Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「火」の効用

2017年12月16日 22時58分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
★ふとしたることより榾火よく燃ゆる     星野立子
★大榾をかへせば裏は一面火         高野素十


 最近は囲炉裏もストーブ、火鉢もない。石油ストーブも家にはなくなっている。火を取り扱うことなど台所でのガスコンロ程度であろう。それすら電気にとって代わろうとしている。家から炎も灰も、炭も無くなった。多くの子どもにとっては焚火も体験することなどなくなっている。
炭火や榾火と接することが無いと、炎や煙の不思議なさまざまな現象に接することも無くなった。「火」というものの怖さ、そして懐かしさ、暖かさを見つめたり、変幻自在な色や形の変化に見とれることもなくなった。とても寂しい。
 人は焚火などを見ると自然に集まってくるものである。家の中の囲炉裏の周りに自然と集まり、夏でも海岸で焚火をすれば、冷えた体を暖めに自然と人が集まる。道路のゴミや落葉を炊けばよもやま話の輪ができる。「火」は私が小学生のころまでは都会のなかでも当たり前にあった。今はもう都会ではどこにも「火」はない。
 焔は見ていて飽きることがない。変幻自在である。たぶん一晩中見ていても飽きることはない。そんなことを思いながら、上の2句を眺めている。

 昔、民間の労働組合が争議に突入し、工場を占拠したことがある。私などは幾晩も交代で支援におもむいた。一斗缶に木っ端を入れて一晩中見張りなどを手伝ったことがある。5~6人で時々煙に咽びながらも、支援者同士でいろいろと語り合ったものである。「火」は人と人の垣根を取り払って、人を素直にする。細かな会話の内容など覚えていないが、実も知らない人とさまざまに語り合ったことだけは、その情景とともにいつまでも記憶に残る。そこに連帯感というものが生じた。若い組合員に難しいことを講釈しても、組合に興味は示さない。そのような場面に参加してもらえば、自然といろいろな活動を手伝ってくれるようになる。不思議なものである。

横浜美術館にて

2017年12月16日 17時43分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


横浜美術館にて「石内都ー肌理(きめ)と写真ー」展、コレクション展2017年度第二期「全部見せます!シュールな作品」、特集展示石内都「絶唱、横須賀ストーリー」を見てきた。
1時間30分の充実タイムを過ごした。「横須賀ストーリー」は初めて石内都の名を知ったときの展示である。何年前だったか、そしてどこでみたか覚えていない。しかし、「野比海岸」という作品にすっかり嵌まってしまった。今回もその作品に再開するとともに、「互楽荘」という作品に出会って、魅せられた。
コレクション展ではミロの、6点連作「岩壁軌跡」も印象に残った。

詳細は後日。

感傷にひたる‥

2017年12月16日 10時30分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先日亡くなった私の友人、高木純さんの思い出をつづった追悼文が仙台の友人から送られてきた。来週あたり私から他の方に郵送ないしメール転送をしようかと考えている。手始めに本日午後に会う予定の友人に手渡しするつもり。
 メールをそのまま印刷したのでは見映えが良くないので、体裁を整えて(むろん内容には手をつけず)A4の紙2枚に収めた。

 友人もみな66歳以上。そろそろ古希入ろうとしている。だんだん友人との思い出に感傷的になってくる。しかしいい友人に恵まれたということはまた、とても嬉しい。
 私の属した労働組合の退職者会でも私は今は幹事のなかでは一番年下。「若い」ということばは似合わない、年下ということばでしか表現できない。いつも私は戦中生まれ、団塊の世代といった少しだけ上の世代と付き合ってきた。

 気分的には、いつも一番年下としてお付き合いを願ってきたように感じている。それもまた悪くない。縁起でもないと怒られるかもしれないが、しかし見送る人がますます増えていく。