Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「木々との対話」(東京都美術館)

2016年08月26日 23時00分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日東京都美術館で「木々との対話-再生をめぐる5つの風景」展を見てきた。「ポンビドゥーセンター傑作選展」の半券を持っていると800円が500円になるというので、さっそくその得点を使って見学してきた。
 国安孝昌、須田悦弘、田窪恭治、土屋仁応、船越桂の5人の作家の作品が地下3階から地下2階と地下3階、屋外、ラウンジ、美術情報室などに分散展示されている。
 中でも私は田窪恭治と國安孝昌の2名の作家の作品にとても惹かれた。
 普段はインスタレーションというものに惹かれることが少ないが、この二人の造形が心に波を建てることなく、すっと胸にすべるこむように入って来た。抵抗がない、という感覚に襲われた。

   

 田窪恭治は廃材・金箔・鉄などを組み合わせて、どこか観音像を思わせるような作品が最初に目についた。円空仏を見ているようでもある。
 素材をそのまま置いた表現というものもあるが、形には特にこだわりは感じないが、丁寧で強い造形意識には好感が持てた。

   

 國安孝昌は杉丸太と陶製の小さなブロックを組み立てて、とてつもなく強大な意志を感じるものを作り上げた。少しだの素材の位置変更でも全体が崩壊してしまうような感覚に襲われる。作品は巨大なカタツムリにも見え、柄のついた巨大ぺろぺろキャンディーにも見えた。
 小さな陶製の細長い無数のブロックを複雑に組み合わせ、その間に直径10cm×1mほどの杉丸太を何本も組み込んで構築している。むろん杉丸太はしっかりと紐で互いに縛り付けられてはいるが、一見小さなブロック1片のどれかひとつを動かしたり、取り除くと全体が崩れてしまいそうにも見える。そんな微妙なバランスの上に巨体な形が出来上がっている(と思わせる)。この作り上げる労力・執念の源泉は何なのか、私にはわからないという実感と共に、それと相反して不思議と親近感を感じる。この親近感が他の巨大なインスタレーションから受ける印象とは違うと感じた。それは木と陶製ブロックの肌合いによるものか、出来上がった渦状にうねる曲線によるものなのか、判らなかった。そういう思いをさせるところがこの作品の魅力・価値なのかもしれない。
 私は作品が巨大になればなるほど、巨大化の根拠がますますわかりづらくなる。
 他に動物・想像上の動物の木彫にこだわる土屋仁応、女性の半身像を繰り返す船越桂、バラなどをそっと置く須田悦弘など、どの作家も「木」にこだわる雰囲気は伝わってきた。とても良質なインスタレーションと作品群を見ることができたと思う。

         

退職者会の会報の原稿がとりあえず出来上がった

2016年08月26日 21時00分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく退職者会の会報の第一稿が出来上がって、印刷所に送信した。これから再度印刷所で入力の上、週明けにも校正刷りを送ってもらうことになる。それをもとに編集委員で点検の上、来週中に原稿の確定となる。印刷に入るのは再来週。
 原稿が少なく心配したが。どうやら95%は埋めった。夏はどうしても記事が少なくなる。
 例年9月中旬に行われていた「高齢者集会」は今年は9月下旬になった。会場の日比谷公会堂の工事にともなう措置。来年は例年通りに開催される予定である。9月22日には反原発での集会も予定されている。

美術展のチラシの充実

2016年08月26日 09時51分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は森美術館に「宇宙と芸術」展を是非とも見に行きたかったのだが、予定表とにらめっこしているうちに、いくつか片付けないことがあるのに気がついた。残念ながら明日土曜日か、日曜日、ないし火曜日に延期せざるを得ないことがわかった。
 退職者会の会報の原稿をとりあえず仕上げなくてはいけないが、まだ原稿がそろっていない。今号は記事を埋めるので苦労している。いつもは記事を取捨選択、削ることに大半の努力を費やしているが、今回は真逆である。記事が少ない方が苦労する。
 午前中は所用があって関内まで出かけなくてはいけない。暑い中歩き回るのはつらい。

昨日の「ポンピドゥー・センター傑作選展」(東京都美術館)、そして昨日行きそびれた「宇宙と芸術展」(森美術館)、さらには「藤田嗣治展」(府中市美術館)といづれもチラシが凝っている。「宇宙と‥」はA3の二つ折り4頁仕立て、他はA4にして6頁分相当の折込みである。
 「ポンビドゥー‥」などは展示目録を兼ねているといってもいいかもしれない。「藤田‥」は11点もの作品の大きなカラー図版が刷り込まれている。しかもA3という大きさで一画面というものも多い。
 図版が多いということは私などにはとてもありがたいと思う。そして色の再現性も高いと思う。個人の生涯を網羅するような展示では極力図録を購入するが、「ポンビドゥー‥」や「芸術と‥」などのような場合は図録は購入しなくともチラシと展示目録などでも十分記録としても、記憶を呼び戻す縁としても役に立つ。
 昨日は「ポンビドゥー‥」でポストカード6枚を購入した。かなりの種類のカードが用意をされていて、良かった。150円で紙質もよく、ここまでする必要があるかというくらい厚手の紙である。
 ポストカードなどは学生などに人気があるようだ。少ない予算の中でどれを購入するか、という取捨選択が大いに勉強になるし、選択することで記憶にも残ると思われる。
 「木々との対話‥」展では一人の作家の作品を除いて写真撮影可能であった。小学生と思われる数人のグループが熱心にスマホで写真を撮っていた。各自が自分なりにアングルを工夫しながら撮影していて、そのために作品の細かいところも観察していたようだ。こういうのを見ると、手軽なスマホのカメラ機能も捨てたものではない、と思う。対象を観察する眼、撮影する技量、いづれもよい体験をしたと将来思えるようになるのではないかと感じた。