布団の中でときどき寝てしまいながら、「敗戦日記」(高見順、中公文庫)を読む。まだ初めの方で、1945年2月~3月にかけての部分である。2月下旬から東京の空襲がひどくなり、人々の暮らしが圧迫され、高見順の身のまわりで空襲による死者や被害が細かに記載されている。そして当時の東京市内の爆撃による被災の要図や、酒場での体験がつぶさに書かれている。被害が拡大するにつれ、そして物資、ことに食料品が窮乏し、配給が滞るようになるにしたがい、人々の気持ちや振る舞いが荒んでいく様子、他者への思いやりがどんどん薄れていく様子が克明に観察されている。
そして3月10日の大空襲の場面では、罹災者の群れを前にたじろぎ、自らもそのような立場になることを予感し、そして米軍上陸という不安と絶望を吐露している。
「夕暮れが迫り、路地の上の暗い空をカラスがいっぱい横切って飛んでいく。‥(国民酒場の)行列は刻々にふえ、行列の中途の知り合いのうしろにこっそり割り込むものもいて、はじめから見ると私たちの前の人数はよほど多くなっている。間に入れるな!と殺気立った声がうしろから響いてくる。‥ひどく惨めな不快な感じだった。なんだか捕虜みたいだ。こういう不快感に無感覚になることが恐ろしい気がせられた。自分がでなく、国民が--である。今度は一列に並ぶ。‥金を集め出したが、その場になると、たしかに十人だったのだが十一人になっている。誰かが中途で割り込んだのだ。」
「妻や母をどこか安全なところへとやるとなると、まとまった金がいる。それがない。なければ一緒、今の家(鎌倉)の家にすまねばならぬ。そうして働き口を東京に求めねばならぬ。金のない者は結局、こうして身動きができず、逃げられる最悪からも逃げられないのだ。東京の罹災民は、みんなそれだ。金持ちはいちはやく疎開して、災厄からまぬがれている。疎開しろ疎開しろと政府から言われ、自分も危険から身を離したいと充分思っていても、金がなければ疎開できぬ。そして家を焼かれ、生命を失う。」
当時の社会状況が分かりにくくなっている現在、このような書は貴重なのだと思う。
そして3月10日の大空襲の場面では、罹災者の群れを前にたじろぎ、自らもそのような立場になることを予感し、そして米軍上陸という不安と絶望を吐露している。
「夕暮れが迫り、路地の上の暗い空をカラスがいっぱい横切って飛んでいく。‥(国民酒場の)行列は刻々にふえ、行列の中途の知り合いのうしろにこっそり割り込むものもいて、はじめから見ると私たちの前の人数はよほど多くなっている。間に入れるな!と殺気立った声がうしろから響いてくる。‥ひどく惨めな不快な感じだった。なんだか捕虜みたいだ。こういう不快感に無感覚になることが恐ろしい気がせられた。自分がでなく、国民が--である。今度は一列に並ぶ。‥金を集め出したが、その場になると、たしかに十人だったのだが十一人になっている。誰かが中途で割り込んだのだ。」
「妻や母をどこか安全なところへとやるとなると、まとまった金がいる。それがない。なければ一緒、今の家(鎌倉)の家にすまねばならぬ。そうして働き口を東京に求めねばならぬ。金のない者は結局、こうして身動きができず、逃げられる最悪からも逃げられないのだ。東京の罹災民は、みんなそれだ。金持ちはいちはやく疎開して、災厄からまぬがれている。疎開しろ疎開しろと政府から言われ、自分も危険から身を離したいと充分思っていても、金がなければ疎開できぬ。そして家を焼かれ、生命を失う。」
当時の社会状況が分かりにくくなっている現在、このような書は貴重なのだと思う。