Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「敗戦日記」(高見順)から 2~3月

2017年12月11日 20時53分20秒 | 読書
 布団の中でときどき寝てしまいながら、「敗戦日記」(高見順、中公文庫)を読む。まだ初めの方で、1945年2月~3月にかけての部分である。2月下旬から東京の空襲がひどくなり、人々の暮らしが圧迫され、高見順の身のまわりで空襲による死者や被害が細かに記載されている。そして当時の東京市内の爆撃による被災の要図や、酒場での体験がつぶさに書かれている。被害が拡大するにつれ、そして物資、ことに食料品が窮乏し、配給が滞るようになるにしたがい、人々の気持ちや振る舞いが荒んでいく様子、他者への思いやりがどんどん薄れていく様子が克明に観察されている。
 そして3月10日の大空襲の場面では、罹災者の群れを前にたじろぎ、自らもそのような立場になることを予感し、そして米軍上陸という不安と絶望を吐露している。

「夕暮れが迫り、路地の上の暗い空をカラスがいっぱい横切って飛んでいく。‥(国民酒場の)行列は刻々にふえ、行列の中途の知り合いのうしろにこっそり割り込むものもいて、はじめから見ると私たちの前の人数はよほど多くなっている。間に入れるな!と殺気立った声がうしろから響いてくる。‥ひどく惨めな不快な感じだった。なんだか捕虜みたいだ。こういう不快感に無感覚になることが恐ろしい気がせられた。自分がでなく、国民が--である。今度は一列に並ぶ。‥金を集め出したが、その場になると、たしかに十人だったのだが十一人になっている。誰かが中途で割り込んだのだ。」

「妻や母をどこか安全なところへとやるとなると、まとまった金がいる。それがない。なければ一緒、今の家(鎌倉)の家にすまねばならぬ。そうして働き口を東京に求めねばならぬ。金のない者は結局、こうして身動きができず、逃げられる最悪からも逃げられないのだ。東京の罹災民は、みんなそれだ。金持ちはいちはやく疎開して、災厄からまぬがれている。疎開しろ疎開しろと政府から言われ、自分も危険から身を離したいと充分思っていても、金がなければ疎開できぬ。そして家を焼かれ、生命を失う。」


 当時の社会状況が分かりにくくなっている現在、このような書は貴重なのだと思う。

寝ているのにもう飽きたものの‥

2017年12月11日 17時51分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど起き出してきた。起きてくるとハナミズとクシャミが発作のように始まる。これを我慢していたら、30分ほどで落ち着いてきた。今は両方ともとまっている。しかし頭の重苦しさは改善されていない。気力も湧いてこない。
 症状はハナミズとクシャミと記載していたが、昨日までは下半身の筋肉に少し痛みがあった。ウォーキングのための筋肉疲労化と思っていたが、そうではないようだ。筋肉疲労の痛みとは違う。ひょっとしたらこれから熱が出てくるのかと不安になったりもしたが、その兆候は今のところない。筋肉痛は本日はおさまっていいる。
 いい休養になったと思うことにしている。

 退職者会ニュースの2~3面の記事が送られてきたので、30分ほどかけて先ほど多少の整理を行ったら、これだけでかなり疲れた。また布団にもぐりこむことにする。本当はこの記事のを割り付け終るとほぼ編集が終わる。これにかなり労力を要する。あとは二つほどの記事だけである。

ダウン

2017年12月11日 12時50分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
朝からダウン。朝食中にクシャミとハナミズがたくさん出て、往生した。
洗面後、おとなしく布団に直行。発作のようなクシャミとハナミズはおさまったが、頭が重い。気力もわかない。
どういうわけか今は鼻は乾燥してつまることはない。体温も36.1℃と低い。
本日は寝ていることにしたい。