも聖母子像と決めつけるのは確かに躊躇する。

1.子どもの体格が母親に比べて現実の赤子より大きく見える
2.母子とりわけ子どもの眼あるいは視線が他の画家と比べて特徴があるように見える
3.ルネサンス期に代表される聖母子像に比べて、赤子に動きがあるものが多いようだ
4.母親の手、特に手首から先が力がこもっていて逞しい

 2と3の他の画家と比べてというのが、どこがどうしてということを我が家にある図録をすべて見たわけではない。しかし子どもが母親の方を見ているのはボッティチェリの「本の聖母」が思い浮かべる程度である。それも聖母の憂いを含んだ視線は子どもの眼には注がれていない。
 もともと聖母子像は、神であるキリストを神格化されたマリアが抱いている図であるが、キリストは普通の子のような動きを示さない。母マリアの表情は時代が下るにしたがい、赤子をあやすような視線なり表情を見せるようになる。またキリストも次第に現実の赤子のような表情を示すこともあるが、決して「神」であることをやめることはない。



 カサットの母子像は純粋の聖母子像でもなく、20世紀の聖母子像でもないが、どこかで通底していることは否定できない。特に子どもが裸あるいはそれに近い恰好であることは作者も聖母子像のことは念頭にあったと想像できる。20世紀ならではの聖母子像と思われる作品と思われる作品もないではない。「温室にいる子どもと母親」(1906)などは母親の伏した眼と青い服(マントではないが)、こちらをじっと見る裸の子どもの瞳と視線などはその要素が詰まっている。だが、この作品には他の母子像のような視線の交わりによる物語、母子のコミュニケーションがあまり感じられない。日ざしは温かみがあるが、全体は静的である。そして母親と赤子の体の大きさは一応均衡が取れている。



 チラシに大きく掲載された、「眠たい子どもを沐浴させる母親」(1880)は比較的初期の作品から独特の母子像が始まるようだ。赤子に特有の足の湾曲からすると赤子にしては母親に比して体が大きすぎる。また赤子にしては母親の右手の方が赤みがかって、逞しく力強く描かれている。
 母子の視線は交わってあやしている状況であることはすぐに了解できる。この時の母親の心境はどうであろうか。たぶん或る程度大きくなってむずかる子が「いとおしい」とか「可愛い」と思うのは、その場ではなく暫くたって気持ちにゆとりができた時ではないだろうか。その場では結構いらいらするものである。そんな一瞬を思い出すとこの母親の表情は下向きで見えないが結構厳しい顔をしていると私は思う。「微笑ましい」場面と解釈するのは自由ではあるが、多分正確ではない。
 子どもの左足の親指はかなり力が入っている、多分子どもを抱える母親の左手も力が入っているのであろう。そんな母子の葛藤をあらわしている。淡い青い色調に騙されてはいけないと思う。このような作品はおそらく喜多川歌麿の作品「行水」などからの影響であると思われる。



 顕著な例は「湯あみ(たらい)」(1990-91)がある。題材だけでなく、動的な、コミュニケーション感のある母子像という視点を取り入れ新しい母子像を作り上げたのだと思った。

豪雨情報

2016年08月01日 13時03分58秒 | 天気と自然災害
 先ほどから私の住む隣りの区に「豪雨情報」がスマホにもたらされている。始めは時間雨量32ミリというのがきたが、今度は「172ミリ/時間」という表示となっている。にわかには信じられない数字で何かの間違いかとも思うが、果たしてどうだろうか。
 しかし「レインアイよこはま」の画面では確かに雨の区域は南下してきている。ごく狭い範囲の雨の区域が昨日と同じように次々に南下していることは間違いない。少しずつ黄色から橙色に表示がかわりつつあり、まもなく時間雨量80ミリの表示になりそうである。空は暗くなり厚い雲にすっかり覆われてきた。だからといって172ミリというのはどうも承服しかねるが‥。

 ベランダから洗濯物を取り込み、セキセイインコを部屋の中に移した。さらに風がひどくなれば植木鉢も移動しなくてはならないかもしれない。



 14時前に横浜市に大雨洪水警報が発令された。レーダーの画面によると私の住んでいる区でも西半分は強い雨のようだが、私の住んでいる区域を雨の区域はかすって通り過ぎつつあるようだ。
 しかし不気味な雷の音がし始めた。さいたま市と東京都に強い雨の区域があり、横浜市をめざすように南下している。まだまだ油断はできない。