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昨日東京都美術館で「木々との対話-再生をめぐる5つの風景」展を見てきた。「ポンビドゥーセンター傑作選展」の半券を持っていると800円が500円になるというので、さっそくその得点を使って見学してきた。
国安孝昌、須田悦弘、田窪恭治、土屋仁応、船越桂の5人の作家の作品が地下3階から地下2階と地下3階、屋外、ラウンジ、美術情報室などに分散展示されている。
中でも私は田窪恭治と國安孝昌の2名の作家の作品にとても惹かれた。
普段はインスタレーションというものに惹かれることが少ないが、この二人の造形が心に波を建てることなく、すっと胸にすべるこむように入って来た。抵抗がない、という感覚に襲われた。
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田窪恭治は廃材・金箔・鉄などを組み合わせて、どこか観音像を思わせるような作品が最初に目についた。円空仏を見ているようでもある。
素材をそのまま置いた表現というものもあるが、形には特にこだわりは感じないが、丁寧で強い造形意識には好感が持てた。
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國安孝昌は杉丸太と陶製の小さなブロックを組み立てて、とてつもなく強大な意志を感じるものを作り上げた。少しだの素材の位置変更でも全体が崩壊してしまうような感覚に襲われる。作品は巨大なカタツムリにも見え、柄のついた巨大ぺろぺろキャンディーにも見えた。
小さな陶製の細長い無数のブロックを複雑に組み合わせ、その間に直径10cm×1mほどの杉丸太を何本も組み込んで構築している。むろん杉丸太はしっかりと紐で互いに縛り付けられてはいるが、一見小さなブロック1片のどれかひとつを動かしたり、取り除くと全体が崩れてしまいそうにも見える。そんな微妙なバランスの上に巨体な形が出来上がっている(と思わせる)。この作り上げる労力・執念の源泉は何なのか、私にはわからないという実感と共に、それと相反して不思議と親近感を感じる。この親近感が他の巨大なインスタレーションから受ける印象とは違うと感じた。それは木と陶製ブロックの肌合いによるものか、出来上がった渦状にうねる曲線によるものなのか、判らなかった。そういう思いをさせるところがこの作品の魅力・価値なのかもしれない。
私は作品が巨大になればなるほど、巨大化の根拠がますますわかりづらくなる。
他に動物・想像上の動物の木彫にこだわる土屋仁応、女性の半身像を繰り返す船越桂、バラなどをそっと置く須田悦弘など、どの作家も「木」にこだわる雰囲気は伝わってきた。とても良質なインスタレーションと作品群を見ることができたと思う。
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