Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

セキセイインコの存在

2017年12月25日 23時41分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 セキセイインコが息を引き取るという事態があり、年賀状の作成は本日はストップ。明日昼間は出かける予定があるので、朝と夜に作成時間を確保することにした。何とか明後日27日(水)の午後には投函できそうである。
 4年半はこのセキセイインコを軸に我が家の時間は回っていた。朝起きて籠に掛けた風呂敷を取って「おはよう」とあいさつするのが、妻の朝の最初の仕事。朝食前にベランダに出し、朝食後に餌やりと籠の掃除が私の役割。昼前に籠を部屋に取り込むのは妻の仕事。夕食前に籠の周りの掃除をして、風呂敷を掛けて暗くするのは私の仕事。いつの間にかこのような分担ができた。セキセイインコは人の顔色を実によく読む。私や妻の役割分担、期限のいい、悪いなど敏感に反応する。
 これまで飼った4羽に比べて短命だったので、次の鳥を飼う気持ちにはまだならない。暫くはまた二人だけの生活が続く。

セキセイインコが息を引き取った

2017年12月25日 23時25分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 本日飼っていたメスのセキセイインコが息を引き取った。ここ数週間はじっとしている時間が次第に多くなり、先週からはだいぶ弱ってきたようで、籠の中でほとんどじっと膨らんでいた。食欲は昨日まではあって、餌もかなり食べ、便通もあった。ときどき元気なそぶりも見せていた。本日になってさらに弱々しくなり、夕方には、歩いて20分位の処にある動物病院へ連れて行くことに決めていた。
 そうこうしているうちに止まり木の上で止まっているのが怪しくなり、妻が手に取ってあたためている間に二声ほど弱々しく「ギー」と鳴いて、そのまま目を開けなくなってしまった。
 昨年も一緒に買っていたオスのセキセイインコも弱々しくなり、ロウマクから血が出ていたのでぬぐってやろうとして妻が手に包むと突然「ギー」と二回鳴いて目を開けなくなってしまった。
 昨年も今年も妻の手に抱かれて亡くなったのがせめてもの救いかもしれない。もっと早く医者に連れて行くことも可能だったのが悔やまれる。しかし治療法があったかどうかはわからない。
 昨年のオスも、今年のメスもともに息を引き取った時は4歳から5歳になろうかという時期。よく言われるように10年近く生きる、ということからすると短命であった。それまで飼った4羽も8年から10年近く生きていたので、飼い方が悪かったとは思えない。
 本日息を引き取ったメスは、水道の蛇口から細く水を出しているときに水を浴びるのが大好きで、盛んにそれをせがまれた。水道の蛇口からの水でないと水浴びはしない。器に水を入れたのには近づきもしなかった。
 気が強く、一緒に飼っていたオスを寄せ付けもせず、そして人の指や耳たぶを思い切り噛む。一方で人がいないと餌は食べない。昼も夜も人が見えないと餌は食べない。帰宅したりするとあわてて餌を食べ始めるなど、それなりに寂しがり屋であった。
 妻はだいぶショックだったようで、本日はお通夜となった。明日の夜、歴代の5羽を埋めてあるベランダの下の地面に埋めてあげるつもりである。


「地べた」ということば

2017年12月25日 09時55分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩の雨で路面がまだ濡れている。湿度が90%に近いと天気予報で述べていた。喉や鼻にはいいようだ。気持ちの上で穏やかな空気に包まれていると感じる。少しホッとしている。だが、これから北西の強い季節風が吹きはじめるらしい。

 一昨日テレビを見るともなく見ていたら、「スカイツリー、三丁目の夕日、下町、石田波郷」というコンセプトの番組の再放送をしていた。石田波郷の句と文章も紹介されていたので、見ていた。若い女性タレントの頓珍漢なコメントと喋りが半ば煩わしかったが、それでも楽しめた。しかしあの頓珍漢なコメントと喋りが台本にあるものならば、製作者のお惚けもなかなかのレベルであると、感心はしている。本日はあの頓珍漢の評価には触れないことにしよう。
 番組の中で地元のお年寄りが「当時は地べたがまだ舗装されていなかった」ということばが妙に頭に残った。1960年代、まだまだ未舗装の道路がたくさんあった。当時は道路も宅地の庭も、路地も公園内も境界はあいまいで、「地べた」として一体であった。
 自動車の交通量が極端に増え、道路の舗装と拡張が大きな社会的な要請になり、道路の舗装が進んでアスファルト化が進展。境界があいまいな地続きの「地べた」がアスファルトの構造物として「ひとり立ち」を始めた。人々の意識からは道路の舗装とともに「地べた」から道路は除外され始めたのではないか。そして川や水路も下水道として埋め立てられて舗装され、公園も「地べた」から芝生が植えられ、一部は舗装され始めた。それぞれが「公共物」として「地べた」から人間の意識として、独立し、生活からは疎外され始めた。
 今では「地べた」という概念そのものが希薄になってしまった。なにしろ私道も路地も、個人の車庫も庭も舗装され、境界がきちんと定まり、境界は所有権の範囲の確定とともに厳格になっている。最近では戸建ての家からも庭すらなくなり、「地べた」はほとんどない。土はせいぜいプランターの中で生き延びている程度になってきた。
 時代が変わったし、道路の舗装が進み、境界が定まったことは悪くはない。しかしこの都市化が私たちの意識にこれほどの影響を与えていたとは思わなかった。