Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ようやく帰宅

2017年12月09日 23時56分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく帰宅。本日はだいぶ飲んでしまった。横浜駅から歩いて帰宅。少しだけ酔いは醒めた。
 明日は朝、団地内で打合せの予定。午後からは特に予定は入っていない。退職者会ニュースの割り付けの微調整で時間は無くなりそう。

プリンターの修理完了

2017年12月09日 12時26分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私が5時間も6時間も悩んだものが、わずか30分で復元してくれた。商売とはいえ、早いものである。とてもありがたい。これで編集したものを画面だけではなく、打ち出したものを見ながら微調整が出来る。また来週の団地の管理組合の資料づくりも楽になる。

 昨日とは違って陽射しが嬉しい日である。夕方から友人と3人で忘年会。久しぶりに新宿の東口で待ち合わせとなった。師走の土曜日、人混みの中を迷わずに約束の場所にたどり着けるか、心配である。


漱石忌

2017年12月09日 10時20分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 12月9日が漱石忌だということ、迂闊ながらごく最近知った。

漱石忌戻れば屋根の暗きかな    内田百閒
★漱石忌悲喜の振幅狭まりぬ     比嘉樹美
★漱石忌英語教師とクラス会     江原博子


 第1句、漱石に師事し敬愛した作者にとっては漱石忌は具体的な悲しみの日だったのであろう。しかし内田百閒の生き様と漱石のそれとがどこで交差しているのか、私にはなかなか理解できない。
 第2句、人生長く生きていると、確かに心の中で、悲喜の感情の振幅が小さくなっている。歳を取ればとるほどそうなるのか、それが生き抜いてきた強さなのか、したたかさなのか、感覚が衰えているということなのか。身につまされる。漱石の小説をむさぼるように読んだ時期が春か遠くにかすんでしまっていることに気がついたのだろうか。
 第3句、気に入った仲間と教師を囲んでさまざまなことを議論し、影響を受けたことは誰にでもある。授業よりも多くの薫陶を受けるのもこのような場である。たぶんこの教師から漱石も知り、人生も教わったのであろう。そういえば漱石もまた英語教師であった。句は私の好みとは遠いし、ちょっとつき過ぎている句ではあるが、取り上げた。