今年の憲法集会で元気な声を聞いたばかりであった。
⇒【
https://www.youtube.com/watch?v=OHTBQbCkxi0】
朝日新聞デジタルに次のような言葉も掲載されている。
「「報道の自由」の問題でいろいろな人がいろいろな意見を述べているけれど、私もどうしても言っておかなければならないと思って体験談を話します。
太平洋戦争が1941年12月に始まりましたね。それからまもなく、私は従軍のために日本を発ち、翌年3月1日にジャワに上陸した。途中で立ち寄った台湾で、日本軍が作った「ジャワ軍政要綱」という一冊の本を見ました。入手方法は秘密ですが、日本がジャワをどのように統治するかというタイムスケジュールが細かく書かれていた。私がいたそれから半年間、ほぼその通りに事態は進んだ。
その要綱の奥付に「昭和15年5月印刷」の文字があった。ジャワ上陸より2年近く、太平洋戦争開戦より約1年半も前だったんです。つまり、国民が知らないうちに戦争は準備されていたということです。
もしもこの事実を開戦前に知って報道したら、国民は大騒ぎをして戦争はしなかったかも知れない。そうなれば何百万人も死なせる悲劇を止めることができた。その代わりに新聞社は潰され、報道関係者は全員、国家に対する反逆者として銃殺されたでしょう。
国民を守った報道が国家からは大罪人とされる矛盾です。そこをどう捉えればいいのか。それが根本の問題でしょう。高市早苗総務相の「公平な放送」がされない場合は、電波を止めるという発言を聞いてそう思ったのです。公平とは何か。要綱を書くことは偏った報道になるのか。それをだれが決めるのか。
報道は、国家のためにあるわけではなく、生きている人間のためにあるんです。つまり、国民の知る権利に応え、真実はこうだぞと伝えるわけだ。公平か否かを判断するのは、それを読んだり見たりした国民です。ひどい報道があったら抗議をすればよい。総務大臣が決めることじゃないんだ。そんなのは言論弾圧なんだ。
報道機関は、自分たちの後ろに国民がいることをもう一度認識することです。戦時中はそのことを忘れておったな。いい新聞を作り、いい放送をすれば国民は応援してくれる。それを忘れて萎縮していた。
戦争中、憲兵隊などが直接報道機関に来て、目に見えるような圧迫を加えたわけではないんです。報道機関自らが検閲部門を作り、ちょっとした軍部の動きをみて自己規制したんだ。今のニュースキャスター交代騒動を見ていて、私はそんなことを思い出した。報道機関側がここで屈しては国民への裏切りになります。
「国境なき記者団」による報道の自由度ランキングが、安倍政権になってから世界61位まで下がった。誠に恥ずかしいことで、憂うべきことです。報道機関の踏ん張りどころです。」(朝日新聞デジタル、聞き手・木瀬公二)
「昨年後半からずっと、忙しい日が続いたな。私が100歳になったのと戦後70年と、安保法案の三つが重なったからでしょう。年寄りの話を聞こうと、いろいろなところから講演の依頼がきた。
その会場の雰囲気が、これまでとは違う。以前だとこっちが先生で、聞いている人が生徒といった一方的な流れだったのが、こっちも参加者の1人で「さあ、あなたも仲間です。一緒にやりましょう」という感じなんだ。8月25日に、東京・中野でやったときにそう思ったな。
開演の1時間前から多くの人が並んで、550席が埋まった。テーマは「今だからこそ伝えたい本当の戦争の姿」。私は「戦争は始まってからでは止められない。始めさせない以外にない」と話した。
その後で、いま話題のSEALDsの23歳のお嬢さんが「むのさんの話を胸に絶対戦争はさせない」というようなことを話した。
聴衆の男女比は、5対3くらいで女性の方が多かった。子どもを連れたママさんたちも目立った。年齢は様々。その人たちが講演後に50人ほども私の前に並んだ。そして握手をしながら、戦争に対する自分の考えや、平和な世界にするためにこういう行動をしていく、といった話をしていった。
私の話を全身で受け止めていたんでしょう。歴史の中で去っていく世代と、これから出てくる世代のつながりの場という気がしました。今までなかったことです。
講演は、入場料をとるんですよ。そこに自分の意思で来た人たちです。国会周辺でやっているデモもそうでしょう。誰かに頼まれて参加しているわけじゃない。本物の動きが出てきたんだなと感じたな。
それだけ真剣に考えているから迷いもする。講演でも高校生や大学生から質問がでる。過去の戦争と私たちは直接関係ない。なのにわびなければいけないのかという意味の質問も出る。
それにどう答えたかというと
「あなた方は生まれていなかったから、直接関係はない。けれど歴史は、過去と現在と未来の連結だ。その途中を抜いてしまえば歴史の全体がつかめなくなる」と言う。
そして「だから今やることは、戦争中、日本は何をしてきたのかという過去の事実を見据えることだ。その先は若い世代自身のテーマです」と。
見据えた結果を自分はどうとらえ、どう生きるか、ということです。わびろとかわびないという、簡単なことではないんです。
そういう話に多くの若者はまともに反応するな。日本の新旧世代のそれぞれが、日本社会がこれまでやってきたすべてに対して、自らの答えを行動で示す時期にきているな。」(朝日新聞デジタル、聞き手・木瀬公二)