Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

忘年会

2017年12月01日 23時41分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明日の朝は明後日の団地の会議の資料作りの続き、昼前から退職者会の「けんこう麻雀クラブ」の取材で関内駅傍の会場へ。午後からは講座でみなとみらい地区へ。そして夜は最初の忘年会で都内へ。日付が変わる前までには帰宅したいものである。
最近の歳時記で忘年会の項を見ると、「あんな芸もつてゐしとは年忘」「年忘仕事の話抜け出せず」のような句が並ぶ。

★またひとり海を見に出る年忘    黛 執
★忘年会果てて運河の灯影かな    小川濤美子


 第1句、きっと海の傍のホテルに集まっての忘年会なのか。忘年会も一息入れないと耐えられない場合もある。特に職場の忘年会などは、いくら無礼講という場合でも職場の日常をひきづっている。友人同士や気のあった仲間同士の飲み会とは違う。そんな濃密な空気が漂う場から逃れて、本当の意味での年忘れ、人忘れをしたいものである。海風と波の音はそんな人の心を癒してくれる。
 第2句、都会の場合、海でなくとも運河にうつる歳末の街の灯は、人を郷愁に誘う。宴果ててようやく年末・年始へと時間が移行する。サラリーマンにとっては忘年会はしんどいイベントの一つに過ぎないといえる。

冬の暮

2017年12月01日 21時07分55秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は横浜の最高気温が11℃ほどであった。冬らしい気温の中、買い物に付き合って横浜駅まで往復歩いた。冬の夕日は浴びていると心が晴れる。とてもゆったりとした気分になる。冬の夕日を浴びるときは両手を広げて、陽をめいっぱい体に浴びるようにして深呼吸をする。実に気持ちがいい。

★短日に確かめ確かめ万歩計     菅野誠三

 11月は少しウォーキングをかなり励んだので、今月は少し緩めに歩くことにした。時間も歩数も少々少なめに。

師走

2017年12月01日 12時30分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 新暦・旧暦を問わず12月を「師走」というようになっている。師走の別名には極月とも臘月という異称もある。新旧を問わず使うのは「師走」と睦月の別名の「正月」だろうか。
 「師走」の語源はわからないらしい。ウィキペディアでは、次のように記されている。

☆「しはす」の語源は、古いことなので分からない。「大言海」は、「歳極(トシハツ)ノ略轉カト云フ、或ハ、萬事爲果(シハ)つ月ノ意、又、農事終ハル意カ」と言い、また「十二箇月ノ名ハ、スベテ稻禾生熟ノ次第ヲ逐ヒテ、名ヅケシナリ」(「睦月」の項)と言っている。なお、僧侶(師は、僧侶の意)が仏事で走り回る忙しさから、という平安時代からの説(色葉字類抄)があるが、これは語源俗解(言語学的な根拠がない、あてずっぽうの語源のこと)であり、平安時代にはすでに、「しはす」の語源は分からなくなっていたのである。

★づかづかと礼なき師走来たりけり     小平安一
★もうみんな師走の端を踏んでゐる     菅原章風


 第1句、「づかづか」という語におおいに惹かれた。師走の時期の世間の冷たい空気が作者の身を苛んでいるのかもしれない。何かに追いまくられているのだろうか。私の語感ならきっと「づかづかと敷居またいで師走来る」かな。「づかづか」に「礼を失して」いる意味合いが含まれているように思えるので。
 第2句、どういうわけか他の月や他の季節は人それぞれに訪れ方が違う。しかし師走と正月だけはほぼ例外なく同時にほぼ全員にやって来る、そんな感じがすることは確かだ。1年の始まりと終わり、つまりスタートとゴールは皆同じで、その間の時間の流れは人それぞれ、ということ。自然の時間、体内時計、そして社会のサイクル、人生の時間軸などなど、人にはどうにも統御できないさまざまな時間の流れについて、ふと立ち止まって感じてみるのも師走ならではである。

本日から師走

2017年12月01日 00時27分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日から師走、前からときどき記しているけれど、今年は時間の推移が早く感じた。定年退職後、あまり時間に追われるということが少なく、時の経つのが早いと感じたことはまずなかった。とりあえず充実した日々を過ごしていたと考えていた。

 しかし今年は慌ただしい日々が続き、気がついたらもう11月も終わろうとしている、と感じた。一年が経つのが早い、という感覚が今年から戻ってきた。

 来年は「慌ただしく時が過ぎていった」と考えるのではなく、自分なりに時間を使うという生活にしたいものである。